仕事への愛は意外な時に気づく
仕事への愛は意外な時に気づく。
ぼくの古い体験でお話します。
1995年1月末。阪神淡路大震災で神戸の街は壊滅状態だった。
JR神戸線は大阪から住吉駅までしか開通していない。
当時ぼくは旭化成建材部門の営業。
住吉駅からマウンテンバイクに乗りかえ、現場調査に出かけた。
神戸の街は、かつてデートで毎週のように行っていた。住むなら神戸、と思っていた。でも「遊びに行く楽しみ」のために取っておこう、と住むのは大阪市内にした。
愛する神戸が白く煙っている。倒壊した建物や穴だらけの道路からコンクリートの粒が遠慮なく風に乗り舞っていた。
1995年1月は『ドラゴンボール』週刊誌連載がちょうど終わる頃。魔人ブウとの最後の戦いで、地球が破壊され尽くしたシーン。目の前がまさにそんな感じだった。ドラゴンボールで元に戻せたら。
調査目的は、建物の外壁の損傷状況を実際にこの目で確認すること。
マウンテンバイクで走りながら、当時珍しかったアナログのケータイで、あちこちに電話した。自分が大事だと思う人たちだ。妻、広島に住んでいた友人、親戚・・・。電話を受ける方は家電(阪神淡路大震災をきっかけに一気にケータイが普及した)。破壊された街の中にいると、愛おしい人たちの「安全」がとても気になった。だから電話した。
通常であれば三宮駅から歩いても15分くらいの場所に、40分以上かかってようやく着いた。ほんの1年前、自分の担当建材を納品したばかりのビルだ。すでに遠目でビルは見ている。建っているのは確かだ。ん? ビルが建ってるのが確か? ビルは建ってるものでしょ・・・と思うかもしれない。でも、あの当時、「建ってる方が珍しかった」んだ。
建ってるだけでも御の字だが、人間、欲が出る。ましてやこのビルは納品までいろいろあった。競合他社も安値の見積もりを放り込んできて、最後のさいごまで受注でモメた。ようやく受注したら今度は材料納期が厳しい。そりゃそうだ。価格交渉が長引いたから、契約後着手する施工図面の完成が遅れたため、材料の拾い出しが遅くなった。
販売店担当者とすったもんだして、ようやく納品、施工、完成したときは嬉しかった。好きな神戸の街に爪痕が残せた。地図に残る仕事ができた。
ビルに着いた。正面から見ると、やはり窓ガラスはすべて割れていた。でも、ぼくが納品した外壁パネルはしっかり壁を作ってくれていた。タイルもはがれていない。思わず手のひらを当て、「ようがんばったなあ・・・」とつぶやいた。「ありがとう」。
それ以上、何も言えず、ただ手のひらに伝わる壁のぬくもりを感じていた。大丈夫、このぬくもりがあれば、ビルは生きている。
ほっとして、腰から力が抜けた。
ここで初めて、道路の向かい側に目をやった。ブルドーザーが、壁を壊していた。ほこりの白いカーテンがおりていた。
一瞬、ほこりが晴れた。運転手の顔がくっきり見えた。口を開けていた。吠えていた。運転手が吠えていた。ほこりがまた視界を遮った。運転手の顔は見えなくなったが、唸り声は続いている。泣いていた。
ぼくは手のひらを壁に当てたままだった。運転手は吠えていた。
地震が作ったほこりのど真ん中で、二人とも、仕事を愛していた。