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フィンランドに来て気づいた日本人にかかっている呪いとそれを取り除く方法


人事の修学旅行、フィンランドから働き方について学ぼう編のツアー4日目が終わりました。いよいよ明日で最終日。通常だったら、だいたい「もう帰りたくないー・・・」とブツクサ言っているものなんですが。

今回に関しては、「もしかしたら私は早く帰って仕事をしたいと思っているかもしれない笑」ということに気づきました。

いろいろと着想が得られたので、今は、それを日本の組織にぶつけてみたらどんな反応が返ってくるのかが楽しみになっている自分がいます。

ということで、今日は、その背景にある考えを書いてみようと思います。

【ツアーに参加するために、どのように時間を確保したのですか?】


今日、面白いなぁと思ったのが参加してくださった方々に

「どうやってここまで来たんですか?年休を取ったんですか?」

と聞いたときに帰ってきた言葉でした。

1人目の方は「5日間の年休をとってここにやってきました」

と言っていました。

もう少し聞いてみると「会社としては1年の間に最低でも◯日間の年休は消化してほしいと思っていて。できれば長い連休をとってほしいと思っている」のだそうです。

「ただ実態は、もちろんすべての有給は消化されていないし、なんなら最低限の有給消化もギリギリ」だそうです。「ということもあり、今回、自分はそのための年休を使ってきました。」と言っていました。

「そんな組織の実態がある中で、5日間の年休をとってフィンランドに行きたいと言ったらどんな反応があるんですか?」

と聞いたら、

「まぁじゃあいいんじゃない」と言われたそうです。

「すごくネガティブな反応なわけではないけれども、ポジティブな反応でもなかった」と言うふうに言っていました。

またもう1人の人はこう言っていました。

「うちの会社の場合は社長がこの前デンマークに教育の様子を見に行ったと言うこともあっても、今回私がフィンランドに行くと言うと『いいんじゃない、行ってきなよ!』と言うふうに言ってくれました」

「うちの場合、全額ではないけれど、何割かの費用を出してくれていて、かつまた、この1週間も勤務扱いにしてくれているんです」とのことでした。

「もちろんこっちにきても一部仕事はしているんですが、通常の仕事と比較するとかなり少なめに抑えてくれているのでありがたいです」と。

それを聞いて思ったのは、自分の会社の社長がそうやって世界の先端を見に行くみたいな行動意識をとっていると、そこの社員は、相当こういう活動に参加しやすくなるだろうなーいうことでした。

逆に言えば、社長がなかなかそういうあり方を見せていないと、こういうのに参加するのは難しいかもなぁとも感じました。

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【知的生産におけるインプットの質をどう高めていくか】

これは私の友人のあるシェフが言っていた言葉なのですが、

ㅤ「美味しい料理を作ろうとするともちろん調理の技術が大事になってくることは間違いないのですが。ただ、それと同じか、下手したらそれ以上にものを言ってしまうのが、どれだけ良い食材を集められているかです」と。

これは、料理に限らず、全ての知的生産に言えそうな話だなと思いました。

知的生産におけるインプットとは何かと言えば、おそらく情報やナレッジとなるでしょう。

ナレッジワーカー、クリエイティブワーカーが務める職場においては、「この道を進んでいけば、自ずとインプットの質が高まるであろう」という制度や文化をもつのは、めちゃくちゃ重要なテーマだろうなと思います。そして、今後の日本の多くの組織においてもめちゃくちゃ重要な話になってくるだろうと。

【日本社会にかかっているかもしれない呪いとは?】


そこから、翻って見ると、日本社会においては、「なかなか休むことが難しい」と言う一種の呪いのようなものがあるんじゃないかと感じました。そして、それがけっこう致命的な呪いになっているのではないかという気もします。

私がそう思う理由としては、制度的には、休もうと思えば休めるようになっているはずなのに、なぜかそれが前向きに活用されない実態があるのは、何かしらの要因があるのだと思うからです。

これは、多くの人たちを観察して感じる私の印象だけでなく、私自身にもそういった働きがあるなという実感を書いているのですが。

私の場合で言えば、小学校から「皆勤賞」という形で評価を受けるシーンを目の当たりにするなど、小学校のうちから無意識レベルで刷り込まれてきたもののように思えてきました。

ここで、呪いと表現しているのは、ネガティブな働きを生むという意味でもありますが、呪いを解くためには、外から魔法をかけてもらう必要があるなど、自分では取り外すことが難しいという意味も含んでいます。

もしかしたら、食材がしょぼいまま経営しているレストランの料理に限界があるのと同じようなことが日本の多くの現場で起こっていて、そこの根っこにあるのが、無意識にかかっている呪いなのではないかと、今日は、そんな仮説が頭に浮かんできました。ㅤ

