江雪左文字【極】についての考察と感想
〇はじめに
江雪左文字と聞いて、多くの審神者が思い浮かべるのは「和睦」という言葉だろう。また左文字兄弟の兄で、平和主義の穏やかな刀剣男士だとイメージする人が多いのではないだろうか。袈裟を纏い僧侶のような恰好をしているのもあり、「悟っている」人だと思われることも多いようだ。
しかしそれは、「和睦」「兄」「仏教」などの言葉のイメージが強い気がする。私が抱いているイメージは、全然違う。彼と向き合って見えてくるのは、煩悩だらけの、悟りとはほど遠い、駄々っ子のような青年の姿だ。そしてそんな彼だから推しと言えるほどに好きになった。
彼は自分の弱さ、未熟さ、弱さを隠そうともしない。戦いを命じている存在である審神者に対して、「戦いは嫌い」と言い放つ。だが彼は強くなるために修行の旅に出た。なぜ嫌いなはずの戦いを極めようとしたのだろうか。
結論から言えばそれは、彼が自身の内面の地獄に耐えがたいほどの苦しみを感じ、救いを求めていたからだ。しかし彼は救いを見つけることができなかった。「和睦」という理想は潰えた。だが彼は折れずに帰ってきた。江雪左文字は、戦いを以前にもまして嫌悪しながらも、戦いにあえて身を置く道を選ぶことで、真に審神者の刀となったのである。
江雪左文字の極が実装されて既に数か月たった。未だにボイスを聴くと胸が震える。この感動をなんとか言葉にしたいと願い、書き始めてからかなりの時間が経ってしまった。私という人間を通した解釈と感想。自分用の覚え書きである。だが、もし同じものを汲み取ってくれる方がいれば幸いである。
〇江雪左文字はなぜ修行に出たか
そもそも修行に出る前の江雪左文字とはどのような刀だったのだろうか。
刀剣乱舞はキャラクターを戦わせて敵を倒すことで育成する戦闘シミュレーションゲームである。そんな「戦うゲーム」のはずなのに、江雪左文字は戦うことを徹底的に拒否する。審神者の命令に対しても彼は反抗的である。
「戦いは……嫌いです」(本丸)
「私に……何をさせようと?」(入替)
「……拒否権は、ないのでしょう」(装備)
江雪左文字の台詞に共通するのは、このような「戦い」に対する否定の態度だ。しかも審神者が自分を戦わせる存在であることをわかっていて、あえて口にしている節がある。要は当てつけのように、暗に責めているように受け取られても仕方がないほどあけすけに言うのである。
しかし戦いが嫌いであることを表明している刀自体は珍しくもなんともない。「戦いはあまり好きではない」と公言しながらも、それが刀剣男士としての使命であり、もしくは歴史を守るという大義のためであると理解して戦っている刀は他にもいる。
彼らと江雪左文字との大きな違いは、江雪左文字には「嫌いだ」ということを我慢してまで戦うほどの目的を持たないことではないか。主に認めてもらうために強くなりたいとか、誰かを守るために強くなりたい、というような向上心もないと受け取れるのである。ただひたすらに戦いというものを嫌悪する。守るため、などの戦いを正当化する理論はいっさい認めない。
ではなぜ江雪左文字はそこまでして戦いを厭うのだろうか。その問いを解くには、彼にとっての「戦い」とは一体何であるのかを考えなくてはならない。戦闘中の台詞に、その直接的な答えとなるような言葉がある。
「戦うということはこういうことです」(会心の一撃)
この台詞が会心の一撃、つまり必殺技を繰り出すときの台詞であることを考えれば、答えは見えてくる。「戦うということはこういうことです」と言ってから、敵を殺すのだ。戦うということは、殺すということ。敵の視点からは、殺されるということ。つまり彼にとっての「戦い」とは、「殺し合い」なのである。
彼が戦いを厭うのは、殺し合いを厭うということ。確かに、殺し合うということは普通嫌なことなのは当たり前だ。それをなぜ江雪左文字は、とりわけ嫌悪するのか。彼が単に優しくナイーブな性格であると解釈しても良いが、私はもっと根本的な理由があると考える。
