明るくたのしい居場所だけではなく、そろそろ「はたらくコミュニティ」をつくるのはどうか
私は、前職は公務員でした。その時に、振興行政や規制行政、企画・予算要求なんかも一通り経験したのですが、そもそも行政だけでは、地域の人々の幸せな暮らしを支えるのはムリなんだなと。少なくともお金の面だけで言っても、「行政任せ」がいい悪いじゃなくて、もう「できない」のだなと。
ヒトモノカネの「量」に頼ることができなくなった中で、どうやって生活の「質」を高めていくか。複雑・多様化した社会の中で、単独のセクターや個人で何とかできることは、もう多くありません。たとえば、生活インフラで言っても、まちの焼却炉の耐用年数を伸ばそうと思った時に、環境の専門家だけではどうにもなりません。高齢者の孤独死を0件にしようと思った時に、福祉業の従事者だけではどうにもなりません。
もっと大きな視点で言えば、今を生きる私たちは大きなチャレンジとは、こうではないでしょうか。社会の工業化/機械化をしてから失ってしまった、個人と集団、経済・社会・自然のバランスと循環をどのように取り戻していくか。
このままでは、私たちが無責任に謳歌した自由のツケは、すべてこれから生まれる次世代に押し付けることになります。未来に、諦めとゴミしか残せないって、クソダサくないですか。
また、少なくとも私は、自分の人生が他者や自然からの搾取の上に成り立っていることを自覚しながら、知らないふりをして過ごすのは、生きてて楽しくありません。
だから、しょうがない。私自身が、気持ちよく生きるために、残す価値のある未来をつくっている実感が欲しいと思っています。今を生きる私たち、その大切な人たち、そして、その子どもたちが笑顔で、自由に生きていける社会を残したい。
そう願うならば、今を生きる私たちは、かなりの責任を負わなくてはなりません。今の時代の「複雑で答えのない課題」をなんとかしていく必要があります。
そのために必要なことのひとつが、多様な主体が境目を超えてコラボレーションをしていく仕組み/つながりだと私は考えています。
それが「はたらくコミュニティ」。
「この人たちといると、自分には何かをできる可能性があると思える。一人ではできないチャレンジをしたくなる。失敗しても、やり続けたくなる。」そうやって、成功体験をして、自己有用感を感じる。だから、また次のチャレンジをしたくなる。そういうサイクルがぐるぐるとしているつながり。
そこからは、希望、高揚感、コラボレーション、チャレンジ、イノベーション、レジリエンスなど、私たちが行き先も読めない時代を生きていく上で、欠かせない価値が湧き出てきます。
はたらくコミュニティづくり概論
愛知県における大学連携防災ワークショップ/photo by naokiichinei
私は「明るく楽しいおしゃれな居場所づくり」もします。別に役に立つとか、立たないとかではなくて、つまり、生きててそこに居るだけで全部がOKみたいな。そういう、いわば「家族的」なノリのコミュニティには、私は本当に尊いと思っています。そこが、社会のセーフティネットだから。
ただ、世間には、先ほど言ったようになんとかしないといけないことばかりです。それゆえに、最後尾をケアするのではなく最前線を拓いていくような、変化を起こすために「はたらくコミュニティづくり」が必要だと考えています。
それは、会社や組織に所属する人が、ガス抜きをして精神衛生を保ったり、資格のお勉強会をする、いわゆる「サードプレイス」的なコミュニティとは違います。
その人たちも働いていますが、あくまで現場は別々ですよね。つまり、個々人ではたらくことが想定されていますよね。一方で、はたらくコミュニティは、言葉のとおり、ガチの現場を共有し、チームではたらきます。
学ぼうとする個人が集まるコミュニティ(community of learners)をつくりたいのか、コミュニティそのものが学ぶようなつながり(learning community)をつくりたいのかは、意図としては明確に分けた方がいいと思っています。結果的に事象ベースでは重なるにしても、知恵や仕事が、最終的に個人に転化されるのか、集団で分かち合われるのかでは、全くデザインが異なるからです。
