オレと「スターウォーズ」:おっさんの記憶整理 その1 80年代前半田舎の小学生編
自分の記憶を整理していくことにする。なお、文章の中に登場する見解は書き手の個人的なものであり、世間の記憶やあなたの記憶と違うかも。なので突っ込みがあれば優しくお願いします。
初めての出会いは「王冠」だった
「いとこの高校生の兄ちゃんから、イイものもらったんだ。見せてやるよ」
70年代後半。当時、小学1年生だった自分より4つ上のカズくん(仮名)がそう言ってお菓子の缶をジャラジャラいわせながら持ってきた。1980年代の初めの頃、ボクたちはいつも近所の公民館に子供たちで集まって遊んでいた。ネットやスマフォがない時代であり、そこは遊ぶだけでなく、情報交換の場でもあったように思う。
カズくん(仮名)がお菓子の缶のフタをあけると、中に入っていたのはビンの王冠(フタ)だった。今ではビールやジュースの容器というとスチール缶やペットボトルだけど、80年代初頭まではビンが多く使われていた。王冠の裏にはオマケとして、車や映画のキャラクターなどの凝ったデザインがプリントされたものがあり、子供たちやコレクターの人気を集めていたのだ。
何の王冠を持ってきたんだろう?と手にとってみると、なにやら毛むくじゃらのような宇宙人とか、剣を持った人とかのだった。ピンとこないでいると、カズくん(仮名)はどんなもんだい!って顔をしながら叫んだ。
「これって、スターウォーズなんだぜ!」
ああ!これがスターウォーズなのか!と、自分もカズくんや、他の子供たちと一緒になって騒いだのを覚えている。
といっても、小学校低学年の自分はスターウォーズがどんなものかわかっていない。当時、テレビで名前をきいたり、駄菓子屋にポスターが貼ってあったので、なんか宇宙船がとんで、バキューンとかドカーンとかいう映画だろ、というくらいはかろうじてしっていたくらいだ。田舎では、スターウォーズがどんなものか説明してくれる流行に敏感な大人もいなかった。でも世の中、スターウォーズっていうので大騒ぎしているというのは、田舎の小学生だった自分もヒシヒシと感じていて、目の前にある王冠が、流行のあれなのか!それに触れてるんだ!というので、何かわからんが気持ちが高ぶったんだと思う。
カズくん(仮名)が、黄金色のロボットが描かれた王冠(フタ)を手にとって言った。
「これ、C3POっていうんだぜ!」
「しーさーぺー……なんて??」
舌がからまってうまく言えなかった。名前を口にできないのも当然で、なぜならアルファベットというものになじみがなかったからだ。当時の田舎の子供にとって英語なんか遠い遠い存在。少なくとも自分はそうだった。今の子供なら普通に言えるだろう。
ワーワーと王冠をみながら、子供たちみんなで騒いだ。自分も楽しかったし、興奮したのは嘘じゃない。ただ、口に出さなかったけど、乗りきれない気分でいたのも本当のところだった。だって、子供のころの自分には、R2D2はドラム缶に足がついてる変なロボットにみえたし、黄金色のノッポのC3POは目がまんまるで、間抜けにみえてカッコ悪い。ルークの持ってるライトセーバーには惹かれたけれど、着てる白い服が浴衣みたいで、これもなんだか、うーん……という感じ。カズくんがせっかくもってきてくれたんだし、他の子供も喜んでるし、そんな自分の気持ちを言い出せなかった。もしかしたら、自分の人生において「人に気を使った」初めての経験だったかもしれない。
今見ると、スターウォーズのデザインってかっこいいんだけど、子供のころの自分には早すぎたのだ。「ゲッターロボ」「コンバトラーV」を見ていた巨大スーパーロボットアニメブームの直撃世代の幼年時期。メカといえば派手で巨大で原色ビカビカ、とんがり武器がカッコイイと洗礼をうけていたから、スターウォーズのシンプルなデザインは薄味すぎて手応えがないように思えたのだ。その魅力がわかるのは、もう少し成長してからのことである。
最後のリアルタイム世代?
