日記の練習(2024年10月)
くどうれいんさんの、日記の練習というエッセイ(日記か?)がよすぎたので、ぼくも日記の練習をしてみることにしました。
ずっと、日記って手書きでするもの、という思い込みがあったけど、くどうさんは電子媒体での日記しか想定していないみたいで、ぼくもそれにならって、Google docsに書くことにしました。
10/13
くどうれいんさんの日記の練習が良すぎたので、僕も練習する。
日記は手書きで書くもの、という思い込みがあったのに、くどうさんの選択肢は最初から電子前提だったのが1番驚いた。
10/14
長男が「パニーニがあったら食べたい」と言ったので、我が家のパニーニの正式名称は「イタリア語でパニーニ・アッタラーネ」に決まった。
10/15
振り返りは、1人でするよりも、誰かとする方が、適度に反省し、適度に自分を肯定できるのかもな、と思った。
小5の長男が小2の時に図工で作った作品を捨てたがらなくて、要らないものは捨てて、と言った、という事象に対して、「言い方がきつかったかも」と「とはいえ、小2の制作物をずっと保管するのもつらい」の間に、僕が本来取りたいスタンスがある気がする。
10/16
たまにお昼ご飯を食べそこねると、夕方の空腹感はそこまででもなく、意外とお昼抜いた方が満腹感からくる眠気もないし、こっちの方が生産性高く働けるのでは、と思うけど、美味しいご飯を食べる機会が3分の2に減ってしまうのか、と思うと、これを続けるには人生の損失が大きすぎると思ってしまう
10/17
10/18
久々の出張。S-work車両快適すぎ。
関西風の出汁が食べたくてお昼を蕎麦にしたけど、なんか思った味と違った…そもそも島根にいるときに蕎麦なんてほとんど食べたことなくて、たまきのうどんの思い出だったのかも。
暇と退屈の倫理学を読み始めた。これはおもろいぞ。
10/19
ほんと、我が子ながら、子どもによって全然ちがう
10/20
部屋が片付いた
10/21
子育てにおける悩みは、小学校に入るまでは、「この子のことをどう決めるか(もう少し強い言葉を使うと、どうコントロールするか)」に終止していて、小学校に入って、あるときふと気づくと「この子のことは自分が決めたようにはならない(つまり、いかにコントロールできないか)、ということをどう受け入れるか」に変わっているんじゃないかと思った。
というか、我が子といえど本来別の個体なので、子どものことなんて何もコントロールなんでできやしないんだけど、生まれた直後の、「自分がいないと、この子の生命がままならない」という期間から子育てが始まって、その期間が強烈すぎるので、「決めなきゃ」というマインドになっちゃうんだよな。
10/22
インサイドヘッドの話をしていて、「つかれた」は感情なのか?という話を子どもたちがし始めた。面白い。
「つかれた」は「いたい」と一緒で、感情の手前の情動に近そう。
10/23
正確な言語化にこだわりすぎる癖が自分にはあるんだよな…(無意識に相手に求めている)
スサノオマジックがありえないくらい大勝してたけど、3Q、何が起きてるのか見てても分からなかった。琉球は三回のタイムアウト使い切ってたけど、修正できず。あれはなんだったんだろう…すごすぎ。
10/24
焼き芋屋さんがくると、ご近所がみんな出てきて焼き芋買っていく感じ、けっこういい。
10/25
ついに、我が家にダイニングテーブルがきた。床に座る族からの卒業。
10/26
長男と一緒に、友人に仕事の話を聞かせてもらった。めちゃくちゃありがたい時間だった。彼女に会うのは10年ぶりくらい。そして三回目。それなのにこんなに良くしてくれて、本当に感謝
10/27
地域の行事、この5年で知り合いがいっぱいできたから楽しい。子どもたちがつないでくれた縁だ。
10/28
10/29
いきなりさむい。
年一のちゃんとした服を着る機会で、紺ブレとチノパンはいて、娘に「かっこいい?」と聞いたら「父ちゃんはそのズボンどうして買ったの?」と聞かれた。あれ?
10/30
10/31
パン屋さん、お肉屋さん、居酒屋さんに加えて、ついに、たこ焼き屋さんで「いつもありがとうございます」と言われるようになった(ポイントカード溜まったのだから、そりゃそうなるが)