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水栽培の猫誕生秘話3

  頂戴したり購入したりで、私は一日平均一冊程度、詩集を読みます。けれども「詩集」と呼ぶよりは「アンソロジー」と名付けた方がふさわしいと感じる詩集にたびたび出遭って残念です。作った順に手当たり次第に作品を詰め込んだ印象を受ける詩集が少なからずあるのです。例えば、100頁の詩集に30篇の詩を収めるとします。各々の詩篇が優れたものであっても、赤い詩の次に黄色い詩、それから青い詩が続いたら信号機みたいで頭がちかちかしそうです。それなりのタイトルを冠した一冊の詩集であるのなら、そこに漂う香りや色彩のトーンは統一されるべきです。
 詩集をつくるときに重要なことは二つあると考えています。ひとつは収録作品の選択で、もうひとつはその配列です。両者はどちらも同じくらい大切で譲れません。詩の配列についてですが、2004年に刊行され、第55回H氏賞を受賞なさった山本純子さんの第二詩集『あまのがわ』(思潮社)のあとがきに大変参考になることが書いてあります。私は自分自身で行うのですが、山本さんは詩の配列を、第一詩集、第二詩集共、ミュージカルを中心に音楽活動をなさっている増田明氏(ボディートーク協会会長)にお願いなさっているとのことでした。増田氏の詩の配列のこころがけについて、詩集『あまのがわ』あとがきより引用させて頂きます。

 それは、音楽のプログラムを構成するときと同じですね。お客さんはそれぞれ、日常雑然とした息のまま、会場へ集まってきます。日常の息のまま、席に座っているわけですから、そこへ最初にあまり深刻な曲や極端に繊細な曲を持ってくると、こころがついていかない。最初は、軽い感じのもの、客観的で冷静なもの、そしてちょっとこころが弾むものを持ってくるのがいいですね。
 詩集も同じです。読む人が、日常の息のまま、すっと入ってこれるようにしなくちゃいけない(後略)。

 仰る通りと思いました。だからこそ私は、詩集の巻頭に詩『水栽培の猫』を置きました。『水栽培の猫』は、タイトルにもしております。小学校の時、理科の授業などでヒヤシンスの水栽培をなさった方は多いと思います。ガラス容器の中に伸びてゆく根っこが不思議で、私はわくわくしました。「命」を見せつけられているような気がしたのです。それから、野良猫を拾う(拾いたいと思う)経験をなさった方も多いでしょう。水栽培の猫とは、こんな詩です。

水栽培の猫

ベランダに
猫が一匹まよいこんだ
どこにでもいそうな
やせっぽちの猫だ
アパートはペット厳禁だけど
水栽培ならばれないかなと
窓辺のガラス容器に
水を張ってのせておいた
三日も経つと
水を吸った猫は
ふっくらとうめいになった
すっかりなついて
朝のゴミすてにもついてくる
アパートの住人は
気がついていないふう
おきまりの笑顔で
おはようございます
今日もいい天気

血管もはらわたも
とうめいなのに
胸のあたりに耳をあてると
とくんとくんと鳴っている
抱いて寝るとほかほかだ
けれどいつかは
つめたくなるのかな
想像したら泣きそうになった

おとなりさんも
そのまたおとなりさんもこっそり
水栽培の猫を飼っているらしい

おはようございます
おはようございます
おはようございます

ベランダで
朝顔がつぎからつぎへと
すきとおった花を咲かせる

*これは11月24日、広島県詩人協会秋の詩祭の講演のために書いています。

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