らんらん

膵臓に勝つ 蜜柑の芽が咲くのを見たい

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源氏物語を生きた時代の女たち

光源氏にはたくさんの女達が登場する その中で私が好きなのは六条の御息所 年上が故に 位の高い女が故に 愛しい源氏に対して素直な表現が出来ず 追う事も出来ず 疎まがられ 泣く事さえプライドが許さない そんな六条の御息所。 可愛げとはなんだろうか。 凛と正された姿を見て源氏は気を緩める そんな事ができない女だったのか。 自分が居なくてもキミは大丈夫。 そんな思いを抱かせてしまう女だったんだろうか。 生き霊となり 源氏が愛した女にとりつく。そんな性を持つ女。

    • 自然に思う事。

      今、世界中で火山 地震 大雨と 当たり前が行き過ぎている。 関東で震度5があってあれだけ乱れ 本当に南海トラフ地震が来たならば どうなってしまうんだろう。 そんな中で私が思ったのは、 一緒にいる相手との関係性だ。 仲が悪い2人ならばお互いを助けあえないんではないだろうか。 うたた寝している相手をそっとタオルをかける気持ちとか。 頭が痛そうに感じたらお水を持ってくる気持ちとか。 大事なんじゃないかと思った。 小さな事だけれど、いざ!って時は 一緒にいる相

      • ふと見たニュースで

        修学旅行がリモート旅行だとさらりと流した。 たった一度きりの修学旅行。 感想を聞かれた男の子は 楽しかった。って。 大人は自由に 緊急事態宣言であっても 言い訳を作り動いている中。 自分たちの願いではどうにもならない 子供達が、我慢ばかりしている。 大きな空の下で ふざけて大きな声で 笑っている子供達を見たいと この時ほど、感じたことはない。 昔は良かったなんて。 まだまた言いたくないなと 子供達にエールを贈りたい。 #暮らしたい未来のまち

        • 明治を生きた女

          私のおばあちゃんは江戸っ子で、お家にいる時は着物を着て、お料理も上手。 小さな身体を思い切り使いながら椅子に登ってねじまき時計を回す。 男の人は男前はダメ。と小さな私や姉に時折 話す恋バナは女だった。 ハンバーガーを買ってくると こんなの初めて食べた!と喜び 近所の子供達にはクリスマスにはお菓子のブーツを配る。 きっぷの良いおしゃれさん。 おばあちゃんが亡くなった後、 引き出しから紙に包まれた小銭とメモがあった。 オロミンシー代金 …ときちんと包まれていた。

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        • 白目みさえ
          1本

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          確認のコーヒー

          いろんなコーヒーの種類を数々飲んでわかった事がある。 私は濃いめのコーヒーじゃなければ、物足りない。 マンデリン? イタリアン? 炭焼き? 私には 117 を濃いめに入れるの好きみたい。 コーヒーの大好きな香りを感じ、 コロナじゃないな。と今日も確認。 #私のコーヒー時間

          確認のコーヒー

          陸奥A子

          私がりぼんを買っていた頃。 陸奥A子さんが大好きでした。 乙女チックと言われようが、 夢見る夢子と言われようが、 陸奥A子さんが大好き。 のほほん+少し大人なお話が子供の頃の 私にとっては本当にマジカルミステリー そのものでした。 特にマジカルミステリーインスタント コーヒー。 お砂糖一粒分の優しさを感じたものでした。   #好きな漫画家

          Babylon

          #私の勝負曲 どうしているかしら。 表舞台には現れてくれず。 噂ばかりが行き交っている歌姫様。 Babylonは明菜さんのパンチと艶っぽさを含んで楽曲です。 シングル曲でなくても明菜さんは聴かせてくれました。 時代も良かったのか。 戻りたいのか。 Babylon。 悪魔と天使 champagneあける。

          やっぱり沖縄

          何度訪れたことだろう。 初めての沖縄は高校の修学旅行だった。空気感が全く違う地に着いた時にまた来たい!と願った。 願いは直ぐに叶って大阪南港から2日間かけて沖縄に着く激安ツアーに参加した。高校生の私には旅費だって安くない。雑魚寝の2日間。それも楽しく揺らぎながら船から降りた時に沖縄は外国だ。ハンバーガーだってデカい。植えてある木も花も濃くて紅い。海は下まで透明で、私には天国な沖縄。何より好きな街は牧志の市場。沖縄の台所は魚も見たことが無い模様であったり 大好きなジーマミー