どちらがいい悪いではありません。ただ、私の場合は前者のような「学んだ後はあとは個々人で現場で頑張ってね〜」みたいな学びの会を繰り返した結果、私は、そういう人と人のつながり方では、複雑な現実を変えることに難しさを感じているからです。
私の場合は、後者のコミュニティそのものが学ぶ、共にはたらくようなつながりを志向しています。講座で学んだ人が、一緒に現場に立つ。学んだ人が講座の終わった後も知恵を交換しあう。OB・OG・卒業生の知識が、入門者へと還元される。そうやって知識が自律的にアップデートされていく知識のプールのようなものです。
ミッション型コミュニティ
はたらくコミュニティは、「ミッション型コミュニティ」に見えることがあります。あるいは「クリエイティブ/コラボレイティブ・コミュニティ」と言ってもいいかもしれません。それは、言葉にするとすれば、こんなつながりです。
真ん中にミッションがあって、それを実現するために、多様な人々が交わり、自己組織的に離合集散を繰り返す、ゆるいネットワーク
図とするとこちらがわかりやすいです。
特定の関係に依存せず(つまり、「いつも同じ人と仕事している」のではなく)に、ひらかれた関係の中で、コラボレーションと主体性を発揮する関係のことです。
たとえば、東浦町のワークショップでは、おじいちゃんと若者が友達になって、あるいは、お役所の人とクリエーターたちが一緒に仕事をする光景がありました。
複雑適応系のつながり
それは「複雑適応系のつながり」とも言われます。次の4つの性質を持っています。参考に、右側のカッコ内に、その意味を逆にすると、どうなるかを書きました。
多様性 =カラフル(↔︎右向け右の画一的なマシーン)
社会関係資本 =信頼しあう(↔︎バラバラで疑いあう)
自己組織化 =勝手につながる(↔︎指示待ち)
学習 =新しく変化する(↔︎一生同じことの繰り返し)
どんな「〇〇系」のつながりが、仕事をするうえでイケてるのかは、その時の時代によって変わります。縄文時代なら、狩りができる「マッチョ系」。戦国時代なら「いざ鎌倉系」ですかね。ちょっと前は「24時間戦える系」とか?
それらのどれかが悪いわけではありません。ただ、今の時代には、チョット仕事できなそうなつながり方ですよね。今のVUCAの時代にイケてるのは複雑適応系です。そこんとこよろしく。
参加型リーダーシップの実践のコミュニティ
それは「実践のコミュニティ(community of practice)」でもあります。ただのお勉強会ではなく、「やってみては、振り返る」を繰り返して、その中で人が互いに学び合い、自立し、成熟していくことを目指すものと私は理解しています。徒弟制度(先輩とお弟子さんへと実践の知恵が受け継がれる)ような、茶道や柔道の教室、ボクシングジム、地域の祭囃子の練習会も、そのような性質を持っているかもしれません。
私が言うミッション型コミュニティでは、何を練習するのか。それは、「参加型リーダーシップ」です。それがどんなことなのかは、エピソードで紹介した方がいいでしょう。
■2014年2月関東地方の豪雪の日のこと
思い起こせば、2014年2月。関東地方で観測史上最深の雪が降ったときに、私は参加型リーダーシップを目撃しました。私は仕事でいくつかの現場を手伝いに行きました。
とある現場は、割とラクでした。「言われた通りにやればおわる」だけだったから。そこには、人に指示命令するボスがいて、その人の言うことを聞けばいいだけ。みなが楽しそうだったかといわれると、それは疑問ですが、ともあれ作業として終わることにはそれで終わりました。
一方で、別の現場は、もっと複雑でした。「やればおわる」では済まなかったのです。昨日をかいた雪のあとが凍って今日はアイスバーンになったり、物理的な制約で歩道と車道のどちらかを犠牲にしなくてはいけなくなっりました。人によっては、デスク業務も多忙であったりしました。それゆえ、「あっちを立たせるとこっちが立たない」「決まった答えがない」という状況でした。
しかし、そこには、ある聡明な女性が2人いました。彼女たちは「みんな、どうやってやったらいいか一緒に考えない?」と呼びかけました。全員ではありませんが、それに応じた人による話し合いが生まれ、ざっくりした計画と、基本的なルールだけが決まりました。
それはこんな内容でした。
・自分なりのやり方で貢献する。「雪かきしない人は、だめ」は言わないことにする。
