諏訪の地で、古御柱と新御柱に会ってきたという話。
先日(・・・と言ってもまだ境内に建っているときだから、だいぶ前という表現の方が適切なのかもしれないけれども)、いよいよ、神木の役割を終える先代の御柱さんに、最後の挨拶に行ってきました。
この御柱さんには、個人的に随分お世話になったような気がしていて、行けるのであれば行っておこうと思い至って、衝動的に訪れました。
個人的に、前宮さんに一番立ち寄る機会が多かったため、四社の御柱を代表してもらう形で、前宮の御柱たちに会いに行きました。
前宮一之御柱さんが、自分のなかでは、標準木のような感覚です。
御柱の前に立ってみると、6年間の自分の思い出とともに、その御柱は節目として建て替えられていくのだなぁと、深い感慨に駆られます。
6年のあいだに、なにか新しい出逢いがあったり、大切な人との別れがあったりすると、その記憶が御柱には刻み付けられているのかもしれません。
見上げれば、御柱のその先の空が、近いのか遠いのか距離感がつかめなくなり、不思議な錯覚に陥ってしまいます。
2016年、地元の演歌歌手・中山たかし氏が「諏訪御柱」を歌って盛り上げたときの御柱さんが、今年、引き抜かれた御柱さんです。
2010年には、茅野市のシンガーソングライター・葦木ヒロカ(美咲)さんが、曳行の木遣りや「御柱」を歌って盛り上げていました。
2回続けて御柱にまつわる盛り上げソングが発表されていて、御柱会場でのイベント映像も残されているので、頭の中で、歌と御柱年度が結びついています。
今年は、新型コロナの影響もあってか、時代を彩るような特定の御柱ソングといったものはなく、どこやら寂しい感じがしてしまいます。
建て替えられる直前の古い御柱と、建て替えられたばかりの新しい御柱。
神木としての威厳や説得力は、やはり古い御柱の方に分があるし、祭りを終えたばかりの威勢やエネルギーは、新しい御柱の方に宿っているようです。
引き摺られている際についた裏面の曳行傷や、乗り手たちの残していった靴跡が、新しい御柱のひとつの味といったところでしょうか。
6年前には、今は古御柱となった先代の御柱にも、曳行傷や靴跡などが見て取れたものでした。
諏訪大社には、単なる物見遊山で訪れたのが最初でした。
若いころ、衝動的に信州の地を旅してまわり、その一環として、なんの予備知識も持たないまま、諏訪大社に足を踏み入れてしまったのでした。
当時、山梨県に住んでいたわたしは、海岸のさざ波の音が恋しくなり、その代用として、諏訪湖にさざ波の音を求めてやってきたのでした。
甲州武田氏サイドから見た諏訪地域の印象は、なにやら複雑怪奇なオカルトの地といった雰囲気で、軽々しく足を踏み入れられないような気がしていたものです。
津軽育ちの自分としては、三内丸山遺跡で出土した諏訪・和田峠産の黒耀石の利器の美しさがまず脳裏にあり、諏訪地域への憧れもその黒耀石がスタートとなっていました。
自分にとって、諏訪地域と言えば、尖石遺跡や井戸尻遺跡の方が、比重の大きかった時期だったわけです。
なんの予備知識もないまま諏訪大社を訪れたものだから、最初に足を向けた下社・秋宮で、
「え?諏訪大社って、下社と上社のふたつあるの?」
「じゃあ、まず下社から回ろうか」
「え?下社って、秋宮と春宮のふたつあるの?」
「今日中に回れるかな?」
「え?上社の方も、前宮と本宮のふたつあるの?」
「結局、諏訪大社って、四社あるの?」
・・・なんてことになりました。
諏訪大社訪問の、あるあるでしょうか。
当時のわたしは、諏訪大社が四社あることも、御柱が16本あることもまったく知らない、究極の門外漢なのでした。
結局、一日で四社回ることなど出来もせず、翌週もまた、諏訪にくる羽目になったことを、思い出しては楽しくなります。
それ以降、何度も諏訪地域を訪れることになるわけで、まったく知らないところからのスタートだったがために、泥沼にはまったのかもしれません。
そして今年、役目を終えた御柱が、静かに安置されているという、八立神社へ。
諏訪地域を流れる宮川のほとり、八立神社に、神木としての役割を終えた御柱が、普通の木に戻されて解体されるのを待っています。
ここにあるのはかつての本宮の四本の御柱ということだそうで、ほかの御柱さんについては、すでに普通の木となって各所に払い下げられているようです。
前宮一之御柱さんには逢えなかったので、やはり、引き抜かれる前に行っておいて正解でした。
6月19日の古御柱祭をもって、神の木から普通の木に戻されるということなので、添付画像の御柱は、一応はまだ、神木ということになるでしょうか。
本宮の御柱のみが、象徴的なものとして、八立神社での儀式をもって普通の木に戻されていくということなのでしょう。
新しい御柱が神木として定着するまでの不安定期を、古い御柱たちが、最後の力を振り絞って支えているような時期でしょうか。
あいにくの雨も、日照りに堪えてひたすら立ち続けた御柱たちへのねぎらいの雨のように感じられて、木肌の艶が蘇っているようにも見えました。
冠落としの儀によって削られた先端部はまだまだ鋭利さを保っているのですが、その根元は半ば腐れているかのように見えて、いかんともしがたい感じが哀しく思えます。
勇壮な御柱祭のかげにある、しんみりとした古御柱祭の儀式。
こういうところもまた、諏訪という存在に魅かれる部分でもあります。
神木に対する敬いの念は、その最期を看取るときにこそ、最高潮に達するのだと思います。
アニミズムとは、自然崇拝の形をとって、自己の内省に立ち返らせてくれるような、ひとつのトリガーなのかもしれません。
軽視されがちなアニミズムですが、その本質は、自然崇拝と自己の内省の同一化にあるのかもしれないとも思います。
石を敬い、木を敬い、山を恐れ、川を恐れる、それらはすべて写し鏡のように、自己との対話に帰り着くといったところでしょうか。
6年に一度、そんな気分に浸るのも悪くはないと思います。
ご参考までに。