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【ソシガヤ格闘記】ウィキペディアタウン@祖師ヶ谷大蔵を開催しました(前編)

お久しぶりです。
祖師谷・砧を盛り上げるために活動するキザシプロジェクト。
現在は祖師谷・砧地域の歴史や文化を探究する活動と、同地域に住む人たちが気軽に繋がり合えるきっかけづくりをテーマに活動をしています。

今回は、9月29日に開催した「ウィキペディアタウン@祖師谷大蔵」の振り返りを、前編・後編に分けてお届けします。少し内容が多いため、段階を踏んで振り返ります。

「今後ウィキペディアタウンを開催してみたい」「地域の歴史保全活動に取り組みたい」とお考えの方に、ぜひ参考にしていただければ嬉しいです。

ウィキペディアタウン@祖師谷大蔵

ウィキペディアタウンとは?

ウィキペディアタウンは、地域の文化財や観光名所に関する情報をインターネット上の百科事典「ウィキペディア」に掲載し、誰でも簡単にアクセスできるようにする取り組みです。2012年にイギリス・ウェールズのモンマスで始まり、世界中で開催されるようになりました。

日本では2013年2月、横浜で行われた編集イベントが最初とされています。それ以降は北は北海道、南は山口まで、全国各地で開催されています。

企画の進行は、テーマや参加者の層、人数に応じて柔軟にプログラムが組まれるため、会によって異なります。今回は初回ということもあり、セミクローズドの環境で少人数の形で実施しました。実際に参加者と一緒に街を歩き、事前に収集した資料を基に編集作業を行いました。

詳細な様子については、次回の後編でお届けしますのでお楽しみに!

祖師谷の特徴は「地理」に見出せるのでは?

私は歴史や民俗を専門的に学んでいるわけではありませんが、昔からこれらの分野に漠然とした興味を抱いていました。特に、柳田國男やバーナードリーチの著作に触れる機会が多かったことや、1920年代の「民藝」運動に接点が多かったことが、その背景にあるかもしれません。こうした個人的な興味に加えて、祖師谷の独特の雰囲気や特徴も、地理的要素から見いだせるのではないかという感覚を持っています。

例えば、祖師谷という地名に「谷」という漢字が含まれていること、また祖師谷の旧家である川本、福田、内海という名前にも自然の地形を表す漢字が使われていることが挙げられます。さらに、祖師谷の小字(地名)が「根ヶ原講中」「下台講中」「西台講中」の3つに分かれていることからも、街が台地と川を中心に形成されてきたことがわかります。

歴史的にも、祖師谷は仙川の影響を強く受けてきた地域です。元々は農村であり、水や河川の存在が生活に欠かせなかったことは言うまでもありません。例えば、町の中心にある釣鐘池では雨乞いが行われ、北部の品川用水では盗水事件が発生し、町内にはいくつか水車が存在していたことからも、水と祖師谷の関係は非常に深いものでした。

しかし現代では、洪水や水害への対策として地下水が暗渠化されており、水の音を身近に感じることは少なくなっています。今回の企画でも、「祖師谷にはよく来るけれど、釣鐘池の存在を初めて知った」という方が何人かいらっしゃいました。

開催に至ったのは、墨田区の知り合いからの紹介

今回の開催のきっかけは、墨田区にお住まいの知り合い、吉川さんのご紹介でした。墨田区は文化財や歴史が豊富で、関東大震災などの災害から得た教訓を活かし、文化保全活動が積極的に進められています。その一環として、WikiPediaタウンも開催されています。

吉川さんがその活動に参加されていた際にお話を伺い、私も好奇心から祖師谷での開催を決意しました。さらに、ウィキペディア日本語版の編集者であるあらいしょうへいさんをご紹介いただき、今回の取り組みが本格的にスタートしました。

