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3次元の強みが、これからますます出てくる

ぼくたちの世界は3次元でできている。たとえば、四角いリビングルームとして、その床は長辺タテと短辺ヨコがあり、天井高がある。タテ・ヨコ・タカサの3つで3次元。

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でね。

ぼくたちのメディアは1つ次元を落としてる。新聞、絵画、スマホ、パソコン画面、ZOOMミーティング、映画、テレビ、雑誌・・・

書き言葉が文や物語となったとき、人は3次元から1つ落とした2次元の世界に入り、「次元を落としているのに、まるで目の前で繰り広げられているかのような」たとえば平安の世の人々は『源氏物語』に感動した。

読み書きが一般的ではなかった頃、3次元から1次元落として知的活動のできる人たちは「偉い」人たちだった。漱石先生の頃とか。読み書きが普通にみんなできるようになると2次元世界も大衆化した。

映画では3Dの試みがあって、『アバター』にはびっくりしたものだけど、少なくとも日本では広がらなかった。たぶん、「3D、立体といったって、結局脳内で再構成するものであり、かえって疲れる」という正直な感想が強かったからだろう。本当の3Dではないのだ。

ぼくはVRでNiziUのダンス観て喜んでるけど、でも、やはりそれは2次元に何か細工したものでしかなく、目の前に生身のマコさんがいてくれるわけではない。

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コロナちゃんのおかげで、ぼくたちはいやが上にも次元を1つ落とさざるを得ない生活を強いられた。1年。会議はオンラインで。商談もオンラインで。実家のオカンと話すのもオンライン。生まれたばかりの赤ん坊とも単身赴任先からオンラインで。次元を1つ落とす、というのは、人間の持っている五感の中で、「触る」「味わう」「香りを嗅ぐ」3つを捨てなさい、ということだ。3次元では簡単にできたこの3つが、2次元オンラインではできない。だからこそ、1年経ったいま、3次元の、リアルのありがたさをみんな腹の底から実感してる。

商いは、人と人の交わりでできる。ネットショッピングはあくまで「1つ落とした2次元ワールド」に過ぎず、かりそめの幻なのかもしれない。それくらいに考えていて、ちょうどいいんじゃないかな。

リアルに店舗を持っている。会社を構えている。旅に出て、緑の香りに包まれる。3次元の強みが、これからますます出てくるし、出していくのが商いの課題だと考えています。みんな求めているよ。

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Pinterestで「3次元」検索したら出てきた画像。なんか面白いので、載っけます(笑)

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