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WACATE2024冬 BPPセッションのふりかえり

WACATE2024冬にて、BPPセッションを行ってきました。

このセッションは、前回のWACATE2024夏で受賞したBPP賞の副賞として、機会をいただいたものです。下記リンクが前回BPP賞受賞後に書いた記事です。

リンクを貼るついでに記事を読み返していましたが、既に今回のBPPセッションでの発表が予告されているような内容になっていました。実際、その時点でもう何を話そうかというのは決めていたので、驚くほどのことでもないのですが。

発表の中でも書きましたが、私はテストの経験よりも演劇の経験の方が長いため、演劇の語彙で説明する方が自分にとってしっくりきます。なので、むしろ自分にはこれしか話せない、という形で発表を行いました。

どう届くか不安でしたが、ポジティブに響いた手応えがあり、一安心しています。今回の記事では、BPPセッションの内容紹介と、発表のふりかえりを行なっておこうと思います。

発表の概要

発表スライドはコチラです。

当日参加されていない方のために、簡単に発表内容を紹介しておきます。

全体はざっくり言うと前半後半に分かれており、前半では太田省吾という自分が大きく影響を受けた演出家の提起する問題を引用しており、後半では自分が実践においてその問題をどう引き受けてきたかを展開しました。

太田省吾は自身の演出論において、演劇の実践者でありながら〈劇〉という概念に対する疑いを表明しています。私たちは〈劇的〉なものを期待する目によって自分たちの人生を見てしまうことがあり、それによって私たちは豊かな経験の一部を捨象してしまいます。この論の中で出てくる概念が「伝達」と「表現」です。

私たちは、分かりやすく物事を伝えることを目的とした「伝達」と、分かりづらいことを分かりづらいままになんとか表す「表現」という2つのコミュニケーション方法を持っています。この「表現」という方法にこだわり、分かりづらいこと、つまり通常見逃されてしまうような物事に目を向けさせることが芸術の役割なのではないか、というのが太田の論旨です。

実利の世界(とわざわざ呼んでいますが、現実的にはこの世のほとんど全て)においては効率の良さが求められ、「伝達」のコミュニケーションが優位にあります。しかし、そのような世界でさえ、「伝達」に偏重した価値観では本質を──つまりは実利を、更には様々な大切なものを──見失ってしまうのではないかと私は考えます。

実利の世界で「伝達」が重んじられていることを理解した上で、それでも「表現」の価値により重きをおく。それが「実利の世界で、表現者である」という「在り方」であり、今回の発表の主旨となります。

後半は、それを具体的に作っていくプロセスのモデル化を行なったりしていますが、この記事では説明を割愛させていただきます。

発表に至る経緯

自分はこれしか言えなかったのだ、というのは冒頭に書いた通りですが、もう少し付け足すと、実務上で課題になるのもこういう問題に尽きる……というのを常々思っています。

開発の問題の多くはコミュニケーションの中で起こっていて、さらにそのうち「懸念はあったが言わなかった/言えなかった」ということがかなり多い体感があります。

この「言えない/言わない」というのは、自分が演劇の世界で散々見てきた「表現できない」という問題の相似形だと考えます。しかし、こうした問題は開発の世界ではあまり掘り下げられません。「心理的安全性」の文脈で語られることはありますが、やや管理者目線なのと、もはやクリシェな感もあり、良い議論が難しいです。なので、表現の世界での言葉をそのまま使う方がずっと響くのではないか……と直感していました。

が、一方で参加者は「テスト」の話をしにきているのであって、演劇だの表現だのといった話がどこまで響くだろうか? というのが不安としてありました。しかし、結果としては、かなりポジティブに届いたのではないかと思っています。

嬉しい様々な反応

発表することで余裕がなく、発表の最中に反応を見る余裕はそこまでありませんでした。しかし、当日の夜の分科会で、何人もの参加者の方から直接ポジティブな感想をもらうことができ、安心しました。

私と同じく、実務上ですごく課題感に感じている人がいたり、あるいは自分自身が「何もないです」と表現できなかったと話してくれた方もいて、それぞれの経験の中で刺さるものがあった様子が伺えました。

また、WACATEはワークショップであり、必然自分の考えを他の人に話す機会が多くなるので、事前にこうした話があったことでワークショップがやりやすくなったという感想をいただいたりしました。これもそういう効果があると良いな、と思っていたことだったので嬉しかったです。

かなり驚いたフィードバックもありました。

当日の発表は「実利の世界で、アーティストである」という少し異なる表記のスライドを使っていました。セッションタイトルの公表時には、これを説明するスコープで発表を構想していたからです。しかし時間の都合で半分ほど内容を削ったため、「アーティスト」という言葉といまいち接続できていない状態になっていました。

ある参加者は、この「アーティスト」という言葉が内容と結びつかないことについて質問してくれたのです。すごく驚きました。とはいえ分からないだろうと思っていたので、人はそんな風に細かいところまで見てくれているのだなあという感動と、あるいは舐めてかかっていたかもしれないなという反省を、同時に抱きました。

一方で、質問に対する答え方が難しいなと思いました。知識を教える発表だったなら、間違いを正すようなコミュニケーションで良いのですが、考える素材を手渡す形の発表だったので、自分があれこれ話しすぎると、各々の考え方を損なってしまうからです。

作者として作品外の場所で何かを言うのは、やはり難しいなと思いました。またひとつ学びになりました。

終わりに

とにもかくにも、色々な感想をいただけてとても嬉しかったです。皆さんの人生の中で今回の内容が活きるところがあれば幸いです(開発やテストに限らず!)。

「うちの会社でも発表してほしい」と半ば冗談で言ってくれた方もいましたが、自分は全く歓迎で、いくらでも話すのでぜひ呼んでほしいです。何ならそのまま実際にワークショップをやっても良いです。

演劇のワークショップは、開発の世界でも俄かに、そして局所的に話題になりつつあります。よく見かけるのはインプロ(即興劇)のワークショップです。しかし、自分は実のところ、インプロが好きではありません。そこでは「演技」「役を演じる」ということが中心的な題材になります。ですが、自分はもっと手前の、表現に向かうプロセスとしての「観察」がすごく大事だと考えます。

「何かを表現する」ということは、誰しもが日常的に行なっています。表現を通して得られる豊かさは、ぜひ知られてほしいです。興味がある方はぜひお声がけください。よろしくお願いします。

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