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「自分らしく、好きを仕事に」とか自分語りをしている暇があったら、まずはボールを転がせ。|オーガナイザーというはたらき方

10月末の札幌の深夜の雨は、めっちゃ冷たかった。でも大荷物を抱えて走っていたので、寒くはなかった。

自分は、環境・福祉・防災など、生活や命に関わることで、ひとりではどうにもならないことを、みんなでなんとかする仕組み/コミュニティづくりをしている。

たとえば、ふつうのおじいちゃんとか、ふつうの若者が友達になって、いきいきと自分から出番をつくっていけるような関係性をつくる連続ワークショップをしている。まだあまり日本にない仕事だけれども、少しずつ認められてきた実感がある。そんなで、自分を各地に引きずり回す日々を過ごしている。

さて、先日、その旅路の中で、あるゲストハウスに滞在しているときに、初めてそこに宿泊するという2人の若者と出会った。

それぞれ別に来ていて、1人は広島から、いわゆる「自分探し」で各地を旅している男性。もう1人も大学を休学して、何かオンラインでプロジェクトを進めながら友達の家を泊まり歩いている女性だった。

オンラインの会議で「うちらこんなに毎日やりたいことが変わって大丈夫かな」と、笑いながら話しているが、声のトーンは深刻だったことが印象に残っている。

彼らにはいくつか共通点があった。 2人とも20代前半だった。そして、どのように生きて、働いていくかに悩んでいた。 「自分らしく、好きを仕事に」といいながら、SNSで自分語りをして、映える写真を載せて、やりがいのないバイトで金を稼いでいた。

そして、こうも言っていた。

就職活動はしたくない。会社で管理されながら働ける気がしない。かといって、独立してやっていけるようなスキルがない。

その気持ちには共感しながらも、内心は「またか」と思って聞いていた。うんざりしたわけではなく、「最近、出会う先々で、少なからぬ若い人たちが、口を揃えて、同じことを言っているな」という気づきがあった。

・会社で管理されながら働ける気がしない。
・かといって、独立してやっていけるようなスキルがない
・好きなことではたらきたい
・自分らしく生きていきたい

そんな悩める私たちに、役に立つかもしれない視点をシェアしたいと思って、これを書いてみる。

このnoteは、お金持ちの余暇で"俺らのまちづくり"をする人や、広告的な手法でデカい旗を上げようとするキラキラ系の人は読み手として想定していない。

どちらかというと、お金は生活できるほどに欲しいけれども、それ以上に、なにか社会のためにしたいとか、やりがいや豊かさを追求したい人向けに書いている

個別に話を聞く努力はしたいのだけれど、実のところ、最近、あまりに同じ内容を相談されて、同じことを言うのに、だんだん飽きてきてしまった。

ここに書くのは、そうやって相談された時に、現時点で私からお伝えできることをまとめたもの。しばらく、自分がやってみていることだ。そのおかげで、コロナで、起業後まもなく全ての仕事がふっとんでも、私は死んでないし、厳しい状況には変わりないけれども、一年くらいやってみたところ次の展開も見えてきたので、一定の効果はあったと思う。

ただ、それがあなたにとって役に立つかは約束できない。解決策にはならないかもしれない。ただ少なくとも、その悩みの質が上がるといいなと思っている。へーそういう働き方があるんだ、くらいでも十分嬉しい。めちゃくちゃしっくりきた人は、ぜひ一緒に働きたい。

ということで、内容に入る。

意味がわかって、応用が利くように、前提となる時代認識や、原理から紹介したい。 そして、「オーガナイザー」という具体的なはたらき方を紹介する。最後には、やろうとおもえば、すぐやってみれるアクションも例示する。


「あるある」の思い込み

彼らの話をじっと聞いていた。あるタイミングで聞いてみた。

「悩んでいるのはわかったんだけど、今のところどうしているの?」

自分たちのお悩みに対する対処法も、彼らは似ていた。一言で言うと、「フォロワーをつける」だった。彼らのロールモデルは、ユーチューバー、または、インフルエンサーといわれるタイプの起業家だった。

「フォロワーをつけないとと思って、Twitter、Facebook、YouTube、note、そして、オンラインのトークイベントをがんばってやってみました。それでだんだん辛くなってきて、いくつかをやめてしまいました」