ここで、彼の見た目が僧形であることに着目する。つまり彼は仏道に帰依する刀である。後述する「祈る」という行為もそれを裏付ける。それでは、仏道に帰依する者にとって、殺し合いとはどのような意味があるのか。
仏教、とりわけ日本において独自の発展を遂げた信仰においては、人間は罪を犯すと地獄に落ちると考えられていた。生前犯した罪の種類によって落ちる地獄は異なってくるが、もっとも基本的な罪は「五戒」(仏教における5つの戒律)の第一にも掲げられる「殺生」である。殺生の禁止とは多くの宗教で掲げられる普遍的な禁忌である。そして江雪左文字が度々口にする「地獄」という語彙から推測すると、彼は罪を犯すということ、そして罪を犯すと地獄に行く、つまり救われないということを非常に意識していると考える。
「訓練であれば……、と思ってしまうのは、罪深いことでしょうか?」(演練)
「生きとし生けるものに触れることは、救いですね」(馬当番)
戦い、敵を殺すことは彼にとって「罪」である。逆に生きているものと触れ合うのは「救い」なのである。彼の罪業意識は非常に厳しいもので、訓練であるからといって戦っていい理由にはならないらしい。
だが、彼は人間の姿をしているが日本刀だ。つまりは、武器である。それも、日本刀の長い刀身は戦場で抜かれたが最後、高確率で敵を死に追いやる。もしくは持ち主自身が死に至る。日本刀とは、美術的価値等を考慮に入れずに考えると、人を殺すための道具なのである。人殺しの道具が、殺しを罪だと自覚し、殺したくない、罪から救われたいというのだ。江雪左文字の凄まじい内面の葛藤が想像できるだろうか。
ではここで改めて、江雪左文字がなぜ修行に出たいと思ったのか、私なりの考えを述べる。
主へ
私は自分を見つめなおす旅の途上です。
刀という戦いの道具でありながら戦いを憎むこの矛盾。
この迷いに何らかの決着を付けなければ、おそらく先に待つのは破滅でしょう。
答えが見つかることを、祈っていてください。
(手紙1)
江雪左文字は第一通目の手紙において、戦いの道具でありながら戦いを憎むことを、「矛盾」「迷い」と表現している。そして修行で何らかの答えを見つけなければならず、見つけられなければ「破滅」が待っているという。そこには、矛盾自体から解放されて、悩むことなく戦いに専念したい、というような気持ちがうかがえる。
第一の手紙からは、内面の苦しみを癒す糸口を探していることがうかがえるのだ。罪を重ねても、救われなくてもいいから戦いを選ぶというような明るさは微塵もない。彼は、迷い続ける自分の心の弱さや、自己矛盾で苦しむ心(=煩悩)から解放されたくて修行に出たのだ。
だから第一通の時点では、彼の辿り着く答えが「大切な仲間を守るためなら戦える!」である可能性もあったわけだ。彼は免罪符を探していたのだから。戦う理由が欲しかったのだ。さらに言うと、戦っていく先に「和睦」が待っているという確信を得たかったのだろう。「和睦」キャラとして知られる江雪左文字だが、正確に言うと「和睦を求めるキャラ」なのである。和睦の具体的な方法など、確実なことは分からないのだ。だから、それも修行で探そうと思ったのだろう。
私は一通目を読んだとき、「彼は自分を許すことができなかったのだなあ」と感じた。綺麗事でもいいから戦うための美しい理由をでっち上げて、無我夢中に剣を振るってもいいではないか。美味しいものを食べて、お酒を飲んで、美しい自然を感じて、たくさん仲間と遊んで……そんな風に戦いから目を逸らして過ごしてもいいではないか。自分の罪と思わずに、戦いを無理やり命じている審神者に全ての罪をなすりつけてもいいではないか。だが、彼はできなかったのだ。自分の偽善・怠惰・逃避が許せない性格。彼は内面的な理由で苦しみ、それが理由で修行を選んだのである。
〇江雪左文字は修行先で何を悟ったのか
主へ
旅の行き着く先は、相模。
元の主である板部岡江雪斎に師事し、己の煩悩を晴らすつもりです。
戦とは。和睦とは。
学ぶことはいくらでもあります。
道は険しいでしょうが、修行とはそういうものでしょう。
(手紙2)
主へ
どれだけ学んでも、どれだけ修行しても、戦いを悲しく思う心は変わりません。
