自己紹介
noteをご覧いただき、本当にありがとうございます。
はじまして、松井稜弥です。
好きな食べ物はいか、好きな飲み物はビールです。
それ以外にも色々と知っていただきたいことがありまして、このような自己紹介を書いているわけで。
お時間の許すかぎり、どうかお付き合いくださいませ。
将来の夢
僕がなりたいのは、
「誰かの可能性を広げるスペシャリスト」
今までその手段は、教育だったり国際協力だったり、ソーシャルビジネスだったりと自分の中で色々と変化してきた訳なんだけど、今は”言葉”だって思っています。
「大丈夫だからさ!君はきっと進んでいける。何も心配すんな!」
って思いを込めた言葉を。
僕の言葉に触れた誰かがその一瞬だけでも、
”わたしは無敵だ!”って感じられる言葉を。
ふっと気持ちが楽になって、
自分も周りも全部ひっくるめて愛して進んでいっちゃいますか!!
なんて思ってしまうような言葉を。
今すぐ走らせてくれるような熱い言葉も好きなんだけど、
寄り添ってくれる心地のよい、36.5℃の平熱みたいな言葉も好きなんだよなあ。
丁寧に言葉を紡ぐことができる人に。
特大の愛をもった表現者に。
2021年8月8日時点の僕の夢です。
高校時代
小学校、中学校と続けたサッカーに夢中でした。
あと、小学校の先生になりたいと思っていました。
”6-12歳の間って子供達にとってとても重要で、人間の基盤を築く期間だから、その小学生時代に色んな夢を見させてくれる先生に出会えたらどんなに幸せだろうか、自分はそんな先生になってやるぞ!!”
これが小学校の先生になりたかった理由です。
小学生の頃の経験とか言われた言葉って大きくなった自分にも意外と影響しているところがある。実体験を通じてそう感じていました。
だから、子供たちにはなるべくポジティブな出会いをたくさんさせてあげたい。
そんな思いが強かったです。
どうせ先生になるなら教育界の名門大学に行きたいと選んだ、広島大学。
サッカーと先生になるための勉強漬けになるかと思われた大学生活は、思いがけない方向へ向かっていきます。
大学時代(インド)
大学1年の夏休み、NPOの主催するスタディツアーに参加しインドへ渡航したことが今後の僕の人生を大きく変えていくことになりました。
大学入学後、サッカーに身が入らなくなった僕は情熱の矛先を探し、たまたま見つけたのがこのスタディツアー。
貧困や人身売買といった社会課題に向き合いながら過ごす20日間は、毎秒ごとに僕の想像を超えていく衝撃的な旅でした。
この旅で出会った、ストリートチルドレンのことがどうしても忘れられなくなり、以後大学生活中に6回もインドへ渡航することとなります。
現地のNPOでインターンをしながら、ストリートチルドレンと向き合う日々。いつの間にか彼らとは友達になっていました。
ハイハイさえできなかった赤ちゃんは、ませた女の子に。
泣き虫だったがきんちょは、立派なお兄さんへと。
4年という月日はあっという間でしたが、彼らは依然として路上で暮らしているという現実は変わらないままでした。
彼らを貧困から救おうと本気で思っていました。
それ以上に、自分は無力だと何度も思いました。
仲の良かった一人は、ドラッグ中毒で死にました。
「お前は何のためにここに来ているんだ!?俺たちは見世物か?」と罵られたこともあります。
彼らから多くのものをもらったのに、結局僕は何も返せないまま。
そんなもやもやとそれでも何か出来ることがあるはずだという気概を持った大学3年生は突然、休学を決意します。
大学時代(休学中)
親にも教授にも、友達にすらも事後報告だった大学休学。
インドで出会ったストリートチルドレンのみんなのような子供たちに、
キラキラした将来と今を味わってもらうためには、自分が力をつけるしかない。
全くもって自分都合な解釈ですが、これが大義でした。
フィリピン(3ヶ月)、ケニア(4ヶ月)、フィンランド(2週間)に渡航しました。
残りの期間は、日本でバイトをしてお金を貯めていました。
海外で活躍するためには、まずは言語だ。
フィリピンで語学学校を営む知人の元にお世話になり、英語を勉強する傍ら、NPOでインターン。
4ヶ月と自分的には少々長めに滞在したケニアでは、NPOに所属し、
ソマリア人ギャングの社会復帰支援を行っていました。
写真を使いながら色々と話したいのですが、コンプライアンス的な問題で割愛です。
ちなみに、これは小旅行中にルワンダで出会ったドイツ在住のインド人アンカー。
彼とは3晩を共にし、語りに語りました。
一個も覚えてませんが。
これは、ルワンダとコンゴをまたぐ湖、キブ湖で見た夕日。
綺麗だったなあ。
その後、
やっぱり子供達の将来を切り開いていくためには教育が一番の手段だ!!
