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心の断片を吐き出してみた

中学時代の、野球部でしごかれていた時の夢を見て、変な時間に目が覚めてしまった。
そして、なぜか分からないけれど、「今なら書けるかもしれない」と直感したので、noteを書くことにした。


①中学時代

中学時代の野球の部活は、めちゃくちゃ辛かった。
校庭の隅から隅まで休みなくダッシュをさせられたのを覚えている。
「体力づくりの一環」として、真夏日に長袖を着用して練習させられたのを覚えている。
最後の大会で敗戦し、周りが帽子で顔を覆い泣いている中で、私は帽子で顔を隠し泣いているフリをした。
「やっと地獄から解放される」という気持ちでいっぱいだった。
はっきり言って、楽しかった記憶は無い。

しかし、本当に辛かったのは部活そのものではない。
「本当にやりたいことが別にあったのに、それをやれずに野球をやっていたこと」だ。

本当にやりたかったことは、漫画を描くことだ。
私の子供の頃の夢は、漫画家だった。
小さい頃から何かしら絵を描いていた。
小学生の頃は、親が漫画を描くことをよく思っていなかったので、家ではあまり描けず、学校で自由帳に漫画を描いていた。

中学には美術部があったので、そこに入部して漫画を描きたかったのだけれど、それは叶わなかった。
「美術部に入る人はキモい・普通じゃない」といった、意味の分からない悪の風潮が当時ははびこっていた。
そして、私が在籍していた中学校は全校生徒が100人に満たない小さな学校だったので、誰が何の部活に入っているのか誰でも分かるような状態だった。
なので、もし美術部に入ったら、変な目で見られて、最悪いじめられるかもしれなかった。
私はそれが怖くて入れず、消去法で野球部に入部したのだ。


②大人になって、漫画を描いた

時が経ち、私は大人になった。
時代が変わり、「やりたいことをやってもいい」時代になった。
私はある日、iPadとApple Pencilを買って、漫画を描いた。

しかし、漫画を描き続けることは、できなかった。
0から1が本当に辛くて、それに苦痛を感じてしまっていたからだ。
子供の頃漫画を満足に描きたくても描けなくて、漫画を描きたい気持ちを心のどこかにずっと閉まっていたのに、いざ大人になって漫画を描いたら続けられなくて、当時の自分は情けなく思った。


③子供時代の忘れ物

それから更に時が経った。
「自分はアダルトチルドレンではないか」と思っていた時期があり、それに関する本を読み漁っていた。
その時に読んだ本のページに、今でも印象に残っているものがある。



いずれも「劣等感を克服しよう:自己肯定感の高め方 アダルトチルドレンの生き方シリーズ」より引用

このページを読んだ私は、「子供の頃十分に描けなかった漫画を、大人になって、描いた。その行為そのものに意味があるのだ。漫画を描き続けられなくて情けなく思うのではなく、漫画を描いた自分を褒めたい。」と思ったのだった。


④劣等感と向き合った

劣等感がひどかった時期があった。
「自分が辛い思いをしているのは子供の頃漫画を描くことを良く思っていなかった親のせいだ。漫画を描きたくても描けなかった学校のせいだ。漫画を描くことに理解がある親と学校だったら、漫画を描いていて、今は違う人生を歩んでいたかもしれなかったのに!チクショウ!」と思っていた。
思えば思うほど、自分自身が傷ついて、劣等感が大きくなっていって、負のループから抜け出せなかった。

現在はこの劣等感は落ち着いているが、そうなったきっかけの一つに、phaさんの「しないことリスト」を読んだことがあった。
著書を読み、当時の自分を俯瞰して見ることができるようになり、「当時は環境的に描けなくても仕方なかった。」と思えたのだ。

いずれも「pha/しないことリスト」より引用



⑤「自分の人生を前進させるため」に書く

私は、「自分の人生を前進させるため」にnoteを書いている。

いずれも「pha/人生の土台となる読書」より引用

文章に完璧を求めたら、いつまで経っても完成しないと思う。
不完全でもいい。書いて世に公開することが大切だ。
前からずっと留まっていた気持ちを、不完全ながら書いた。
よく書いた、自分。えらいぞ、自分。


※見出し画像に、イラストACの「心の洗濯」を使用させていただきました。
タイトルにピンときました。


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