人生で一番死にかけた話
先日の深夜、大事故に遭った。
友人の車の助手席に僕は座っていた。
右折するため信号で停止し、何台かの車を見送り、発進した直後だった。
左を見たとき、不安定なハンドリングをする車のヘッドライトが目の前に映った。
「あっ」としか言えない一瞬すぎる一瞬。
恐怖を感じる隙もなかった。
おそらく、僕に直撃した。
ぶつかった瞬間の衝撃から数秒間の記憶がない。気がついたときには呼吸ができず、車は悲鳴をあげ、体は硬直し、意識が朦朧としていた。
運転席の友人も僕も、「ア……ァ……」という声しか出ていなかった。
友人は数分で動き出して警察を呼んでいたが、僕はしばらく動けなかった。
とりあえず車内にいてはマズイと思い、助手席のドアを開けようと試みたけれど、びくともしない。
カギが折れてエンジンは切れない。フロントガラスから前方に目をやると、オイルのようなものが垂れ流れていた。
死を感じた。
正直、もうええか、とも思ったけれど、死の匂いが強制的に身体を動かせる。
全身の痛みはアドレナリンで抹消され、這い出るように車外へ出ると、交差点の真ん中で横転する相手の車が視界に入った。
地獄。
気が動転していたからか、運転手ではない安心感からか、僕は車内の荷物をかき集めた。
大切なジッポや友人の荷物、スマホ。
いつ燃えるかわからない車の中を、全身の痛みに耐えながら拾った。燃えては困る。
誰かが救急車を呼んでくれて、意識を失ってるであろう相手方は運ばれていった。
身体のあちこちが痛い。それでも救助隊(?)の人に淡々と説明した。喚いても仕方がない。
友人は絶望して崩れ落ちていた。泣いてる姿を初めて見た。人間だと思った。
僕も救急車で病院へ搬送された。これが午前0時ごろだっただろうか。普通に自分の足で救急車に乗り込んだ。
友人は会話にならないし、救助隊(?)の人も話を全然理解してくれないし、苛立った。
歩けるし、喋れるし、たいしたことないと判断されたのだろう。医者や看護師たちはトロいし、処置はテキトーだし、それにも苛立った。
いやあの、痛いんですが!?
(後日調べたら、クチコミは最悪だった)
互いの車が廃車になるほどの大事故にしては、不思議と軽傷で笑うしかない。
昔、車がペシャンコになっても無傷だった母親の鉄壁の血(或いはサイボーグの血)を受け継いだのか、事故の直前に訪れた小さな神社で遊んだ猫が守ってくれたのか。
ここだけの話、とてもとても不謹慎なのだけれど、事故にあった際、興奮している自分がいたことを否定できない。
同じような毎日の中に突然現れた巨大すぎる刺激。
まるで地獄、されど滅多に見ない光景が広がっていたのだ。
痛いし、朦朧としてるし、パニックだったのだろうけれど、興奮は違うだろ。
しかし、生きてるって感じがしたのだ。
興奮を抱いている自分に気がついたとき、終わってんなと思った。人間として何かが欠如していると感じた。笑いたかった。いや、心は笑っていたかもしれない。
カツセマサヒコ著作『明け方の若者たち』の中にも同じようなシーンがあったなと、横転する車を見ながら思った。
しょうもない人生。しょうもない人間。そんなことを感じた。
ちなみに走馬灯などは見なかった。
誰かの顔が浮かんだとか、会いたくなったとか、死にたくないとか、何もなかった。
戦場みたいだな……って思ったくらいだ。
もし自分が運転者だった場合、それどころではなかっただろう。相手の命に別状が無かったから良かったものの、万が一のことが起こっていたら生きていく未来は見えなかったはずだ。
絶望に沈む友人のことが気が気でなく、興奮は収まり、アドレナリンが抜けて痛みが増した。
昨日よりも痛いし、多分明日はもっと痛い気がするけれど、どうしようもない。
命があることが奇跡だ。
今はできる限り友人のそばに居たい。
メンタルは回復しつつあるだろうけれど、そばに居ることに越したことはないだろうから。
P.S.
この全身の痛みはどれくらい続くんですか!
先生!?消毒くらいしてくれても良くないですか!?
頼みますよ、まったく!!
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