教育といえば、フィンランドだろ!!
と思い立ち、フィンランドへ。
現地に留学していた友達にお世話になりながら、
大学教授にインタビューしたり、学校訪問したり、特別授業したり。
よくもまあ、こんなよくわからない外国人にここまでさせてくれるな、
とフィンランド人の寛大さを知りました。
鼻毛が凍る痛さを知ったのも、この時が初めてでした。
初めて見た凍っている海と、音楽にあふれた街ヘルシンキ。
社会人(ビジネスレザーファクトリー)
やりたいことをやらせてもらい、教員免許まで取得した僕は民間企業へ就職をします。
ビジネスレザーファクトリー株式会社
バングラデシュに住む貧困層の雇用創出を目的に、日本で革製品を販売するアパレルブランドです。
社会課題をビジネスで解決するという手法は、当時の僕にとってクールに見え、そして何よりここで働く方々のことがとても好きだったので入社を決意しました。
入社して以来、法人窓口対応、ECモール運営、販売企画担当と多岐にわたり携わる機会をもらっています。
普通だったらありえないと思うくらいの裁量権の多さ。
”私たちは会社ではなくて、思いでつながっている集団だから”
とはっきりと言い切る代表や、
面倒見と人が良すぎる個性的な先輩達の下、
人として何周りも大きくしてもらっていることには感謝の気持ちしかないです。
(ここに関しては、別の機会にちゃんと書く)
そうした中で、冒頭に上げたような新しい将来の夢も見えてきました。
自分の人生、第3章がはじまっていく。
そんな気分です。
終わりに
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
ひとりよがりな文章に、何度も首をかしげたくなったことでしょう、笑
昔のことを書こうとすると、どうも熱が入ってしまう。
特にインドらへん。
どうか、ご容赦くださいまし。
ここまで自分のことを書いてきましたが、とはいえ、匿名にしようかとも思いました。
「なんだなんだ、あいつどうしちゃったんだ?病んだのか?」とか、
「そんなこと思ってんの?でも別に書いて公開しなくてもよくない?」とか
「中2病こじらせすぎだろ」とか。
そんな風に思われるのは嫌だなあ、はずいなあなんて思っていました。
こじらせている件に関しては、別に否定しないけどさ。
でも、この瞬間瞬間の感情が僕の内だけに閉じ込められて無かったものになってしまうことがそれ以上に嫌だったし、
匿名にしてしまったら、それこそ僕のものじゃなくなってしまう気がして。
たしかにこの感情は僕のもので、僕の紡いだ言葉なんだと。
この存在証明だけは、譲りたくなかった。
それに、自分を出して真正面から社会にぶつかっていくことで、
見られる未来がある気もしたんです。
今は、ちょっとそっちを見てみたい。
まあ、そんな感じです。
等身大の僕は見るに堪えないかもしれません。
ああ、この人は書くことで自分自身を勇気づけているんだなと、
温かく見守っていただければ幸いです。
そして、いつか、
「あいつに書いてもらおうよ!!」
なんて、思ってもらえたら僕はハッピーです。
おわり。
ちゃんちゃん🔔