彼らは、とても頑張っていた。単身で旅に出て、私のような変な兄ちゃんと話してもらえるのは、言葉をこねくり回して偉そうに社会を批判している人よりも、私は素敵だと思った。

ただ、努力をするにあたって、その前提、あるいは、基礎として敷かれている思い込みが、彼らを苦しめていたように思う。

ひとつは、「スキルを身に付ければ、安定して生きていける」と言う思い込み。
もうひとつは、「この社会は個人戦だ」という思い込み。

そうやって話を続けていくうちに、こんなことも聞いてみた。

「今そんな悩みを持っている人たちって多いの?」。

「自分の周りにはめっちゃいますね」。

自分の身近にも思い当たることがある。そうやって社会の中で、「実は私も悩んでいる。実は僕も悩んでいる」といった調子で繰り返されることを、パターンという。

「スキルを身に付ければ、安定して生きていける」
「この社会は個人戦だ」

これは、20代〜30代を中心に、私たちの社会の思い込みのパターンとしてありそうだと思ってきた。

時代認識① できるようになってから、やるのではもう遅い

思い込みを持っていない人などいない。

その思い込み、あるいはストーリーと言ってもいいけれども、それは私たちの可能性を開いたり、逆に閉じてしまったりもする。その際、自分の思い込み/ストーリーが、今ある社会とかけ離れてあると、つらいのではないか。

たとえば、「言われたことを精一杯やれば、安定して生きられる」「24時間戦える、モーレツ企業戦士」は、高度経済成長期の思い込みだ。それはその当時は、機能した。実際にそれで幸せになった人を知っている。そういう社会だったからだ。

でも、もう今はそういう時代ではないのは明らかだ。今どんな時代なのだろう。

今、社会は、極めて不確実で、変化が目まぐるしい状況にある。その中では、かつてのように1つ身につければ、一生それで食っていけるようなスキルと言うものは存在しない。そして、スキルと言うものは、宿命的にコモディティ化/陳腐化する。

たとえば、今の時代だと、市場の需要に対しては、プログラミングや、映像制作などをする人が足りていないので、その養成講座などが流行っている。いずれその供給が追いついてくれば、そのようなスキルは決して珍しいものではなくなって、だんだん飽和してくるだろう。そして、相対的にスキルの市場価値は落ちていく。

そして、その陳腐化のサイクルが回る速度は、肌感覚として、確実に上がっている。あるいは、新型コロナのように全く予想もできないような社会変化によって、それまで必要とされていた仕事が、突如一気になくなると言う事は今後もあり得る。

ひらたく言うと、今の社会では、できるようになってから、やるのでは、もう遅い。 「本番に出る前に、スキルを身に付けるという準備期間をとる」というのは、決して間違いではないけれども、今の時代とはなかなか合いづらい発想かもしれない。

繰り返すけれども、できるようになってからやるのでは、もう遅い。

時代認識②個人の時代は終わった

彼らは、話の中で、「これからは個人の時代だ」という、コロナ以前の時代の古めかしい新自由主義っぽい主張を、SNSか、売れ筋のビジネス本からかによって刷り込まれていた。そうすると、自分個人の影響力を高めたくなるのだろう。そして仕事も、自分1人でできることを何とか増やそうとしていた。

個人的には、今、そのレースに出て大丈夫なのだろうかと思う。YouTubeや、もっと前で言うと、ブログ、ネットビジネスの創成期などであれば、それは効果的な勝ち方だったかもしれない。

しかし、いい加減それらが成熟してきて、レッドオーシャンになった状態で、かつ、このぐちゃぐちゃな世界全体に対して、1人で立ち向かうことは、可能なことなのだろうか。

なんで「スキルがない」と思いながら、ひとりで、急に顔の見えないマス(例えば、全世界20億人のYouTubeユーザー、noteのユーザー4400万人など)に、アピールをしようとするのだろうか?なんで個人で、オンラインサロンとかやり始めようとするのだろうか?

