誰と関わるか
末期がんを宣告され入院している。
窓外は満開の桜。
桜は、生よりむしろ死をイメージさせる。
散る。
病院から、入院費・治療費の催促。
払えない。夫の借金で家計は火の車。
会社を辞め、株でひと山というが、さっぱり。
夫・母と同居、自分はまるで家政婦のようにこき使われ、罵られる。
電話するが、夫は出ない。
ふらつく足でタクシーに乗り、家へ。ドアを開けるとさっき見舞いに来てくれた親友の赤いハイヒール。
そっと見る。
ベッドでいちゃつく夫と親友。
ついさっき病院へ見舞いに来て励ましてくれたばかりなのに。
夫「死んだら保険金10億ウォン入る」
女「わたしに家買って」
夫「いいよ。うふふ」
女「早く死ねばいいのに」
夫「意外と死なないもんだな」
自分が死んだ時の保険金。
ここまで聞いていた。
もうがまんできなくなり
なじると、逆ギレした夫に突き飛ばされ、テーブルに頭をぶつけ、死ぬ。
・・・気がつくと、10年前、結婚していない自分に戻っていた。
韓国ドラマ『私の夫と結婚して』(配信はアマゾンプライム)
これから10年の間に何が起きるか知っている。たとえば株、何が上がるか。たとえば夫にくっついていた親友がこれから何をするか。
人生リセットしよう。
そのためには、何より結婚をやめなければならない(10年前はまだ結婚の約束、レベル)。親友が欲しいというなら、夫はくれてやる。
ドラマを観ていて気づいたのだが、運命は、自分が何するか、というより、「誰と関わるか」で変わるんだなあ。
歩く道は、誰と関わるかで、変わっていく。
ぼくたちは毎日、考える。
右に行くか
左か
まっすぐか
それより大事なのは
誰とこれをするか
というキャスティングだ。
特に、リアルで誰と関わるか。
オンラインではない。
コロナ期間、人と交わるの、遠ざかった。
あれでいったんリセットされた人もいるかもしれない。
それはそれで良かったんだと思う。
フェイスブックのアルゴリズムでは、しばらくお互い「いいね」やコメントつけなかったら、フィードに出てこなくなる。たとえ「ともだち」でも。
それって、まさに「関わる人ではなくなった」ということで、いいも悪いもなく、そういうもの。
いま、自分の周囲にいる人で、いまの自分が作られている。
変えたければ、関わる人を変える。
自分ひとりにできることって、限られている。
会社を卒業、土地勘ゼロのニューヨークへ行って起業したのは、当時意図してなかったが「関わる人を変える」ことになった。
運命が、変わった。