気づいてどうするか、気づくだけでいいのか
気づくことはとても大切だと思っている。
それでも、思っただけでその後が無い。
そんな人が多い。
どうしてだろうか?
ひとつは、気づきを形にする方法が分からない。
そのためにお勧めするなら、思いついたことをどんどん書いていくことだ。
頭の中だけに置いておくと、その置き場所ばかりが気になって居心地が悪くなる。そして5分後には消え去ってしまう。そんなことを私も繰り返してきた。だから今は、「これが何になるんだ」と思っても、とにかく書いて残すことにしている。そして次の日、1週間後に書いたものを見る。付け足すものがあれば書き込み、何も見えてこなければ、また放っておく。
気づくことは、思い出すことだと思う。
私たちは生まれて成長していく中で、心にもくせが出来上がる。身体にくせがあるように、心も固くなり生まれた時にはあんなに柔らかだったのに柔軟な発想が徐々にできなくなる。それが悪いということではない。そういうものだ、と言うことだ。だから柔らかい心を思い出そうとすればいい。
生きるために身につけてきた「そんなの当たり前」を一度捨ててみることだ。
新しく始める、と思えばいい。
何かに気づくことは、同時に今までの、過去の自分を否定することに繋がる。そんな時、私は無責任に過去の自分を忘れる。・・・直そうと思わない、新しく始める。・・・勝手にそう思っている。
新しく始めることは簡単に実現しない。何度も失敗して何度も繰り返す。そして徐々に階段を上がっていく。ところが過去を直すと思うと、その時点で「自分はダメだった」と後悔と否定の言葉から解放されない。
ダメであろうと無かろうと、それが今の自分だ。開き直ってここから始めるしかない。
気づいて、言葉にして(書いて残す)、そして行動する(新しく始める)
この流れを作って欲しい。
新しく始める行動はなかなか思い通りにいかない。新しく表れた気づきに迷わさることもある。でもそれをすべて記録していく。出来れば誰かと共有できればいい。人は多くは同じ悩みを抱えているから。その時どんな行動を起こしたか、他人の行動は気楽に聴けると共に参考になる。
そして、意識して起こした行動が無意識に出来るようになる。これが習慣化だ。朝起きて歯を磨くように新しい行動が習慣化出来れば、それが自分の強みになる。
仕事にマネジメント能力が必要なように、生きるためにはライフスキル能力が要る。自分を甘やかす、他人を尊重する、仕事との関わり方や社会とのめぐり合わせを楽しむ。それを後天的に強められるライフスキル能力で高める。それでも本来の自分を変えようと思わない。あくまで楽しく生きるために必要だからとライフキル能力を高める。必要な時に演じるという軽い気持ちでもいいかもしれない。
今出来なくても構わない。
嫌いな人がいても構わない。
相手に嫌われても構わない。
馬鹿にされても構わない。
赤塚不二夫の「天才バカボン」に、「レレレのおじさん」がいる。実は、あの人はお釈迦様の弟子のひとりである周利ハンドクという方です。理解が出来ず物覚えが悪いことで有名だった。それが掃除だけで悟りを開いたというのです。
愚者と賢者の違いは、知識の差ではなく「智慧」に気づくかどうかです。愚者は自分の愚かさに気づけないのです。
悩む周利ハンドクに仏陀はこう言ったそうです。
「自分を愚かだと知っている者は愚かではない。自分を賢いと思い上がっている者が、本当の愚か者である」
愚かであろうと何だろうと楽しめばいい。
「それはどうして?」と気になって、「こうだったのか」と気づいて、「じゃあ、こうしてみよう」と、自分が楽しむ術を身につけていく。
気づいて、言葉にして(書いて残す)、そして行動する(新しく始める)
これが気づきのマーケティングです。