何かを書きたいけれど何を書けばいいのか分からない
なんとなく、自分の中に文章を書きたいという思いがある。
きっと、ブログやnoteで記事を書いている人、書籍を出版している人に憧れがあるのだろう。
しかし、いざ書こうと意気込んでみると、そもそも何を書けばいいのかが分からない。
まずは自分に「何を書きたいのか?」という問いをぶつけることから始めてみよう。
推敲などは置いておいて。頭の中に浮かんだことを書き出してみる。
わたしは何が書きたいのか?
何が書きたいのか、と聞かれてふと浮かぶイメージは記録だ。
なにをして、なにがどうなったか。
そういったことを客観的に記録してみたい。
なぜか?
自分の記憶なんてあてにならないからだ。
これは覚えておこう、と思ったこともたやすく忘れる。
それと、自分の考え方が極端になりやすいからだ。
暇な時間がある日も「時間がない」とぼやいたり、多くのことができているのにうまくいかなかったひとつのことだけ注視して「なにもできていない」と悔やんでみたり。
頼りにならない記憶と、簡単に揺れ動く認知と感情に振り回されて、自分で自分のことをうまく見てあげられないからだ。
こう書くと、書いたことを見直して、振り返りをするだけでも悩みや問題を客観視できそうだと思う。
しかし、ここ最近の実体験として、書くだけでも十分に効果がある。
書く。それだけで悩みが小さくなる。
もっと発展させると、記録して何か役に立てばいいとも思っている。
前述のとおりなにをしたかも簡単に忘れてしまう人間なので、こんなことをこんな風にやったよ、と記録を残しておくと、未来の自分がもう一回やりたいと思ったときに役立つかもしれない。
同じようなことをやろうとしている人の調査時間を抑えることができるかもしれない。
子どもがいる身としてはお金があるとうれしいので、ブログなどに書くことで閲覧者が増えて何らかの方法で収入が得られるとうれしい。
問いへの答えをまとめてみると
まず、わたし個人として、以下2つの目的があるようだ。
悩みや問題を書き出して客観視できるようになること
すぐ忘れてしまうことを記録して認知の歪みに気づくこと
その目的に向けて動く時、次の2つのメリットがあるとなおうれしいようだ。
記録したことが未来の自分や同じ悩みを持つ人の役に立つこと
書いたことでいくらかの収入が得られること
まとめを読んでみた感想
まずもって、こうやって書き出したことでスッキリしている。
書き出すことは手帳一択だったが、noteのようにパソコンで打ち込んでも同様の効果があることが分かった。
また、本来の目的と、あわよくば得たい利点があることにも気づけた。
正直なところ、取り組むことはすべて収入を得られること、すなわち他者に価値を認められることが重要だ、という強い思い込みがある。
その固定観念があるため、本来の目的を差し置いて、あわよくばの利点を得ることにやっきになっていたようだ。
こう書いている今も、堅苦しい文章になっていないだろうか、普段の書き文字で使わない、もしくは書けない漢字を使って見栄を張っていないだろうか、などと頭の中でうるさいわたしがいる。
このうるささとも距離をとるために、書くのだ。
誰かの役に立つこと、収入が得られること。
それはわたしの一存でどうにかなるものではない。
他人は変えられず、自分の行動だけが変えられる。
最後にもう一つ目的が加わった。
頭の中のうるさいわたしとも距離をとるために書く。
よし、自分の中の書く理由を客観視することができた。
大成功だ。
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