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昭和14年の松竹映画「暖流」に使われたクラシック音楽


 昭和14年の松竹映画「暖流」は、間違いなく日本映画を代表する傑作である。
名匠・吉村公三郎の第1作にあたるこの「暖流」は、そのストーリー(原作/岸田國士)の良さ、撮影手法・演出の巧さは言うまでもないが、その音楽の用い方についても、まことに素晴らしいものがある。ここでは、この映画に使われたクラシック音楽について紹介していきたい、と思う。
 まず映画のタイトル・ロールで流れるのは、な、何とヴィヴァルデイのヴァイオリン協奏曲ト短調作品12の1,R.317,P.343,Fl-211 (作品番号シツコイ!!) の、第1楽章ではないか。実はこの曲、スズキのヴァイオリン教本第5巻に収められていて、日本でヴァイオリンを習っている人なら誰でも一度は弾く (弾かされる?) 曲。この映画での演奏は当時のロマンティックな演奏スタイルそのもので、ポルタメントうわんうわんの超情緒的なヴァイオリン・ソロなど、後期ロマン派大好き人間の私は涙なくしては聴けない。オーケストラも当時の技術レベルを反映しムッチャ下手なのが、また味があって素晴らしい (!) 現代ではまずあり得ないこんな演奏を聴いていると、縦の線だけを揃え、噛み付くようなアーティキレーションばかり強調する最近の古楽器演奏が、いかに無味乾燥で人間の情感に反しているかを、あらためて思い知らされてしまう。
 次に、音楽とは全く関係ないが、画面に突然不機嫌にリンゴをかじる看護婦が現れ、思わずドキッとさせられる。この役は槙扶佐子という、どちらかといえば傍役専門の女優が演じているのだが、その美しさと言ったら!! ・・・ハンパぢゃない。
 さて、この映画の主なストーリーは、志摩病院の令嬢・志摩啓子(高峰三枝子)と、啓子の女学校時代の同級生で今は志摩病院の看護婦を勤める石渡ぎん (水戸光子)の二人の、苦境の病院の整理事業に奮闘する日疋祐三 (佐分利信)をめぐる三角関係の進展なのだが、それぞれの人物の情景ごとの心理状態を表出するのに、クラシック音楽が極めて重要な役割を果たしている。例えばぎんが日疋を一方的に恋い焦がれる場面ではチャイコフスキーのピアノ曲集「四季」の中の「舟歌」が流れるのだが、この曲がぎんのテーマ、というよりはライトモチーフのように使われており、そのヴァイオリン・ソロの切なさといったらない。 思いあまって布団に崩れ落ちるぎんのバックでは、何とチャイコフスキー「悲愴交響曲」の終楽章の主題が流れる。片思いに身を焦がす、当時まだ十代の水戸光子の瑞々しさも堪らない。彼女の写真を密かに胸に入れ出陣した特攻隊員が数多くいた、というエピソードを裏付ける美しさだ。
 さて、啓子には志摩病院の医師・笹島 (徳大寺伸) という親が決めた許嫁がいるのだが、笹島が啓子に愛を告げる場面のバックに、何故かショパンの「別れの曲」が流れる。そう、笹島には密かに情を通じていた堤ひで子という愛人がいたのだ。それが冒頭でリンゴをかじっていたあの美しい看護婦 (槙扶佐子)である。啓子と笹島が将来別れる運命にある事を暗示させる「別れの曲」の用い方は、まことに心憎いばかりだ。また、啓子が自宅のピアノでショパンの「別れのワルツ」のメロディを指一本で奏でる場面も、実に効果的。
 後日、日疋から笹島の愛人の存在を知らされた啓子は、自ら笹島に婚約の解消を告げる。その夜、日疋は啓子にプロポーズする。混乱した啓子は即答を避けるが、数日後東京駅からタクシーに乗る啓子の表情は、沸き上がる喜びで満ち溢れている。そう、啓子も密かに日疋を愛し始めていたのだった。高峰三枝子の全作品の中でも最も美しいアングルであるこの場面で流れるのが、冒頭と同じヴィヴァルディだ。戦前映画の中でも出色のこの幸せな情景に、ヴィヴアルディの音楽は何と貢献をしていることだろう!
 ところが啓子は、偶然出会ったぎんから日疋への思いを打ち明けられる。喫茶店の窓から聞こえるニコライ堂の鐘の音に続いて流れるのは、またしてもショパンの「別れの曲」だ。自らの日疋への思いを隠し、親友のために身を引く決心をした啓子は、日疋のプロポーズを断る。傷心の日疋をその家の前で待っていたのはぎんであった。病院を辞したものの、日疋への切ない思いを断ち切れないぎん。そこで流れる「舟歌」のヴァイオリン・ソロは、まさに絶品だ。日疋はそんな一途なぎんを愛おしく思い、ついに結婚を決意する。ここで流れるのが、チャイコフスキーの「悲愴交響曲」第1楽章の愛の主題・・・それは二人の新たな愛の始まりを表わしているかのようだ。喜びに震えるぎん。私など「良かったね・・・」と呟き、思わず涙してしまう名場面だ。
 後日、日疋は志摩病院精算の報告のため、湘南の別荘に移った啓子を訪れる。湘南の海岸を散歩する二人のバックに流れるのが「別れの曲」の美しいヴァイオリン・ソロ・・・それが金管群の暗い響きに徐々にかき消されていく、その効果も絶妙。日疋からぎんとの婚約を告げられ、叶わぬ思いに涙する啓子。その涙を日疋に見られないよう、海水で顔を洗い流す演出も心憎いばかりだ。
 なおこの映画は当初、前・後編併せて177分にも及ぶ長篇として製作されたが、現在見る事が出来るのは1948年に編集された124分の総集編しかないようだ。そのためか、志摩病院のダメ息子・泰彦 (斉藤達雄)をめぐるストーリーや、恋人の背信に自殺未遂を計った堤ひで子の出番等が大幅にカットされているように思われる。また残されたフィルムの状態も、決して良い方とは言えない。「愛染かつら」と同様に、まことに残念なことだ。
「古い日本映画なんて・・・」と思っている方、またクラシック・ファンの方にも、この素晴らしい映画を是非一度見て欲しい、と思う。

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