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⌇世界でいちばんくろいねこ⌇

◎ 金曜日の夜が好きなボクと、きらいなわたしのはなし。
・原稿用紙14枚程度です。
・2019年冬に書きました。


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1

 金曜日の夜はいい。
 と、ボクは思う。
 金曜日の夜は、なんだか町じゅうちょっぴり浮かれた空気につつまれる。お酒の飲めるお店は遅くまでにぎやかだし、いくつかのコンサートホールや映画館なんかも、人がたくさん出入りする。
 金曜日の夜を歩きながら、ボクは楽しくなる。
 はねるように歩くと、それを見つけた子どもが、
「あ!お母さん、ねこだよ!」
とかなんとか言ってうれしそうにしてくれることもあり、調子にのってしっぽをゆらゆらさせてしまう。
 金曜日の夜はいい。
 みんな、週末の楽しみを想像しながら、ときめきながら、思い思いの過ごし方をする。
 ボクみたいな黒ねこは、普段、ときたま、不当な扱いをうけるんだ。「えんぎが悪い」とか「不気味」とかさ。でも、週末はちがう。黒ねこにいちゃもんをつけるのなんか何一つ楽しくないってことに、みんなちゃんと気づいてくれる。そんなのあたりまえなんだけどね。
 金曜日の夜はいい。
 だけど、ね。
 浮かれた夜も、すこしずつおわる。
 灰色だった夜は、どんどん黒くなる。
 そろそろかなあ……。ボクは、町の片隅に座りこむと、そおっと自分のからだをなめ始める。毛並みをととのえる。
 ボクのからだは黒い。
 ボクはボクのことを、世界で一番黒いねこだと思っている。
 いや、思っているだけでなく、実際そうだ。
 ボクより黒いねこなんて、一度だって見たことがない。夢の中でさえ、僕がいちばん黒いんだ。
 だからね。
 にぎやかな金曜日の夜が、それでもすこしずつ静かになっていって、灰色だったのが、ちょっとずつまっくろになっていって……。
 完全に闇の世界が訪れるとき。
 ボクは、慎重に心をおちつかせて……。
 ボクは、ゆっくりゆっくり、自分のからだを、その闇にとけこませるんだ。
 ゆっくりゆっくり。
 そのうち、とろとろと、ボクのからだはとろけていく。
 とろとろ とろとろ。
 闇にとけこんだボクは、もう、どこへだっていけるんだ。
 北の方にも南の方にも、町じゅうあちこちとびまわれるし、どんなスキマにも入りこめる。
 ボクはこうして、自由に闇を泳ぎつづけたいと思う。
 まるまって眠っているような夜は、まっぴらごめんだ。


 金曜日の夜はきらい。
 わたしは一つため息をつくと、パレットを置きました。
 もう日が落ちてきています。
 町の西はずれ。劇場の前。ちょっとした広場になっていて、わたしはいつもそこで絵をかいています。
 きれいな絵をかきたい。
 でも、やっぱりなんだかうまくいかない、今日も。
 いつもはさっさと荷物をまとめてアパートに帰るのですが、今日はそんな気分にもなれないので、気分転換に町を歩くことにしました。
 町には、なにやら楽しげな人々の群れ。からんころんと、お店のドアをあける音。料理店からただようおいしそうな香り。お菓子屋さんのショーウインドウに並んだきれいなケーキ。
 金曜日の夜はきらい。
 みんなは楽しく週末を迎えるのに、わたしは憂鬱だから。
 三か月前、学校をやめました。学校もそれなりに楽しかったし、友だちだってたくさんいました。けれど、なんだかすこしずつ心が壊れていく感じがして怖かったので、やめてしまいました。
 わたしは、思いっきり絵をかきたかった。
 学校に通いながらもかいていたけれど、だんだん思うようにかけなくなりました。それは自分のこころに大きく影響を受けているともちろん気がついていたし、学校をやめれば変わる気がしていました。
 だから学校をやめたとき、わたしはうきうきしながら、きれいな絵をかこうと思いました。きれいな色をいっぱい使った絵をかこうと思いました。パレットに何色も絵の具を出して、混ぜ合わせて。太い筆にも細い筆にもたっぷり色をのせて。
 だけど。
 やっぱり思うようにかけません。
 きれいな絵をかきたいのです。
 だけど、どこか何かが違うのです。たしかに、それなりにうまくはかけているでしょう。だけど、だけど。
 金曜日の夜はきらい。
 月曜日から金曜日まで、またうまくいかなかった、なんにもできなかった、という気持ちになってしまうから。
 土曜日と日曜日は町の百貨店で働いています。一日じゅう働くとくたくたになって、絵をかく時間はありません。そしてまた、新しい一週間が始まるのです。
わたしは、どんな絵を求めているんでしょう。
 どんな色が欲しいんでしょう。
 やけににぎやかな町のなかをさまよい歩くうちに、泣きたくなってきて、広場にもどりました。座り込んで、歩いて行く人々を眺めます。かつてのクラスメイトたちも見かけました。制服を着て、楽しそうに歩いていました。
 わたしはどうして、この中に入っていけなかったんだろう……。
 腕の中に顔をうずめて、町の音をきくと、わたしのこころはまた冷たくなっていってしまうようでした。