スターウォーズ旧三部作Ⅳ・Ⅴ・Ⅵの公開年は、それぞれ77年、80年、83年である。筆者にあてはめると、だいたい幼稚園児から小学校高学年になる。つまりは自分のように70年代前半に生まれた人は、スターウォーズのブームをリアルタイムで体験したギリギリ最年少の世代である。…かどうかは、環境によるだろう。
ちなみに自分は当時、スターウォーズを劇場で観たことはない。
都会に住んで、劇場が近くにあって、家族が映画に興味がある。そんな子供時代だった人は、幼いときからスターウォーズに触れることができたであろう。しかし、自分の環境は全く真逆だった。
生まれたのは兵庫県の田舎街。山に囲まれて田んぼだらけ。夜の8時には店がしまり、灯りもなく真っ暗闇。近くの劇場までは車で1時間という環境だった。今にして思うと大したことない時間であると思う。しかし、小学生の頃の自分には車で1時間という距離は遠すぎた。
ならば、親に連れていってもらうしかない。だけど自分の親は、映画や読書や音楽聴いたりすることに全く関心がない。
映画を観たいと親にねだっても、
「なんで映画館で今観る必要があるの?だって1年ぐらいしたらテレビで放送するのに」
と、不思議そうな顔できいてくる。映画なんて今みても後でみても、映画館でみてもテレビでみても一緒でしょ?という思考である。いや、そうじゃないんだって!今このときに観ておかねばダメなんだ!と訴えてもまるでわかりあえない。これ、うちの親が厳しいわけでも、教育のポリシーがあるわけでもなく、本当に子供の心が理解できてなかったと思う。
うちの親だけがそうだったわけではなく、戦後すぐ生まれの田舎に住んでいた親世代は、だいたいこういう感覚だった。映画に対しては良くも悪くも「暇つぶし」以上の価値を感じていない。これは親世代の環境によるものが大きいと思う。都会に住んでいれば、映画館が近くにあり、ポスターでも目に入れば「ちょっとヒマだから映画でも観るか」という気持ちにもなる。関心も生まれるのだろうが、田舎ではそういった情報に出会う機会すらない。。山の中に住んでれば、楽しみといえば祭り。そして酒を飲むこと。だからといって、不満を感じることさえもないのだ。だって他の楽しみ、選択肢を知らないのだから!やはり人間って「自分に見える範囲」でしか行動しないのだろう。
その親の子である自分の世代は少し違う。生まれたときからテレビがあり、テレビの中のものに強烈に憧れた世代である。「見える範囲」とはテレビの中もその範囲だった。だから当然のように映画だとか、マンガだとか、都心の子供と同じようなものを消費したがるようになっていた。そこが親が全くわからない部分だったろう。まあ、一言でいうと、ジェネレーションギャップがあったことは確かである。
なんだかうちの親がひどいみたいなこと書いたけど、それでも頼めば、しぶしぶながら映画には連れていってもらえた。「ドラえもん」の劇場版は当時映画館で見せてもらったし、どちらかというと、自分は他の子供より映画を観に連れて行ってもらった回数も多い方だろう。もし、自分がスターウォーズを観たい!と言えば見せてくれたと思う。そう、つまり自分はスターウォーズをおねだりしことがないのだ。
それには二つの理由があった。「シリーズものであること」と「字幕」である。
ビデオデッキという衝撃
シリーズモノは途中からみても話がわからないんじゃないか?という思いがあった。せっかく映画館へいったのに、ストーリーがわからなかったのでは悲しい。Ⅴが公開されたときは、Ⅳみてないので無理だなと思ったし、ⅥのときはⅤもⅣもみてなかったから完全にあきらめていた。
今ならシリーズの作品をストリーミングサービスで観たり、DVDをレンタルして予習してから映画館行くっていうのが普通。でも当時はストリーミングサービスどころかレンタル店もない!(DVDというかVHSビデオテープの時代だけど)。レンタル店ができるのは、80年代中ごろになってからである。
それ以前に、我が家にはビデオデッキ(若い人のために一応書いとくと、録画再生できる機械)がなかった。というか、周りを見回してもビデオデッキがある家庭は、まだまだ少なかった。
自分が初めてビデオを観たのは80年?ぐらいだったか、小学生のとき父親の友達の仕事仲間の家だった。お歳暮を届ける父に一緒についていったところ、お茶をごちそうになったときのことだ。その家はビデオデッキがあり、お菓子を食べてる間に録画していた「8時だよ!全員集合」をみせてくれた。
まさか土曜の夜8時以外の時間に、「8時だよ!全員集合」が観れるとか…「何これ、魔法!?」いや、真面目に小学生のときの自分はそう思ったし、夢の機械が現れたとビックリした。当時、テレビはリアルタイムでみるのが当たり前。一回見逃したら再放送以外で観る機会はない。自分がみたいときに好きな番組を何回でも観ることができるという、テレビっ子の夢をかなえてくれるスゲー機械を目の当たりにしたのだ。
子供のドキドキ感とは反対に、父親は帰りの車のなかで「うちの家にはいらない機械やな」とバッサリと切って捨てた。
ビデオの興奮が収まりきらない小学生の筆者に向けてこう言った。「アイツは夜勤とかあるからな。普通の時間にテレビみられへんのや。だから録画してみるとか、ああいう機械がいるんや。昼間の生活してる、うちらみたいな家族にはいらんな」