ですが、それで良いのだということを学びました。
必要なのは、その心を抱えたまま、当事者として身を置くこと。
遠くから他人事のように悲しむのではなく、
悲しみを減らすべく、己の身を切る最前線に赴くこと。
主よ、私は貴方の置かれた状況を悲しく思います。
ですが、だからこそ、貴方の刀として、共に地獄を歩むとしましょう。
(手紙3)
第二通目の手紙は、江雪左文字の修行の内容が具体的に推測できる内容となっている。修行先の地名である相模とは現在の神奈川県に相当する。元の主の板部岡江雪斎に師事する、ということは、板部岡江雪斎が小田原後北条氏の臣下として活躍していた時期の小田原に逗留していたと考えてよいだろう。その時代のその土地で、江雪左文字は懸命に学び、懸命に修行をした。だがその結果は、「戦いを悲しく思う心は変わ」らないというものだった。
「和睦の道が見えぬ以上、戦いは避けられません。ならば、私が強くならねばならぬのも道理……」(修行帰還)
修行帰還台詞は、彼が修行先で辿り着いた結論を端的に表している。つまり、必死に学んでも、必死に修行しても、「和睦の道が見えな」かった。「和睦」という物語を背負った刀は、「和睦」が不可能だと理解したのである。いったいなぜ和睦は不可能だと彼は結論づけたのだろうか。ここからは、私の推測であるが、江雪左文字は小田原に逗留する間に、小田原征伐を経験したのではないだろうか。
「小田原征伐(おだわらせいばつ)は、天正18年(1590年)に関白太政大臣豊臣秀吉が、小田原北条氏(後北条氏)を降した歴史事象・戦役。北条氏と真田氏(上杉氏)の間での領土紛争を豊臣秀吉が仲裁したが、この沼田領裁定の一部について、北条氏が武力で履行を行ったことが豊臣政権の惣無事令違反と看做され、北条氏は豊臣氏の軍事力による攻撃を受けた。」(Wikipedia‐小田原征伐)
豊臣秀吉と小田原北条氏の間に生じた軋轢において、板部岡江雪斎は関係修復のために奔走した。その努力の甲斐あって江雪斎は和睦の道を切り開いた。ところがそれを主家が破綻にし、後に小田原征伐と呼ばれる戦が生じて、小田原北条氏は滅亡したと言われている。つまり、和睦の道もあったにもかかわらず、江雪斎の主君は自ら戦の道を選んだ。江雪左文字はそういったことの全てを目撃して、深い印象を得たのではないだろうか。
板部岡江雪斎は非常に優秀な人物で、カリスマ的な知性と外交力を持っていた。和睦に関しては正真正銘のプロであったわけだが、それでも戦が起こるのを阻止できなかった。なぜ戦争が起こったのか。それは、「戦争にならないこと」が最善で最適とは考えない人間が、組織のトップにいたからである。
「戦争をしないこと」が最重要課題ではない価値基準で支配層が動いていると、どれだけ末端や一介の臣下が忌避し、平和を願おうと、戦争は起こってしまう。これはどうしようもないことだというように、江雪左文字の目に映ったのではないだろうか。構造的な問題に対して、自分1人がどれだけ文武極めようとも、状況を変える力は無いということを悟り、戦争というものに対する自分の根本的な無力さを痛感した。それは「和睦」の刀にとって、重い挫折の経験となっただろう。
〇江雪左文字は修行を経てどう生きることを選んだのか
修行から帰還し、「極」となった江雪左文字は、以前の彼とどう変わったのだろうか。最も大きな変化としては、「戦い」そのものを深く忌避し、戦闘には極力出たくないと考えていたところから一転、戦いの最前線に立ち続けることを選んだということが挙げられるだろう。ここでもう一度手紙の第三通を引用する。
主へ
どれだけ学んでも、どれだけ修行しても、戦いを悲しく思う心は変わりません。
ですが、それで良いのだということを学びました。
必要なのは、その心を抱えたまま、当事者として身を置くこと。
遠くから他人事のように悲しむのではなく、
悲しみを減らすべく、己の身を切る最前線に赴くこと。
主よ、私は貴方の置かれた状況を悲しく思います。
ですが、だからこそ、貴方の刀として、共に地獄を歩むとしましょう。