2
 闇にまぎれてあっちにこっちに。
 ゆるゆると過ごしていると、そのうち西のはずれにやってきた。
 あれ? 広場に女の子がいる。顔をふせて座り込んでる。こんな夜中にどうしたんだろう。
 ボクはからだをとけこませるのをやめ、女の子に近づいた。
「にゃー」
 となりによっていって、ねこらしく鳴いてみた。
 すると女の子は、ゆっくり顔を上げ、辺りを見回してあわてた様子。眠っていて、夜になっちゃったのかなあ。
 彼女は小さい木の椅子に座っていて、前にはかきかけの絵があった。となりには、パレットや絵の具、筆が何本も。
 きれいだ。
 かきかけだけど、きれいな絵だ。夜の闇の中で、ぼんやり光って見える。画家さんなのかな。
 ふと彼女の方を見ると、じっとこちらを見つめていたので、すこしどぎまぎしながら、となりにすわった。
 彼女は、だまってボクを見つめつづける。
 ああ、きれいな瞳だ。
 この子はきれいな瞳をもっていて、だからこんなにきれいな絵をかけるんだろう。そう思った。
 そしてまたそのとき、この子に夜は似合わない。そうも思ったんだ。
 なんでこんなところにいるんだろう。早く帰らないと、闇が彼女のことを襲ってしまうかもしれない。
 ボクは彼女にぴったりと寄りそった。


「にゃー」
 という鳴き声にふと気がついて顔を上げると、ずいぶん暗くなっていました。まわりの雰囲気がいつもとまるで違い、あせってしまいます。いつの間にか眠ってしまっていたようです。
 横を見ると、ぎょろっとした目玉がふたつ見え、もうすこしで叫んでしまうところでした。でも、よく見てみると輪郭がはっきりとしてきました。黒ねこです。なんて黒いんでしょうか、夜の色に似ています。
 きれいです。
 その黒ねこのつややかな色に、しばらく見とれてしまいました。夜の闇の中にすっかりとけこんでしまいそうな、深い色に見えます。
 黒ねこは、静かにとなりにすわりました。その佇まいは、「紳士」という感じがしました。
 彼もまた、こちらをじっと見つめてきました。
 少しして、ふいに彼は、わたしにぴたりと寄り添いました。そのぬくもりを感じながら、もう一度、しんとした夜の町を見まわします。
 夜。闇。黒。
 いつもだったら、わたしは恐怖を感じてたまらなかったでしょう。
 金曜日の夜、だけではなく、本当は夜はいつだってきらいでした。だって、自分のこころの闇にとりこまれそうでこわいから。だって、いろいろ考えてしまって、そのままどこまでも落ちていきそうだから。
 けれど今、夜の中に身をおいてみると、逆に心が落ち着いてきました。黒ねこのぬくもりのおかげでしょうか。
 ゆっくりと考えます。今までふたしていたこと、逃げてしまっていた感情についてを。
 ゆっくりゆっくり。
 学校で、あんまりうまくなじめない。仕事で、なかなかうまく動けない。こころない言葉を言われた。伝えたいことが言えなかった。つらかった、悲しかった、怖かった、寂しかった、不安だった。  
黒い感情が押し寄せそうになるたび、よくないよくない、と考えないようにしてしまいました。部屋を明るくして音楽をかけたり、ベッドの中にもぐり込んで眠ってしまったり。
 でも、いま、暗い静かな中に自分のこころを開放してみると、なんて……。
 なんて、気持ちがいいんでしょう。
 とろとろ とろとろ。
 わたしのこころは、静かに闇にとろけていきます。その様子が見えるようでした。
 闇にとけこむねこの黒はとても美しいです。
 それならきっと、わたしの闇にとけだしていった感情だって、汚いものではないでしょう。
 そう思うと、今まで自分の中にたまっていた黒い部分を、認めることができそうでした。


3

 彼女に、ひたひたとした闇を感じた。
 彼女の闇は、ゆっくりと夜にとけだしていっている。
 ああ、違った。
 彼女に夜は似合わないって、そう思ってしまったけれど、彼女の中はこんなにも夜で満たされていた。
 ああ、この闇。もしかしたら、ボクよりも黒いかもしれない。
 きれいな黒。
 彼女は、パレットを手にとった。ボクはだまって見つめる。
 彼女が手にとったのは、黒い絵の具のチューブ。ふくらんだそのチューブは、まだまだ新品にみえる。そういえば、彼女の絵はきれいだったけれど、黒は全く使われていないようだった。
 彼女はそこに、何色か色を混ぜあわせながら、丁寧に丁寧に色をつくっていく。
 そして。
 筆を絵の上にのせた。色を足していく彼女の手に迷いはない。
 絵は、どんどん魅力的になっていった。
 黒くて、でも、光っている。
 もともとかいてあった部分も、よりひき立って、よりきれいだ。
 黒ってこんなにも素敵な色だったんだ。
 ボクは、自分の色がこんなに素敵な色とは気がついていなかったから、とてもうれしくなってきた。
 ボクじつは、昼はあんまり好きじゃないんだ。からだの色が目立つから。そして、その色をみんなは嫌うから。
 みんながこの絵を見て、ボクの魅力に気がつけばいいのに。
 彼女の足元にまるくなって絵を見ていると、だんだん眠たくなってきた。
 ボクはいつも昼間ひとりで路地で寝て、夜はふらふらしていた。だけど、ひとのそばでまるくなって眠るのだって、なかなかいいもんかもしれない。
 起きた時には彼女はいなくなっているだろうか。
 そうしたら、彼女のことを探して歩いてみようか、昼間の町を。
 彼女なら、きっと昼間でもボクのことをきれいだと思ってくれるだろう。
 目を閉じると、そこにもおだやかな闇が広がっていて、ボクは安心してその世界にとけこんでいった。


(おしまい)

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