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日本ハムに勤めて

新卒で日本ハムに勤めました
関東地方の同期の物が集められ、港区のどこかで健康診断を行った記憶があります。42年位前の話ですから、健康診断も今とは違って手軽にできなかったかな、そこで上半身裸になった時、同僚から「どこかの土方が来たか!」と思ったと驚かれました。真っ黒でランニング焼けしてましたから
入社式後直ぐに、1週間ほど、本社があった大阪で泊まり込みの研修がありました。朝のランニングでは、高卒の人も交えて行われ、格段の差でトップで走っていました。
同じ研修仲間に、社長の息子で「大社」という名前の人がいて、誰かが「社長と同じ名前なんですね!」と言った時、「違っていたら、困るわ!」と彼が言ったのが面白かったです

ジョブサイクル
これは、研修期間に教えてもらった会社での今後のコースです。大卒の場合、最初工場でのハム作りを実践し、保冷車でルートセールスの営業、その後様々な部署を回って一人前にしてくれるとのことでした。
今だと市役所や学校以外では、考えられない終身雇用システムですね。キャリアを会社が積ませてくれて、成長させる仕組みです。今は自分で転職してキャリアを積むのが普通かな!

工場勤務
茨城県下館市にある日本ハム工場で4か月間、関東地区採用のメンバーと一緒にハムの製造を行いました。2週間程度毎に工場内の行程区間を一通り周り、豚が吊るされるところから、ハムになって箱詰めされるまでを学びました。驚いたことに、国立出が半数、私立出は私以外に全てコネ入社でした。そのコネ入社の人は、最初の人事課との工場での面接で、お世話になった人への手紙を書くよう指示されたと言っていました

八王子でルートセールス
八王子に勤務する直前に人事課で挨拶した時、「あそこは大卒で入っているのがいないから大丈夫かな!」と言っているのが耳に入りました

私は、大学4年間の内、3年間を家から出て、母が経営してた塾の講師としてその場所に住んで、大学生と塾講師の2足のワラジを履いていました。ただ、洗濯ものは週末家に持っていき、食事は外食、掃除は叔母がやってくれていて、自立して生活していたとは言えませんでした

寮住まいからアパート住まい
工場での寮は、食事は管理され、部屋の掃除と洗濯程度で済みました。アパート住まいでは、全てが自分がしなければならず、初めての一人暮らしになりました。

年下の先輩や同じ歳の先輩
所長以外は、同じ歳か年下という若いスタッフの営業所でした。私以外で、独身の人は社宅住まいで二人1組でした。私が一人で住んでいると聞きつけた同僚は「女でもいるのかな!」とささやかれました。単純に誰かと一緒の部屋が嫌だっただけなんですが^^

思い出の苦いコーヒー
年下の先輩と一緒に、お肉屋さん周りをして御用聞きをしている時、「コーヒー好きなんだから」とインスタントのドロッとしたブラックを渡されたことがありました。一気に飲み干したら、その後は普通のコーヒーを渡してくれました

1年持たず、退職
12月のボーナスをもらわないで退職しまいた。何故かまだ青く、そのお金をもらうことに潔さを感じなかったのです。
退職理由は、職場の人間関係と一人暮らしでした。辞めると決めたその日に、実家のマツダのボンゴで荷物を運んで、それで終わりです。
退職願いも出さず「辞めます」の一言で退職してしまいました^^

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