「己の身を切る最前線に赴く」ことを決めた江雪左文字の心情には、「戦い=悲しい」という認識が依然として存在する。戦いを決して肯定しないという態度を崩すことなく、彼は戦うことを選び取った。このことは何を意味するのだろうか。
戦嫌いの彼を修行へと駆り立たせた苦悩は、内面的な要因であると述べた。その内面の苦悩の果てに辿り着いたのは、その苦悩の「受容」であったと私は考える。修行以前の彼の戦に対する基本的な態度は、消極的なものであった。それが戦いの最前線に立つことで、「戦いも、それによって生まれる罪も、自分で背負っていこう」という積極性へと変化した。殺生という重い罪を犯すことを、自らの業として受け入れ、悲しみ、嘆く心をいっそう深くしながらも、否定しないことを選んだのである。
違う言い方をすれば、戦いから目を逸らさないことを選んだ、とも言えると思う。一般的に、この世界には大小さまざまの悲劇が日々生じている。それらの悲劇と自分との距離は、すぐ目の前のこともあれば、地球の裏側で起こった悲劇が報道を通じて感じられることもある。遠くの場所で起こる悲劇を知ると、少なからず落ち込むが、美味しい食事を食べると、勝手にいつの間にか回復している。そんなことの繰り返しが人の生活というものだが、江雪左文字はそんな生き方をできない人物なのではないか。
本当に自分の目で見て、自分の身体で体験したわけではないのに、想像で同情したり意見を言うのが、少し傲慢な気がしてしまうあの感じを、江雪左文字は許すことができなかったのだと思う。戦いは嫌だが、戦いから逃げる自分はもっと嫌だ、ということだ。自分が戦いから逃げている間に、見えない場所で終わらない戦いの悲劇は続く。それなら目を逸らすことなく自ら戦って肌身で悲劇を感じたほうが、救いは無いが江雪左文字にとってはましなのである。
彼の中にある「戦いを悲しく思う心」を、以前の彼は否定的に考えていた。それを「それで良いのだ」としたことで、彼は自分の弱さから逃げないことを選んだのだと思う。もしくは、逃げていたということを認めたのだ。自分の中の悲しみ・苦しみと、共に生きていくということを受け入れた。そんな風にしか在れない自分を否定するのではなく、自己矛盾を受け入れて帰ってきた。変えるのではなく、認め、受け入れた。それが江雪左文字の変化だ。
もう1つの大きな変化としては、「貴方の刀として、共に地獄を歩む」という手紙の言葉からうかがえるように、彼は審神者の罪を共に背負うことを選んだ。これについては章を改めて後述する。
また人によっては、江雪左文字極は「仲間を守る」ということに戦いの理由を見出したと感じるかもしれない。
「戦いは嫌いです。しかし、皆を守るのが私の使命……」 (一騎打ち)
「せめて、彼らを守る……それくらいはしましょう」 (結成(隊長))
しかし私はそうは思わない。「守るという戦」ということにして戦を肯定することは決してしない。それをしてしまったら江雪左文字ではないのである。では上記の2つの台詞はどう解釈すれば良いのだろうか。私はここで「せめて」という言葉に着目する。
「せめて」とは彼の口癖である。この短い三文字の前には、このような彼の心情が隠されているように思う。
「(こんなことをしたところで、本当の意味での解決・救いに繋がるなど微塵も思っていませんが、何もしないでいるのも心苦しく、私にできることはこれくらいしかないので、)せめて…」
「せめて」の後に続くのは、一切の自負心のない行動だ。自分の無力さを理解しながらも、何かに突き動かされるようにして行うアクション。もしその先に悲劇しか待っていないとしても、江雪左文字は悲しみながらも全てを受け入れるだろう。何故なら最初から、良い結果など一切期待しないのだから。
〇「悲しみ」ということについて
江雪左文字は極となり、生き方への迷いが無くなった。しかし、以前から彼の内面を支配していた悲しみ・苦しみは消えていないまま、むしろ以前より強くなった。江雪左文字は仏教的に悟っている刀だと誤解されることがよくあるが、極になった後ですらも仏教的な悟りになど至っていない。悲しみなど、煩悩そのものだからだ。