【日本とフィンランドの社会がそれぞれ領域に組み込まれている術式とは?】


(今回も例に漏れず)領域展開の話でいうならば、「日本を囲う領域の中では休むことが難しくなるという術式が組み込まれている」という表現もできるかもしれません。

加えて言えば、領域展開においては、領域の中にいると、領域を展開した側にとって望ましい能力強化(バフ)が得られるという設定になっています。

日本社会を囲む領域には、「勤勉さ」と「控えめさ」にバフがかかっていくようなイメージも浮かんできました。

それでは、フィンランドを囲う領域にはどんな術式が組み込まれているのか、どんなバフがかかるのかと言うことを考えていくと

「半ば強制的に、厳しくも豊かな自然のもとで、ウェルビーイングを感じさせられるようになっている」

「そのために、自分に必要な学びを探し、得ていくように促される」という術式があり。

それに向けて「しっかりと休む力」と、「自分らしさを確かめる力」にバフがかかっていそう、ないし、かけていこうとしていそうな気がしました。

【なぜフィンランドの働き方本に、アウトプット向上の施策がほとんど出てこなかったのか?】

昨日、聞かせてもらったマイタイムの著者モニカさんの話であったり、今日聞かせてもらったフィンランドで森林教育をされている方の話を聞いていても、聞かせてもらう話の多くは重なっているような内容だなということを思いました。

(ちなみに、この森林自然学校のプログラムは、大人はもちろん、ビジネス領域で用いられているそうですし、子供達にも展開されているとのことです。)


ドラマモデルという心を整える技術について教えてもらいました


講義の後は、森に入り、自然から回復する技術について学びました


この二人に加えて、先日まで聞かせていただいていた校長先生の話も共通していましたが、改めてフィンランドの人の話を聞いていると、休むことや、生涯にわたって学び続ける事への知見は、それはめちゃくちゃたくさんあるなぁと言うことを思います。本当に積み重ねの凄さを感じます。

一方で、働くことについて色々と聞いてみたんですが、あんまり答えが出てこないんだなぁと言うことに気がつきました。

今までフィンランドの働き方の本を読んでもインプットを制限するとか、休み方をしっかりと確保する、みたいな話が山ほど書いてある一方で、じゃあ彼らがどうやって成果を上げるかってことについてはほとんど出てこないなと思っていたんですが、今回、実際にいろいろな方の話をきかせてもらい、その要因がすごく腹落ちしました。

それと対比すると、日本社会においてはそれなりにポジションが上の方々に聞いていけば、いかに働くかみたいなナレッジは山ほど出てくると思うんですけど。

職場の中でいかに休むことが大事か、ないし、職場に置いてもどのように自分らしさを大切にしていくか、みたいなナレッジは、出てくる人もいるかもしれないけれど、あんまり出てこない人は多いだろうなーということを思いました。

【オウル市の図書館で感じたこと】

先日オウル市の図書館に行きました。図書館を視察したときに、子供たちが図書館に集まって、そこで図書館の使い方について慣れ親しむ授業をしている様子を目撃しました。

そこでは、コメディアンのような方が子供たち向けに何かエンターテイメント性の高い授業を展開していました。



ゆみさんの話では、フィンランドでは生涯学習をしていくための拠点としてどこの街でも、図書館を使おう、活用しようとちっちゃい頃から学ばせ、すり込んでいくんだそうです。

おそらくこのコメディアンのような先生は、飴と鞭でいうところの飴のような機能を果たしているのではないかと感じました。

日々、組織開発を仕事をしている私がその様子を見ると、国家の経営も組織の経営も同じような話なのかもなということを思いました。

というのは、建物でも、法律でも、制度でもそうですが、結局、ハードだけあってもソフト側、つまり、それを使う人たちの心がそっちに向かってないことには効果は限定的なんだなぁと言うことです。

フィンランド社会においては、生涯にわたってウェルビーイングが体現できるように、そのために生涯にわたっても学び続けられるような人になっていきましょう、というのを浸透させていくために、ハードのソフトもしっかりと作って運用しようとしているんだなということや、その覚悟がすごくよく伝わってきました。

これは、自国の産業が決して強くない、雇用先が移り変わり続けるしかないという前提の中で生み出した彼らの戦略からきているものなのでしょう。

それと対比すると、日本社会においては、よくも悪くも、これまで雇用をある程度まで安定させられてきてしまったが故に、そこへの着手が遅れ(に遅れに遅れ)今があるのだろうなということを思いました。

これは、わかっていたことではありますが、フィンランドのありようをこの目で目撃すると、また一段、理解が深まった気がしています。

【改めてこれからの日本社会に必要なこと】

組織開発用語においては「生成的イメージ」と言う言葉を使います。

これは、例えばビジョンやパーパスを実現していくために用いられる言葉です。

社員がそのイメージを浮かべることができれば、様々な局面において、そこから相応しい行動が生成していくことができるようになっていくというものです。

「マイタイム」はまさにフィンランド社会に通底する生成的イメージであるということができると思います。

今回、私は繰り返し、「領域展開」と言う話をしています。

何度書いているのには理由があって、もしかしたら、これが今後の日本社会に必要となっていく生成的イメージになっていくのではないかと思ったからです。

領域展開においては、押し合いに負けてしまうと、必中必殺の術式が襲ってきます。そのため、なんとしても押し負けないようしなければいけません。

もし日本人の中には、「休むことはあまりよくないことである」という無意識、暗黙の信念が植え付けられているのであれば、その押し合いに負けないようにするあり方が重要になってくるのではないかと思います。

今日は森の中を歩きながら、五感を済ませながら、ここから先も、私の人生はもちろん、日本社会にも、様々なものが押し寄せてくると思うけれど、押し寄せてくるものに負けないように、いつまでも変わり続け、良い状態を持ち続けてたいものだなと言うのということを思いました。

今日も素晴らしい学びの機会をどうもありがとうございました。

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