その中で、よくあるのは、いい意味で意識高めの学生や地域おこし協力隊上がりの人に向けて、社会性の高いビジネスを起業するために、個人で20万円近くのも参加費を払って、「個人起業」をサポートするイベントだ。だいたい、そこに並ぶのは「有名講師陣」。そして、かっこいい修了証書を渡されて「あとは自分でがんばってね。または、さらに実践的なセミナーがありますよ」。運営側のロジックとしては、「うまく起業できなければ、それはあんたの能力のなさと自己責任」。

そう言われて、どうすればいいかわらず、おわっていた子がいた。結局、その子は役所の非正規雇用になった。どういう気持ちで、そういう人たちから金をもぎ取るんだろう。その子は、おばあちゃんからお金を借りて参加していた。あくまで個人的には、ひどすぎやしないかと思った。

実際の現実をよく見てみると、シンプルなことに気づくのではないか。

この社会は、個人戦ではない。

いくら情報化が進んで、かつては組織でしか持てなかったようなスキルや知識を個人が持てるようになったことによって、「個人の影響力が高まる」のは、私もそうだと思う。

しかし、個人戦で仕事をしろなんて、どこかに書いてあっただろうか。あるいは、そうしている人がいただろうか。もしかしたら、「一人勝ちして逃げ切り」「不労所得」みたいな甘い生き方を、まだ狙っているのだろうか。個人の時代はもう終わった。

実際には、この社会はチーム戦でできている。

それゆえ、フラットに働ける小さなチームをつくることが、私の場合は役に立っている。自分の小さなチームやコミュニティいう境目がいれば、その内側で自分の出番は見えてくる。

ただ、その小さなチームは、一人一人が異なる背景や得意技を持っていることが望ましい。自分と話が合う業界の人たちでつるむのは、居心地は良いけれども、同じ構造の中にいるので、同じ問題にはまってしまうことが多い。

先日行った江別のワークショップのコアチームは5人だったけれども、それぞれが違う視点を持っていた。そのために予想できない進路の中で、予想できない問題が起きた時も、常に少なくとも1人は冷静に自分の知識と経験の中から対応することができた。

では、「できるようになる前にやってみる」「小さな共にはたらくチームをつくる/入る」は、どのようにすればのいのだろうか。

行動原理「ボールを転がせ」

その取り組み方の原理を、言葉にするなら、こうだと思う。

まずは、ボールを転がせ。
共感して、貢献しろ。
友だちを勝たせろ。

ボールを転がすとは、具体的には、「相手が困ったり、したいと思っていることに対して、自分ができるアウトプットをたずさえて、具体的に提案する」ということ。

「言ってもらえれば、なんでもやります」という人は、「ボール待ち」だ。こういう人は、発言が「かまちょ」になりやすい。自分から提案をせずに、エサをもらうのを待っている。おすまししてないで、もっとハングリーさと、泥くさい誠意を見せよう。言葉じゃなくて、行動で。

大切なのは、「もしよかったら、作りますよ」ではないということ。それだと、あなたがその人のために何かをつくっている間に、相手を待たせることになる。急にやってきて人の時間を奪うのは、あまり賢い提案のやり方ではないだろう。

こういう感じてやりたい。

「作ったので持ってきました」
「やってみた結果こうでした。役に立ちましたか?」

それだと、効率が悪いと思う人がいるかもしれないけれども、その逆だ。一度、たたき台を出してみて、それを相手の要望に合わせて、こねていった方が圧倒的に、仕上がりのスピードも質と高い。

一度で、完璧なものを作ろうとすることの方が、圧倒的に時間がかかる。しかも、そうしようとすると、もう「失敗できなくなる」ので、恐れが仕事や作品の中に入ってくる。ビビりながらつくったものは、おもしろくない。

ボールの転がし方

①とりあえず転がして、転がったものを追えばいい。転がらなければ、転がるタイミングではなかったのだと思って、無理に押さなくていい。固執は失敗の元だ。

②経験的には、転がし始める時点では、きっと転がるだろうと思っていたものが行き詰まる事は多い。一方で、なんとなく手をつけてきたものが、思わず人のニーズに応えて、仕事につながることも多い。知らないうちに、雪だるまみたいに、人を巻き込みがなら、新しい仕事を生み出せるボールになることもある。