第三通において、「悲しみを減らすべく、己の身を切る最前線に赴く」と彼は述べる。ところが本丸では、「刀である私が力を振るえば、それだけ悲しみは拡大していくでしょう」と矛盾することを語っている。悲しみを増やすと分かっていながら、悲しみを減らしたいと願い戦場に立つ矛盾。戦場に立つことが、自らの罪を重ねることであると自覚しているように聞こえる。なぜ彼はそこまでして悲しみ、そこまでして戦うのだろうか。
それは江雪左文字の性格が、どうしようもなく自分に厳しいからだと思う。自分の中の偽善や欺瞞を決して許さないという、真面目で高潔な精神が彼には備わっている。先述の通り、その高潔な精神性は、大儀や正義のような、耳触りの良い、戦いを正当化する理念を徹底的に否定する。彼は自己を正当化しない。仏教的な平等主義の慈悲心で敵味方無く憐れむのである。客観性を重んじる性格と言っても良いだろう。
そんな彼から出てくる「悲しい」という言葉は、誠実な愛の形だと私は思う。心を乱されるような酷い出来事に対して、怒りでも、嘲笑でも、諦めでもなく、ただ「悲しい」と言う。物事の本質に対する深い理解がなければ出てこない言葉ではないだろうか。
「あなたが悪いというわけではないのでしょう。ですが……これが戦いです……!」 (真剣必殺)
敵を殺すのは、自らが善で敵が悪だからではない。そんな単純な二元論ではない。しかし戦いである以上、必ず殺さなければならない。それは世俗的な善悪の観念とは関係が無く、彼と相手とには殺し合うという「因縁」が生じているからである。その「因縁」自体を彼は、「悲しい」と言っている。表面的な善悪ではなく深いところに、個人の努力では変えることが決してできない背景や原因があることを理解しているのである。
〇文武極めた先に辿り着いた、「祈る」ということについて
「世を覆う悲しみに対し、私は祈ることしかできません」(本丸)
江雪左文字は修行を経て、「祈り」を深めて帰ってきた。和睦の道は無く、戦っても悲しみは増えるだけ。自分にできることは何一つ無いと理解し、「祈り」に到達した。「祈り」とは、神仏に行く先を託すことである。
祈るということを、一般的に、単なる神様への願い事であり、思考停止や甘え、逃避のように捉える人も多いだろう。だが私は違うと思う。祈る以外に何もできることは無く、もし「できる」と思ってしまったらそれは自己欺瞞であると江雪左文字は理解してしまった。修行の中でどれほど学び、どれほど肉体を鍛えても、答えなど出ないということが明確になるばかりだった。「自力」では無理だと、徹底的に悟ったのだと思う。
救われたいという気持ちすら消えかけるほど、自分の無力さを悟った時、「祈る」という方向へと導く神の手が伸びてくる。信仰心すら神からの賜物であると考えるキリスト教や大乗仏教の思想である。江雪左文字の「祈り」は逃避ではない。「祈ることしかできない」と悟ってしまうほどにもがき苦しんだ、立派な人だということなのだ。
〇審神者へのまなざしについて
どれほどの罪を背負うことになろうとも戦いの最前線に立とう、という江雪左文字の覚悟は、悲しい覚悟だ。けれど、彼はひとりではない。同じ地獄をともに歩む存在―審神者がいる。審神者の今いる場所が「地獄」であると、江雪左文字は明確に言ってのけた。
「貴方が望む限り、戦いは終わらないでしょう……そしてそれを、誰が咎められるのでしょう……」(本丸(負傷時))
この台詞を聞いたとき、あまりの凄さに息を飲んだ。審神者の大義名分に対して真っ向から皮肉を言っている。審神者が本当に望み、行動すれば、彼の嫌いな戦いは終わる。けれどその選択は、行われることは無い。審神者には歴史修正主義者と戦い、正しい歴史を取り戻すという大義名分がある。しかも審神者はまったくの全てを自分の意志で戦っているわけではなく、時の政府からの指示に従って戦っているのである。
誰にも咎められる資格など無い、と言う。審神者を咎めることで解決できることならそうするけれど、自分はそれをしないのだ、と言っているようにも取れる。なぜ誰にも審神者を咎める資格が無いのだろうか?