ひたすら資料を探しまくった1ヶ月程度

Wikipediaに情報を掲載する際は、信頼できる資料や調査に基づく引用が必須です。信頼性の高い資料とは、出版された書籍、学術論文、新聞記事、政府機関の発表などが挙げられる。これらの資料は検証可能で、他者が再確認できるものでなければならない。独自の研究や未発表の情報は使用が禁止されており、必ず第三者の確認が可能な情報を引用することが求められる。

あらいさんのお言葉

あらいさんと初めて出会った頃は、かなり楽観的に考えていました。「資料なんて探せばすぐに見つかるだろう」と、勝手に思い込んでいたんです。ところが、実際に調べ始めると、ほとんどの情報が口頭伝承や伝聞によって伝えられていることに気づかされました。

ウィキペディアは百科事典であり、情報の信頼性や再現性が非常に重要です。そのため、該当する資料が少ないことに約1ヶ月前には気づきました。この事実に直面してからは、手を尽くして様々な場所を訪れ、資料集めに奔走しました。資料の信憑性を確認し、正確な情報を提供するために、多くの時間と労力を費やしたことは、今回の取り組みの重要な部分でした。

以下が主にやったことです。

  • 世田谷区内図書館を全て周り、該当書類をくまなく探す

  • 世田谷区図書館、成城大学図書館、世田谷区文学博物館、世田谷美術館、にレファレンスリスト(「世田谷区」「仙川」「河川」「治水」「水害」など)を送り、単語ごとに該当する資料を洗い出す

  • 世田谷郷土資料館などの資料を一通り目を通し、世田谷区区誌研究会が発行する雑誌せたかいなどを調査する

  • 東京都立図書館、国会図書館へのリファレンスリストを依頼し、同様に調査依頼をかける

  • 周辺の小学校や中学校、千歳農業組合の記念誌(千歳小学校記念誌、祖師谷小学校記念誌、千歳農業組合誌)をお借りする

  • 「まちの資料を集めています」というチラシを域内の掲示板に掲載し、「まちの資料を集める会」を実施する

  • 祖師谷の周辺地域である廻沢や船橋、砧、烏山、調布などの資料も拝見し、祖師谷に該当する記事を調査する

  • 世田谷トラストまちづくりさん経由で、品川用水研究会という団体にコンタクトするも、連絡が届かず。

  • 大宅壮一資料館にて、該当するテーマ(「世田谷区」「仙川」「河川」「治水」「水害」)の資料を調査する

  • 朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日本経済新聞のデータベースから該当する単語を検索し、該当記事を調査する

まちの資料を集めてます!の資料を作成

様々な手法を駆使した結果、約50件の資料を集めることができました。その中でも特に効果があったのは、レファレンスリストの活用でした。東京都立図書館や世田谷区図書館の司書の方々の協力のおかげで、東京都全域の洪水や水害に関するデータを手に入れることができました。返答には約10日ほどかかりますが、この手法は非常に有力でおすすめです。

しかし、実際に資料を確認すると、一部の情報だけが記載されていたり、既に知っている内容が多いものがありました。まさに「量が質を凌駕する」という言葉の通り、集めた情報を総動員して、ようやく一つの記事が形になる感覚でした。

テーマは、仙川の水害と祖師谷の歴史に。

そして、様々な試行錯誤を経て、今回のテーマを「仙川の水害と祖師谷の歴史」に決定しました。仙川は昭和中期に度々氾濫を繰り返していたことが記録されており、当時の様子は新聞記事などにも残されています。

特に、近年話題となっている能登豪雨による土石流や大木流といった災害を目の当たりにする中で、私たち自身の街を改めて見直す良い機会だと感じ、このトピックを選んだ次第です。街の歴史と自然災害のつながりを考えることで、過去の教訓を現代にどう生かせるかを探る意味でも、非常に興味深いテーマだといえます。

次回の後編では、イベント当日のエピソードを率直にお話しします。実は、開始早々からトラブルが続出し、大変なことになりましたが、何とか無事に乗り切ることができました。

その詳細をぜひ楽しみにしていてください!


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