えええ…そういう理由なのか…もしかして先を越された負け惜しみだったのかもしれない。だけど父親にしてみれば、テレビは放送されてるものを観ればいいし、テレビ番組なんて一回観れば充分。なんで繰り返しみたいのか気持ちが理解できなかったのだと思う。それが当時の親世代にとっては珍しくない、正直な考えであったことも事実だろう。
反対に、ビデオ絶対いい!と思った自分も、値段が10万円以上ときいて、「これは手が届かない」とあきらめた。もちろん、当時は小学生だったから10万円というお金は、扱えるような金額じゃないし、その大きさもなんとなくでしかわかっていない。でもそれだけあれば、家族がしばらく生活できるだけのお金であり、そんな金額をビデオっていう楽しみだけのために使うのってどうかなあ?ものすごい贅沢しすぎなんじゃないの?罰当たりそう…そういうことを小学生なりに考えたのだ。もしかしたら、初めて趣味と生活のお金の関係を考えたときだったかもしれない。
そう考えると、親世代と自分は違うとは書いたけど、お金に関する考え方の影響は大きかった。親にはハッキリと、自分にはうっすらと「生活以外の趣味にお金を使っていいのだろうか?」という罪悪感みたいな意識があった。家庭の経済的には充分買えたと思う。だけど親は手を伸ばさなかった、自分もそこまで欲しいと思わなかったのは、趣味に対するお金の考えに縛られていたからだろう。
小学校高学年(80年代前半)くらいになる友達の家にはビデオデッキが置いてあるところが増えてきた。「おー!金持ちだなあ!」とかいって羨ましがってたけど、本当にうらやましかったのは、お金じゃなくて趣味に対する気持ちの余裕だったと思う。
字幕という壁
映画館へ行かなかった理由。もうひとつは「字幕」である。今では洋画の娯楽作品は吹き替え版が当然のように上映されているけれど、当時の劇場ではよっぽどの例外でもない限り字幕上映だった。(※自分は知らなかったけど、さすがにスターウォーズは人気があったために、一部では吹き替え上映もあったらしい)
「読めない漢字が出てきたらどうしよう?」「読むスピードが追いつかないんんじゃないか」などなど、「字幕で映画がみれないんじゃないか?」と小学生の自分は不安で観にいくのを躊躇したのだ。
なんか頭の悪い悩みだと思われそうだけど今も昔もテレビの地上波は吹き替え放送だし、字幕での放送なんて深夜くらいしかなかった。当然、現在のようにBS放送の字幕放送もない。つまりは字幕で映画を観るという体験をしたことがないんだからビビるのも仕方ない。
小学生の自分は、吹き替えで映画をみてるうちはまだ子供だという思い込みがあった。字幕で映画がみれるかっこいい大人になりたい!いやマジでそう思っていた。
最初に字幕で観たのは、友達と一緒にいった85年のジャッキー・チェン主演「ポリス・ストーリー」。中学生になったんだから大丈夫だろ、とは思ってたけど、観る前は字幕初体験ということもあってドキドキ。見終わった後は映画が面白かったことより、「字幕で映画を観ることができた!おれたちも大人に一歩近づいた」ということで興奮したのを覚えてる。
現在では、字幕版より上映回数のほうが多いくらいに吹き替え版のほうが人気となった。自分の子供の頃にも、もっと吹き替え版の上映があったらなあ…なんてことは思わないんだなこれが。
吹き替えのほうが情報量が多いってのはわかるし、吹き替えには長所いっぱいある。でも洋画は字幕でみるほうがよくない?たとえば英語とかわからなくても、音を聴きたいというか、発音からわかるニュアンスってあるじゃないですか。ジョークとかその言語独自の言い回しもあるし、字幕は日本語でも、言葉の音をきくって体験だと思うのだ。なんか敷居を下げすぎて、わかりやすすぎるのもどうかというか。…海外コンプレックスが強い世代
なんだかんだ理由をつけたけど…
そんなこんなで「スターウォーズ」を劇場でみたことなかった小学生の頃であった。でも、周りを見渡せば、学校のクラスメートは結構みんな洋画をみにいってた。「E.T」とかすっごい話題になってたけど、洋画にビビってた自分はみんなの話にはいっていけなかったという記憶がある。今考えると観に行くヤツといかないヤツはくっきりと別れていた。
自分の子供の頃は、ド田舎だけど、住宅地が造成されてドッと都会から人が移り住んできたような時代だった。映画館にいってたのは、都会から引っ越してきた家族の子供で、もともと田舎に住んでた自分のような子供は娯楽には鈍かった。そんなキラキラした都会の感覚を持った子供がまぶしかった。当時はなんとなく感じてただけだったけど、娯楽や趣味って作品そのもの以外の外の世界でも、人生のいろんなことを感じさせてくれるものだったなあ、と今にして思う。まだ語りたいけど、いい加減話しが長くなってきたので、また別の機会に是非。
さて次回は
ここまで読んでくれた方に感謝「スターウォーズ関係なくなってる!」というあなたの声はもっともだ。でも少しでも面白いと思っていただけたら、次回も読んでもらえたらありがたい。次回は80年代中盤から後半、自分が中学生や高校生だった頃の話。