『デビュー』 森永和子
起きがけに、拝受した同人誌『水盤』を読んでいた。バックナンバーから最新号まで、読み進めていくうちに、1つの詩に立ち止まった。
デビュー
森永和子
あちらのステージへどうぞ
示されて迷っている
こちらからあちらへ
小島を渡る鳥のように
簡単には飛べない
未練や執着ではない
悲嘆も絶望もなかった
立ち止まれないことの
疲れに飽きたのだ
それは
生きとし生けるものの宿命とはわかっていても
視界を閉じて
つい仰向きたくなる
病も複雑になれば
病院はワンダーランド
見たことも聞いたこともない
あれやこれやの
不思議の国
そこで聞いた話
死の苦しみは産みの苦しみ
ああ、死ぬぞ死ぬぞと
前へ進めば
初声あげて
振り出しに戻るのだと
死ぬことが生まれることだとしたら
それは恩寵だろうか
それとも地獄だろうか
クラス替えの寂しさとときめきを
思い出してみるが
新しいクラスにもすぐ慣れて
既視感に襲われる
そんなことをどれだけ
くり返している
何のために?
せめてポイントくらいつけてほしい
スポットライトが当たる
一度きり(かどうかわからない)生にも死にも
深呼吸したら
背筋を伸ばし
股関節からゆっくり倒す
とびきり美しいお辞儀を一つ
終わらない時間が
また流れていく
(全文)
『水盤』24は、2022年11月20日発行。この詩は同年夏頃書かれたと推察することができる。あの夏は確か、新型コロナウィルスオミクロン株が猛威を奮っていた。いつ終わるかわからない閉鎖的な生活、老若男女誰しも死との距離が近かった。そんな心理的背景から、この詩は書かれたのか。
「死の苦しみは産みの苦しみ」何ともユニークな発見!「産む」時期は妊娠発覚時に知ることができる。産むか否かを、選択することもできる。しかし、死は、余命宣告されたとしても、その通りにはなりにくい。だとすれば、「産みの苦しみ」よりは、「生まれる苦しみ」かもしれない。暗渠のような産道を一人ぼっちで旋回しながらこちらの世界に、まるで排泄されるように嬰児は生まれ落ちる。耐え難い程の恐怖体験であるため、自己防衛本能から「生まれた」時の記憶を、私たちは失ってしまうのかもしれない。
最終連の「とびきり美しいお辞儀」は「死」デビューの瞬間?決して明るいテーマではない何にもかかわらず「クラス替え」や「ポイント」などの小道具が、この詩を洒脱な一品に仕上げている。
同じ作者による掲載詩『遠足』の「人生そのものが夢/あのカワセミも鹿もさかなたちも/とうに
命は失って/複雑な入れ子のなかだけで生きている」も、私をうなずかせた。入れ子、なるほど、と。そういえば、私自身、愛猫を交通事故で失ったとき、「死」を表現するのに『遠足』というタイトルの詩を書いた。
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