・わざわざ一斉に休憩時間とはしない。それぞれが必要な時に休憩する。
・お菓子は用意しといたんで、自分の好きな時にどーぞ。
・遠慮なく助けを乞うこと
ちなみに、こういうのを「協働の原理」といいます。これがあることによって多様な能力や、様々な背景事情を持った人たちが、一緒に働くためのベースを作ることができます。どんな原理があれば、個人や関係性のポテンシャルは高まるのか、あるいは、状況が厳しくなったときにも一緒にいられるのかは事前に皆で話しておいた方がいいです。
さてさて、いざ作業が始まると、マッチョな兄さんが「ここは俺に任せろ!」と言わんばかりに、硬い金属のスコップでアイスバーンを壊します。
しかし、そのままリーダーには居座りません。そのスコップも兄さんも、砕いた雪を運ぶのにはどうも向いていないからです。そこで、別の頼りになるお姉さんたちが一歩前に出て、プラスチック製の軽い幅広のスコップでそれらをどかしていきます。
途中で、「ちょっと、あんた誰に許可とってやってんのよ!」と、文句を言う人が外からきました。その時は、体は弱いですが、消防なんとか規則について詳しい人の登場です。無事に対応できました。そして、疲れたときは、世話好きのおばさんがお茶を入れてくれます。
結局、雪かきをしなかった人もいますが、そうぜざるを得ないほどの別のデスク作業がありました。その人を無理やり雪かきに出したとしたら、その損失は大きかったでしょう。最後は、やっぱり宴会部長もいます。人々の協力プレーを労って、お祝いする技があるのです。
これが参加型リーダーシップの姿です。
それぞれのメンバーは、誰から言われるでもなく勝手につながっていきました(自己組織化)。実際その現場にはほとんど、指示がありませんでした。
また、コミュニティとして出した力は、個々の単純な足し算を超えていました。「1+1=2+α」のアルファがずいぶんと大きかったということです(仕事の成果…&飲み会の楽しさを含めて)。これを創発といいます。
私が雪かきの時に見た登場人物は、みながそれぞれのやり方でリーダーシップを発揮しています。休憩をするときにお茶を出す人は、皆を癒すという目的に貢献する、その時のリーダーなのです。
複雑に状況が刻々と変わりゆく中で、「私が、これをするよん」と名乗り出て、それぞれが、その時に応じて入れ替わりながらリーダーとなり、自分らしく貢献をできる。こういった状態にあるコミュニティのことを「参加型リーダーシップが発揮されている」といいます。
このように複雑適応系も、参加型リーダーシップも、もう既に地域の中にあるものです。私はそこから習って、試行錯誤して、知恵を残して、失敗の質を上げていっているのが私のこの10年弱です。
ちなみに、2015年にはそのような、「はたらくコミュニティづくり」の知識の蓄積が、Art of hostingという世界中に実践者がいるコミュニティでされていることを知ってびっくりしました。
他者と一緒にはたらくのは難しい
こうした「はたらくコミュニティ」づくりは、私の経験的には、いわゆるこども食堂のように「助けてあげる/もらう」関係であったり、「最高〜」とインスタに上げるような「明るくたのしい関係づくり」よりも、圧倒的に大変です。
なぜなら、人間、仲良くするだけではなく、「一緒にはたらく」となると、急に世界が変わるからです。飲み仲間として、スポーツジムや生け花教室で居合わせた者同士としては、あんなにお互いい感じだったのに、「一緒に働く」となると、もう色々見えてきちゃうわけです。
それをどのように育てていくかについても、「こうすれば正解」ということはありません。この話は大きく見れば、やれ〇〇型組織だの、〇〇型ネットワーク、やれ〇〇ドリブンだの、たくさんの言葉で語られている話です。ほんとうにありがたいことに、最近はそのような実践や本が増えてきていて、私たちはそこから学ぶことができます。
なので、このnoteで私が記録して残しているのは、私の文脈である「地域にいるふつうの人たちが、自分たちの生活を自分たちでよりよくしていくために、どうやってはたらくコミュニティになっていくか」ということについて、実際やってみてどうだったかという試行錯誤の記録です。その中でも、とても大切なことを二つシェアします。
今すぐやってみれること
はたらくコミュニティをつくるためにコアとなる2つの実践を紹介します。