③ボールを転がすのは、適当にやらないこと。十分に、相手の気持ちを想像した提案が求められる。その上で、1つのボールを転がすのに、多くの時間をかけすぎないこと。

④貢献しようとしている相手のニーズがどこにあるのか、常に注意深く話に耳を済ませること。Twitterなど見ている暇があれば、目の前の人の話をじっと聞いて、声色と表情を観察したほうがいい。そこにニーズは隠れている。

⑤やってみることを通じて、同時並行で自分のスキルアップも行うことを気をつけること。

⑥慣れてきたら、同時に複数ののボールを、とりあえず転がしてみたらいいと思う。私は常時、10個くらいかもしれない。

具体的なアクションで考えてみよう。

具体策①クリエイティブ系の人向け

写真を撮る、動画を作る、記事を書く、音楽を作る、イベントロゴやチラシのデザインをする。

自分の感性や、自分の解釈をプレゼントする。それは受け手にとって新しい気づきになる。別に、そこにスキルは必須ではない。

私の場合、プロジェクトの技術的なサポートで呼ばれたときに、 主催者のお悩み相談に乗って、テキストに起こしてプレゼントすることがある。あるいは、参加者としているだけの時に、勝手に写真を撮って、その取り組みで自分が気付いたことを記事としてプレゼントしたりすることがある。そうすると、次につながることは多い。

もちろん、自分が良かれと思って作ってみたものを見せた結果、相手の役にたたなかったことも、学びになる。「ではどうすればもっと役に立つことができますか」ということを聞けばいい。

その言葉だけ言うと、まるで押し売りのように聞こえるかもしれないけれども、実際は、それを売ろうとはしない。すぐにお金にはしない。

入り口は、ただただ、自分が心から共感して、その人の役に立ちたいと思ったら、全力で貢献をするだけだ。

それゆえ、「自分がどのような人の、何の役に立ちたいのか」ということは、ちゃんと自分に問うて、ふりかえることは、本当に大切だ。誰の何のために働くかは、あなたの選択だ。打算でなくハートで選べ。飼い犬や金魚のフンになるな。そうでないと、あなたは「コスパのいい道具」として、搾取された気持ちになってしまうかもしれない(相手にその悪気がなくてもだ)。

そうやって仲間を選ぶ審美眼も、経験によって培われる。私は活動を始めて10年選手だけれども、実のところ、特に若い時は、先輩の言葉をうのみに信じてしまって、その時だけチヤホヤされ、搾取されるだけされ、ゴミのように捨てられたような気持ちになった経験が、少なくない。できれば、心から人の成熟と自立を願っている人を選んで、役に立つことを申し出るといい

どうやったらそれがわかるか?よーく、人を観察したらいい。その人が、あなたとは別の人とやりとりしている時の、表情、振る舞い、言葉遣い、行動を見ろ。その人は、何に喜びを感じて、何に悲しみを感じていたか?いくつか異なる状況に置かれても、その人の似た行動や感情の表出があればそれは、その人の「パターン」だ。自信がなくて支配欲が強かったり、嫉妬深かったり、人を出し抜いたり、結局金が欲しいだけ、自分だけ勝とうとしている人のパターンは、よーく見ていると似ている。言葉だけは美しくて巧みだったり、仕事の目的について話す前に変に金をちらつかせる「ハリボテの人」には、気をつけてね。ただし、決して、他人に対して早合点や決めつけはしないように。

ともあれ、私の場合、いろんな紆余曲折がありながら、ありがたいご縁や共感できる仲間たちの役に立とうとした結果、この数年で、基礎的なグラフィックデザイン、写真と動画の撮影と編集、ライティングを身につけた。というか、今も練習している。自分のnoteアカウントは、30本くらいの公開記事があるが、本気で社会に出す気で長時間かいて、結局、書ききれなかったクソ記事が90本近くお蔵入りしている。その中で、まだマシなクソな作品を大量に出しまくって恥をさらした結果、今は本業であるワークショップに、付帯する仕事としてさせてもらえるようになった。

ただ、私の意図は、まずはそういうクリエイティブワークの有用さをクライアントに知ってもらうことだ。それをきっかけに、仲間に仕事を出したくてしている。「私なんかに頼むよりも、全然クオリティが高いものをちゃんとできる子がいますよ」。(私は人に仕事を出しまくるからいつも貧乏…みんなはそうなりませんように。)