それは、誰もが戦争に加担する可能性があるからである。人格の良し悪しや意志の強さ、時代や思想などに関係なく、人間というものは条件さえそろえば、簡単に戦争を選んでしまう。戦争に加担するから悪なのではない。敵だから悪なのではない。そういう因果になっているから、人は人を殺す。
江雪左文字の中には、人間社会に対する深い理解と諦念がある。人間とは戦争を選んでしまうどうしようもない存在だと知っている。しかし、それでも「悲しい」と思う心を手放さない。戦いを指揮してる審神者の心は、恐らく既に麻痺しているというのに。彼は戦いに慣れてしまうことを自分に許さないのである。
「主よ、私は貴方の置かれた状況を悲しく思います。
ですが、だからこそ、貴方の刀として、共に地獄を歩むとしましょう。」
江雪左文字は、審神者の罪を一緒に背負うことで”審神者の刀”になった。修行の以前は、審神者が戦いを続けることを、当てつけのように、遠回しな言葉で批判してきた。その態度が、極になって一転したのだ。
「主よ、地獄を歩む戦乱の王よ。貴方は……この先に悲しみ以外が待っていると思いますか」(本丸)
江雪左文字から審神者に対してはっきりとした言葉で向き合い、問いかけてくれたはじめての言葉である。私は江雪左文字と審神者が、目を合わせて大事な話をできるような関係になったことを心から嬉しく思う。
「せめて……私は貴方の為に祈りましょう……貴方の行く先に安らぎが待っているよう……」(本丸(放置))
「せめて、貴方の為に祈りましょう」とは、私が刀剣乱舞に出会って以来何年もずっと愛し続けた、江雪左文字の最も好きな台詞である。その台詞に続きがくっついて、本丸にいる彼から告げられた時の幸福感は天にも昇るようであった。
地獄を共に行こうと言ったばかりなのに、審神者の歩むその先にやすらぎを祈ってくれる。地獄だとわかっていて、それでも、否、それだからこそ、審神者の魂にやすらぎが訪れることを、「祈って」くれる。穏やかな春の日に、ふたりでのんびりと、庭を眺めながら。これが束の間の平穏だとわかっていたとしても、そんなことを言い合えるようになったのである。
〇おわりに
江雪左文字が私に教えてくれたことは沢山あった。それは昔から、極になった今でも変わっていない。極になった彼はまさしく彼自身そのものであり、何ひとつとして戸惑うことがなかった。私の今までの解釈は間違っていなかったのだ、と深く安堵した。そして彼がより深く審神者に近づいてきてくれたことが何よりも嬉しかった。
江雪左文字が教えてくれること。思考停止ではない祈りがあること。全てのことは善悪ではなく、縁起で生じる。そんな仏教的な世界観に、私たちが争わなくて済む糸口があるということ。そして悲しみを抱えたまま生きていくという深い優しさの形。その尊さ。私はいつまでも江雪左文字を愛し続けるだろう。彼が審神者の罪とともに歩んでくれるかぎり、ずっと。