信頼する友人との交換文章 家族愛についての抜粋 醜い陶酔編
所謂家族愛というものに対する思想ですが、おそらく私はあなたと決定的に理解し合えない部分だと前回のあなたの「愛について」の思考をお聞きして感じました。僕は理解し合えないんだな、ということを理解出来る瞬間が大好きですがたいていの場合は不快なので貴方にとって俺はそれで苦しんでんのになんだこいつと思う場合もあるかもしれませんがどちらかと言うとこれは僕からのラブコールとして受け取って頂きたいと思っていることをここ記した上でその齟齬についてすこし書き連ねようかとおもいます。
まずあなたの行っている積極的家族愛(自然的に存在するのではなく愛を愛たらしめ、相互間の共通認識を捏造するという、貴方が欺瞞行為を行っていると感じてしまっているそれらの総称ここでは指したい)に関しては私自身にも身に覚えがあります。ですが僕の場合これで「どうにかなった」、なんだかんだ「うまくいった」という利益を産んだことがありません。小4の頃、母の誕生日に友人にデパートに連れて行ってもらい、お小遣いでピーターパンのTシャツを購入し送ったことがあります。この頃、家庭環境は特に劣悪な時期で、おそらく私の純な母への愛とそれらから救われるという利益還元を求めてしまう双方の意図があったと思われます。返答は「私のお金で無駄なものを買って私に送り付けてどうするの?」です。そのままTシャツはプレゼント箱から取り出されることはなく、日毎に足元のゴミたちと同化して沈んでいくのを眺めていました。金を使うのがまずかったのだと翌年に絵を描いて、花を摘んで送りました。同じく、ビニール袋から取り出されることはなく、床と呼ぶにはいささか柔らかい紙ゴミたちの暈を増すだけのそれでした。以降私は母にプレゼントを贈ったことがありません。また、母から誕生日に、プレゼントを頂いたことはありません。
母から得られなかった親からの愛情というものが、以上に欲して次は父に標的を定めます。ちょうどその頃父はイラク出張から日本に帰国しました。父の誕生日に、手作りの菓子と絵を渡しました。ありがとうと言われて有頂天もつかの間、舌の根も乾かぬうちに「すまなかった」と謝る言葉がその後長らく続きます。私がそのような事をすると、父は自責の念に駆られるようです。母の元に私を置いて逃げてしまった負い目を、この人は自分の終生償わなければならない罪として捉え、自己陶酔をしているようでした。そのため、私が世間的に喜ばれるであろう娘のロールプレイを行うと、父は苦しむようでした。このような諸々が積み重なり、中学の頃に家族愛を諦め、ひとりでいることが何よりあのひとたちを苦しめないらしいということで僕はご存知の通り一人暮らしがそのまま続いています。
今にして考えてみると、母は母でありたくない方なので(本人談)、母を母たらしめてしまう様な子供からの「母親への愛」を向けられること自体が苦痛に等しいのだと思います。
父は、どちからというと、所謂「手のかかる子」の方が愛を向けやすかったのだと思います。その良かった例が私の兄で、父によく金を借ります。それを父は、しょうがのないヤツめ、と金を与えてやることをあの人にとっての心地よい家族愛なのだと思います。しかし、私の考える愛とは全くの真逆であり、それをたとえロールプレイだとしても僕は父に金をせびって、それを自由に使うことなどは、私にとってはむしろ私を滅ぼす事でしかありませんでした。それだけです。家族とは言えど他人ですので、愛の共通認識が恐ろしく噛み合わなかった、価値観の違いでしかありません。決定的に家族に向いていない性質の人間が集まってしまった。以上です。それだけだと思っています。