ケアとキュアについて
ここ最近、「ケア」そして、それに対立する概念としての「キュア」について考えていて、ここまでに考えたことをまとめておきます。
なぜ、ケアとキュアについて考えたいのか
僕は、大学院での修士課程から、素材メーカーでの研究開発職を辞めるまでの約10年間、ずっと、「自分より研究開発ができるやつがいたらやばい。この場で生き残れない。」と感じていました。課題解決をできる自分に価値がある、という感覚です。
(転職して、研究開発から離れて、5年くらい経ったころに、前職の同僚と話す機会があったときに、「みんなそう思って研究開発してるよね?」と聞いたら、それに賛同してくれた人がその場には1人もいなかったので、これは研究開発という仕事からくる観念というよりは、僕自身の性質なのだと思います。)
転職によって、研究開発から離れた仕事について、研究開発ができるかどうかが、自分の価値と切り離された場所にやってきたことで、「課題解決(=キュア)の呪縛」からは離れられたように思います。そして、その場で大事にされていたのは、ケアの考え方でした。
しかし、課題解決で一等賞を取れるかどうか、という信念でずっと生きてきた僕にとって、ケア、という概念をちゃんと整理しないと、結局、「一番ケアが上手にできる人」を目指そうとしてしまいそうで、そうじゃない気がするぞ、というのを、一度まとめておこうと思いました。
それもあって、今回は、特に引用等もなく、厳密なことを書くというより、思ったことをまとめるという、フィジカルでプリミティブでフェティッシュなスタイルで書いていきます。
ここでの定義
一般的にオーソライズされた定義とはズレると思いますが、僕なりにケアとキュアを定義すると、それぞれ下記のような意味で使っています。
ケアとは、「最近どう過ごしていますか?」からはじまる営み。
キュアは、「困っていることはなんですか?」からはじまる営み。
それぞれの目的
この定義に沿うと、ケアは適応が目的であり、キュアは課題解決が目的である、と言えると思います。
つまり、ケアは、最適を志向し、キュアは最高を志向する。
もう少し説明すると、ケアは、期待にどれだけフィットしている状態を作れるかが重要。「満たした期待÷期待度合い」で評価されるので、基本的には、最大値は「1」。
一方、キュアの場合は、「課題の難易度×解決度合い」で評価されるので、最大値に上限はありません。
具体例
僕の考えを説明するために、具体例を出してみます。
医療現場を考えてみる
アンメットの知識でしかないけど、脳外科医の先生が「こんなに細い血管の縫合を、こんなスピードで縫えるなんて…!」となるのは、まさに、キュアの世界。そこには、すごさの上限はなくて、よりすごい人がいるし、「その軸ではすごくないかも知れないけど、こっちの、軸でなら、負けないし」という競争が生まれる。
一方、看護の世界で患者さんの満足度を考えてみると、患者さんの病気の重さはあまり関係なくて、患者さんの期待にどれだけ応えることができたが大事そう。これがケアの世界。
夫婦の関係
また、夫婦関係において、たとえば僕がものすごく家事に秀でていて、家事という評価軸で、課題解決能力が高いとしても、それだけで、結婚生活がうまくいくわけではないと思います。相手との関係性が、フィットしたものであるかが大事。
それぞれに必要な能力
適応するために、ケアは、現状を肯定する力が必要とされ、一方、キュアは課題解決力が必要とされる。
そう考えると、ケアとキュアは対立する概念かもしれないが、実はアプローチは多様である、と考えることができるかもしれません。
何が言いたいかというと、課題解決能力が極めて高いと、どんなことが起きてもパパッと解決できるので、現状を肯定できるようになることもあるかも、ということ。
ここで改めて気がつく自分の認知バイアス
冒頭、人よりも研究開発に秀でていないと、研究者として生き残れないと思っていたけど、もうそういう観念には囚われていない、みたいなことを書きましたが、改めて、このようにまとめてみると、やっぱり自分が「能力」のことをすごく大事に考えていることがわかります。課題解決をするために、課題解決力が大事、は、まあ、客観的にみてもそうかな、と思えるものの、「ケア」をするためにも〇〇力が大事に違いない、と考えてしまっています。
上にあげた、夫婦関係の例で言うと、パートナーとフィットした関係を築くにあたっては、相手に求める意図はないけど、自分の家事の能力は高いほうがいいだろう、と思ってしまう。
けど、結婚式の挨拶で、新郎新婦に「家事がバリバリにこなせることが夫婦円満の秘訣です」とかって来賓が挨拶しているのは聞いたことがなくて、もっとやさしさとか思いやりの話をしているはずです。
そう、ケアに必要なのはやさしさなのかもしれないです。
ちょっと自分のもみえてきたあたりで、今回のnoteはおしまいにしようと思います。