七夕。
昔々。
わんこを連れて空中散歩した。
わんこって言うのは比喩じゃない。
まぁ、いわゆる人狼の子どもだ。
「なぁなぁ、こないだ、お前、空、飛んでたろ」
買い出しに行こうと半地下にある店を出た俺を、階段途中で、まるで待ち構えていたように座り込んでいた少年が呼び止めた。
「あぁん? 寝惚けてんじゃねぇよ」
「おいら、見たもん。目、いいんだから。お前が、そこの、ビルの、屋上から、翼、ばさぁって、出してたろ。おいら、見たもん」
ちっ、ホントに見られてたのか。俺は舌打ちして階段の先に見える宙を仰ぐ。記憶にあった。めんどくさかったのだ。
仰ぎ見た空は、ずっしりと垂れ込めた雲が重そうだ。暗いのは夜の気配が忍び寄ってきたせいばかりではなかった。
「で、だったらどうなんだ? 脅してどうにかしようってんなら……」
「ちげえよ、おいら、いっぺん、天の川っての、見て、みたいんだ」
「天の川ぁ?」
言われて見れば、今日は七夕だ。でも空はぐずっている。たしか、天気予報でも数日間は梅雨空が続くって言ってたはず。
「だからさ、おいら、考えたんだよ。お前が、おいら連れて、雲の上まで、上がったら、見えるんだろ? 天の川」
「へぇえ、ガキんちょの割には頭がまわるじゃないか。だけど、いつだって晴れれば見られるんだぜ。なにも今、そんな焦らなくてもさ」
「おいらさ、もうすぐ、村に、帰るんだ。海を、ずっとずっと、渡ってったところ。そこ、七夕、ないんだって」
しょんぼりとして膝を抱え込んだ少年は、どんよりした空よりも先に雫を零しそうな瞳で俺を見上げた。
「だけどな、そんな高いところ、いきなり行ったら死んじまうぞ」
「おいら、平気だよ。身体は、丈夫だよ。子どもだからって、舐めると、痛い目、見ちまうからな」
少年の瞳がゆらゆら揺れる。ほぉ?と見つめていると、ゆっくりマズルが伸びてくるのがわかる。犬か。耳も髪の間から出ようとしている。
「お前、犬とか、思ってんだろ。違うからな。おいら、狼なんだからな。だから、空の上くらい、平気だぞ」
「犬とかは高いところに置くと、ビビって尻尾丸め込むだろ。平気? 嘘つくなよ?」
「それ、個人差っ」
はは、と俺は笑う。
「いきなり高いところに行って、内臓破裂とか脳味噌ぶっとんだりしても、俺は一切の責任を持たないからな。家族は?」
「いるけど、いいんだ。おいら、もう、子どもじゃねえんだから。もしも、ぐちゃぐちゃになっちまったり、死んじまったりしても、おいらの、身体は……そだな、この、ビルの上、放置しておいて、いい」
「腐ったら、鳥が突くぞ」
「いい。仲間、見つけてくれる、はず」
わかった、と言うしかなかった。
俺はこいつが死のうが七夕がないところに行こうが、どうなろうが知ったこっちゃない、が、気紛れが発動した。
ついてこい、と裏手の非常階段へ向かう。ふだんから鍵はかけられているが、俺は合鍵を持っているのだ。住人として「屋上にたまには洗濯物や布団を干したい」と主張したら、あっさりもらえた。
非常階段から屋上へ出ると、ぽつぽつと床に染みが出来はじめていた。
振り返ると、少年のズボンからもふもふの尻尾が飛び出し、千切れそうな勢いで振られている。ああ、はいはい、よぉくわかった。俺は脱力して笑い、背中に蝙蝠羽を生やした。
生やしたというのも変だけども、スーツをすり抜けて蝙蝠羽を出せるのは、おそらくアレだ、吸血鬼が霧と化す応用だろうと解釈している。
ともあれ、ばさりと大きく風を起こすと、口をぽかんと開けて見ていた少年は、我に返って俺にしがみついてきた。
「目標、天の川ぁっ」
「あ、無理無理、天の川が見えるとこまで、な」
「了解っ」
すっかりはしゃいで子どもらしくなった少年の表情に、まぁいいか、と抱きつくその腕を念の為にしっかり掴み、俺は床を蹴った。
俺は屋上で煙草をふかしつつ、ちょっと懐かしく思いだしていた。
七夕か。
村とやらに帰ったあの仔狼は、元気にしているだろうか。
そんな感傷に似た空気をぶち壊すように、スマートホンが鳴り響き、俺は非常階段を律儀に降りていった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?