          やっぱり沖縄

          働き方改革

          私はホテルの支配人をしていました。 自由に時間を作りやすくもあり、望んでなった訳でしたが、休み迄短くても25日間 休みなく働き、5泊休み。其れなりに、旅行に出かける暮らし方でしたがコロナ時代となってしまった今、他県に気楽に行けなくもなり、地元でも蔓延防止により時短であったりと 窮屈な毎日となりました。そこで私は支配人を降り支配人が休みの日に代わりに支配人をするシフトに変えました。引っ越しもあり拠点を作って過ごして行く事にしました。一から又始まるこれからですが、お家に少し潤い

          働き方改革

          積もるサクラ🌸

          たくさん咲き誇る桜。 流れて積もる桜。 色が優しい桜。 今年も見れたね。わたし。 #桜前線レポート

          積もるサクラ🌸

          あれから

          病理検査結果

          心配していた病理検査結果は良性。 痛かった思いも。悲しかった気持ちも。 報われた気分です。 自分で飲み込んできた思いに今夜は少しだけ甘えても良いかなと思えました。 これから又 何か現れるかも知れないけど今回の経験は必ず役に立つ事だけは今からわかる。 大切に生きていこう。ずっと。

          病理検査結果

          膵臓が無いと言う事とは

          退院してからは朝・昼・晩のご飯は自分で準備しないといけません。病院食のようにカロリーや塩分を計る事は難しく少し食べたら胃が満タンとなり苦しくてお腹も痛む足らないとガクガク震えて砂糖や飴などのブドウ糖を入れないと低血糖でつらい。当たり前のあれ食べたいから食べる。は出来なくなりました。外食は難しいです。脂っこく無い調理法で自分を満足させるのは時間と気持ちにも余裕がないと現実的では無いなと思う。カフェインもダメとなりカフェインレスを探しまくりました。いろんなレスがあり買って飲んでい

          膵臓が無いと言う事とは

          退院までの日々

          私は個室にしていた為、随分気持ちには余裕のある入院生活が出来たと思う。部屋の中でソファーへ移動するだけでもいいリハビリとなる。トイレも部屋にあるので廊下に出てその都度 オシッコの量を測る事も気を使わなくていい。洗面もあるので常に部屋の中での生活は私にとってはいい環境であった。術後はとにかく歩きましょう。が看護師さんからも先生からも何度も言われたので廊下を歩いたりしながら痛くなれば痛み止めを飲みながら寝て起きてを繰り返した。 夜中の寝たいけど寝れない痛さや体勢にリクライニング

          退院までの日々

          そして一般病棟へ

          ICUでの焦ったい時間はラジオの音と共に終わりをつげた。「お部屋に帰りますよ」と看護師さんから言われるままうなずく。ICUで私がした事と言えば、膵臓をとったばかりだけど、すぐ朝、昼、夜の歯磨き。水ハブラシではなくきちんと歯磨き粉がついている。なかなかハード。ベットをリクライニングしただけでお腹の中の空洞が動く感じがする。右横腹には管がついていて中で膵液が出た場合の排出行為をしている咳が出たらおわりだな。と思っていた。お腹に力をかけると痛い。ただ痛い。 看護師さん総出でベット

          そして一般病棟へ

          ICUの日

          術後、痛みはわからないまま たくさんの点滴 酸素 今までの当たり前の呼吸からとても浅い息をしている感じがよくわかる足は浮腫防止のためのタイツの上から自動で膨らむ空気の浮き輪のようなものを履き自分で動かせるのは膝を少し折るくらいのそれは少しのほんの少しの可動域。 ICUの夜は全く時間がわからない。言われるままに点滴を交換されては何かあれば呼んでください。のコールボタンを握らされている。どのタイミングで押す?身体がしんどいです。では当たり前だし。身体がなんだか変です。も違う。と