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【ソシガヤ格闘記】祖師谷団地はここから始まる――1960年代の祖師谷を紡ぐことの意義とは(イベントレポート後編)
前編で取り上げたように、Wikipedia TOWNを通じて祖師谷団地(祖師谷住宅)が街にもたらした影響を探ることが今回のテーマです。
サムネイルには、祖師谷団地の入り口にある横断歩道で撮影されたビートルズの「アビイ・ロード」風写真を使っています。ただし、かなりカメラ目線で再現度は低めです(笑)。
祖師谷団地をひもとく2つのアプローチ
今回の大きなテーマは、1960年代の祖師谷団地です。特に1960年代という“原点”に立ち返ることで、団地の暮らしやコミュニティの変遷をより深く知ろうと試みました。当日は参加者を「団地と街ができていく過程を資料から探るチーム」と「婦人の集いなど団地内コミュニティの動きを探るチーム」に分け、それぞれの視点から取材や調査を行いました。
まずは祖師谷の形成の過程を知る
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午前中に地図や写真をもとに簡単なレクチャーを実施。
祖師谷団地が建設された背景や、周辺の仙川・環状8号線といった交通インフラの整備状況が街並みに及ぼした影響を学びました。途中、「祖師ヶ谷大蔵」という駅名に含まれる“ヶ”が、実際の地名「祖師谷」と異なることも話題に。駅名が独自に名付けられたという説があるものの、詳細は未解明で、今後のリサーチ課題となりました笑。
祖師谷住宅を歩いてみる
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東京・祖師谷エリアにある祖師谷住宅は、37棟が立ち並ぶ広大な団地です。敷地内を歩いてみると、昭和の時代を思い起こさせるさまざまな痕跡がまだ残っています。
たとえば「青空駐車禁止」の古い表示は、かつてマイカーをめぐる住民同士のトラブルがあった名残だとか。当時、マイカー所有者が増えるなか、無断駐車が社会問題にまで発展し、それに対処するための住民団体「交通安全自治会」が生まれたそうです。
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若い新婚世帯がもたらした求心力
また1960年代の祖師谷団地は、20代中心の新婚世帯が全体の8割以上を占めていた時期がありました。多くがホワイトカラーで比較的安定した収入を得ていたため、子育てや医療など社会的課題への関心が高く、行政への要望をまとめやすい環境だったのです。その結果、活発なコミュニティ活動が根付きましたが、新婚世帯が戸建て住宅に移り住むにつれ、にぎわいや取り組みの記憶が徐々に薄れていく過程も同時に進んでいきました。
マイカー族から生まれた交通安全自治会
同時に車の普及は、団地に新たな対立ももたらしました。自家用車を持たない人にとって、無断駐車は大きな迷惑。そこで当時の自治会は、世帯ごとの駐車区画を設ける案を検討したものの、「車を持たない世帯に不公平だ」という声が強く、大きな衝突に発展。結果的に住民自ら交通安全自治会を発足させ、無断駐車やマナー向上に向けたルールづくりを進めていったのです。
昭和の名残をとどめる団地内の風景
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団地内には、昭和を感じさせるスポットが多く残っています。青空駐車禁止の古い看板や、今は使われていない初代の給水塔がその象徴です。かつては集会所で結婚式が行われたり、移動販売バスが訪れたりと、活気あふれる暮らしの場でもありました。ただ、再開発計画により給水塔の撤去が予定されるなど、往時の風景は少しずつ姿を消しつつあります。
失われた記憶をつなぐ書籍『団地 1960年代』
当日のフィールドワークと取材で大いに参考になったのが、『団地 1960年代』という書籍です。1990年に再結成された「祖師谷住宅 夫人の会」のメンバーや山田洋次監督の奥様などが中心となり、当時の暮らしやコミュニティ活動を詳細に記録したものです。当時の婦人誌や雑誌の記事とも照らし合わせると、女性たちが自治会の前身ともいえる組織を牽引し、行政へ働きかけるほどの行動力を示していた事実が浮かび上がります。
1960年代の日本は男女の役割分業がまだ色濃く残る時代でしたが、祖師谷住宅の女性たちは積極的に連帯を深め、子育て支援や医療環境の改善など多方面へアプローチしていました。これは現代の住民組織を考える上でも示唆に富む事例です。社会の変化に応じて必要な取り組みを見極め、自分たちの暮らしを守るために声を上げる重要性を教えてくれます。
ウィキペディアページの完成!
今回のウィキペディア記事が、いよいよ完成!
タイトルは「祖師谷団地」にするか「祖師谷住宅」にするか最後まで迷ったものの、最終的には「祖師谷住宅」を採用し、注釈をつける形に落ち着きました。記事は「内容」「沿革」「コミュニティ」の3部構成で、写真集や新聞記事、雑誌など多様な資料を参照しながら作成しています。
「団地」という存在が内包する歴史とストーリー
今回の記事をまとめるにあたり、祖師谷住宅にまつわるさまざまな資料を丹念に読み込んだことで、改めて痛感したのは「団地」はただの集合住宅ではないということです。昭和から平成にかけて、団地では住民同士の自治活動や多様なコミュニティづくりが繰り広げられ、今の地域課題を考えるうえでも示唆に富んだ歴史を刻んできました。人々が暮らす空間には、その時代の社会的背景や連帯のエネルギーが深く染み込んでおり、当時の出来事をひもとくことは、現代の地域づくりに新たな視点をもたらします。
女性たちがもたらしたコミュニティの底力
今回の調査を通じて特に印象的だったのは、祖師谷住宅の婦人の会が自治会の前身として大きな役割を果たしていたという点です。『団地 1960年代』や夫人の会の資料が示すように、当時の取り組みを丹念に記録し、後世に伝える意義は非常に大きいと言えます。日常のちょっとした議事録や回覧板の文章にも、時代の空気や住民の思いが凝縮されているからです。こうした資料の積み重ねが、団地の歴史やコミュニティ形成の過程を可視化し、現在の私たちにも新たな発見をもたらします。
記録を編み直すことの価値
祖師谷住宅で生まれた自治会や婦人の会の経験は、令和のいまも活かせるヒントを豊富に含んでいます。特に「住民同士の課題共有」「多世代交流」「日常の小さな記録の蓄積」といった要素は、防災や高齢化が進む現代の街づくりでも重要となるでしょう。再開発によって大きく景観が変わる可能性を抱える祖師谷住宅だからこそ、これまで築かれたコミュニティや歴史を改めて掘り起こし、次世代につなぐ意義はますます大きくなっています。
結び
祖師谷住宅という「ひとつの団地」を掘り下げる作業は、過去の出来事を単に懐かしむだけではなく、現在そして未来の街づくりにも多くの示唆を与えてくれます。当時の住民が試行錯誤し、互いに協力しながら形成したコミュニティの土壌には、いまを生きる私たちが学ぶべき知恵や工夫がたくさん詰まっているからです。昭和の面影を色濃く残す祖師谷住宅に宿る人々の物語を、これからも丁寧に拾い上げていくことで、より豊かな地域コミュニティの未来を描けるのではないでしょうか。