それは、目的と器をつくることです。
①目的を灯す/旗印を掲げる
上で述べた、コミュニティの中心にあるミッションとは、言葉をが変えれば、目的のことです。「目的/purpose」のpurは、古代ギリシャ語の炎や雷のこと。それは「聞いた人の心に火を灯すようなこと」です。
あなたの人生が一般のろうそくだと考えた時に、今、あなたの命を燃やしている炎とは、どのようなものですか。どのような体験がきっかけで、そのような炎があなたの中に灯っているのですか。
目的について、さらに詳しく知りたい方は、こちらをご覧ください。
②器をつくる
■敷居のデザイン|秩序をつくる
「敷居を低くする」ということがよく言われます。しかし、「入りやすい活動」とは「出やすい活動」であることには注意したいものです。
イベントで「どなたでも歓迎!」というよびかけは、単発の集客をかせぐことには役立ちます。しかし、それは、まるで焚き火に、乾いた薪と濡れた薪を一緒にくべるようなものです。特にプロジェクトやコミュニティーの初期や不安期、目的を作ったり変えたりするような「種火を育てたい」タイミングでは、「乾いた薪」が集まるように呼びかけましょう。そうでないと熱量が上がらず、つながりは意味ある形で持続しづらくなります。
たとえば、私がホストする市民参加型のワークショップでは、参加条件を設けています。「〜〜と言う目的に賛同いただける方」「言葉にならない想いを大切に受け止めあえる方」などです。ほかにも、私が役員を務めるゲストハウスの名前は「ゲニウスロキが旅をした」です。それは、ただの観光客のような人が来づらいように、わざわざ敷居を上げています。
個人的には、「こういう方はお断り」のような言い方は避けています。排除的なふるまいは、関係を硬直させ、保守的にすることがあります。本来、来て欲しい人すらも遠ざけてしまうことがあるからです。
もちろん、十分にコアメンバーの目的共有がしっかりしたり、安定期にあるプロジェクトであれば、記念イベントやクラウドファンディングなど「量」を集めたい時に、敷居を下げた「誰でも」という呼びかけは役に立つかもしれません。
■器としてのプラクティス|カオスを受け容れる
仕組みのデザインは秩序づくりのために行います。一方で、ヒューマンスキルとしての器作りはカオスを受け容れるために行います。価値ある変化/イノベーションは、多様なものがぶつかりあう混沌から生まれるからです。
最近、師の師とも言えるスウェーデン人の方の映像を編集しているのですが、とにかく「感謝と尊敬」を人にし続けること、そして、直接は聞き取れない日本人たちの言葉に、通訳を通じて耳を澄ませる姿が印象的です。その中で、関係性が「信頼」と呼べる質感へと変わっていき、その器の中で、参加者がより自由に発想をひろげていく様子が見えます。
あなたが一緒にいて、「この人といると、自分は自由を感じられる。自分の可能性を感じられる」と思わせてくれた人はいましたか。その人は、いつどこで、なにをしていましたか。どうやっていましたか。
ぜひそれを実践してみてください。
事例|札幌市みんなの気候変動SDGsゼミワークショップ
さらに具体的に詳しく知りたくなった方は、事例をご覧ください。あるいはぜひご相談ください。
あなた自身と大切な人たち、その子どもたちが笑顔で、いきがいのある暮らしを続けていけるように、地域ではたらくコミュニティをつくろうとしている人を応援しています。
昨年度(2019)のかなり詳しい内容は、こちらの業務報告書に残っています
事例|江別市生涯活躍のまちワークショップ
1 高齢化率や人口・行政予算の減少など、地域がこれからどうなるかの統計や科学のデータを読み解き、自分たちなりに解釈する。
2 自分たちが心地よく、力を発揮しやすいつながり方をさぐる。
3 「なったらいいな」未来の暮らし方を描く。
4 それを実現するため、地域にどのような資源(活かせる場所・人・スキルなど)があるかを明らかにする。
5 リアルとオンラインを常時交差させながら行うことで、地域外からの参加と貢献も生み出す
➡︎ 業務報告書は今後アップロードされ次第、こちらにシェアします。
事例|愛知県東浦町・大学連携ワークショップ
その他
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