具体策②全員向け|オーガナイザーというはたらき方

もし自分が写真やデザインなどのクリエイティブ表現をするような仕事をしていない人でも、ボールを転がすことはできる。

たとえば、こうする。

・会議のリマインドをする。「今夜よろしくお願いします。zoomの部屋用意しましたので、よかったら使ってください」。
・「今度の出張、こんな乗り換えで、一緒にいきませんか。」スリーンショットを送る。
・飛行機をとるなら、これと、この組み合わせが安そうですよ。こんな助成金もありますね。お得な情報をシェアして、使い方を教える。一緒に考える。
・zoom、スラック、miroなど、デジタルツールの使い方を勉強して、サポート役を名乗り出る。
・「次の会議はどうしましょうか。今そのプロジェクトはどんな状態にありますか」「この前こんなことをおっしゃってましたよ、こんなことを話してみませんか」など、ちょっと人の意向を伺ってみる。
・「このイベントの目的はなんですか」と、大切なことをわざわざ言葉にするように聞いてみる

まずは、「人の話をじっと聞く」というのは、すばらしい最初の一歩だと思う。「伝え方」ばかり身につけて、人の話を聞かなくなってる社会の中で、聞き役は全く足りていない。

それで、何かとっかかりが掴めそうだったとしたら、積極的に自分から、次のちょっとした会議の日程調整役、会議室の確保、イベントページの作成などを名乗り出る。ていねいな個別連絡と、日程調整役を名乗り出るのは、めちゃくちゃ大切な仕事。強調しきれないくらい大切。

たとえば、知り合いのKくんは、普段は映像を制作しているけれども、身の回りにいる人が困っていれば何でもする。スケジュール管理、日程調整、会議資料の作成、仲間に来客があれば、勝手にコーヒーを出したり、掃除洗濯、食器洗いも積極的にする。

こういう仕事を「オーガナイジング」という。

えーなんだよ、そんな「小間使い」「パシリ」かよ、と思っただろうか。もしそう思った人は、たぶん、ちゃんと仕事をしたことがない人だと思う。どういう努力によって世の中が回っているのかを見たことがないのではないか。一方で、答えのない現場で、やっている人たちは、「マジそれ、そこ大事」と深く頷いてくださっているのではないか。

オーガナイズがなければ、企画も、クリエイティブも、現場も、全てが動かない。すべての基盤だ。

そして、それは間違うと大きな悲劇を生む。たとえば、「会議室を予約していませんでした」とか。

めちゃくちゃ大切で、めちゃくちゃめんどくさい仕事だ。手間も時間もかかる。いろいろな配慮が必要になる。しかし、これがうまくいくと、全てが円滑に進んでいく。チーム全体と、メンバーひとりひとりのパフォーマンスがあがる。

オーガナイズは、「縁の下の力持ち」で、水面下ではたらく。もしチームがイベントをしようとしているならば、イベントの参加者にとっては、オーガナイザーのあなたは、見えない存在だ。ただ、参加者は、いつの間にか、いろんなものが整えられていて、必要なことが必要なタイミングでやってきて、スムースな進行に感動して帰る。

その功績について、たぶん、参加者は、あなたを褒めないだろう。その代わりに、参加者は、イベントの主催チームを褒める。「とてもテンポが良くて、素晴らしい体験だった」と。それでいい。

オーガナイジングは、あなたが、友だちを勝たせるためにやる支援だ。友だちを勝たせろ。

できれば、圧倒的に。そのために、友だちが働きやすい環境を整えて、不安なことや手間のかかることを代わりに担ってあげて、クリエイティブなことに集中できるようにしよう。

そうしたら、「よくやってくれてるから、今度現場も一緒に来て欲しいな」と誘われることがほとんどだ。人間には、互酬性(reciprocity)というものがあり、献身的に恩を送られたら、送り返したくなるものだ(って私に言われなくても知っていると思うけど)。実際に、Kくんにをめちゃ飲みに連れて行って、相談に乗って、仕事を頼んでいる自分がいる。

ただし、絶対に気をつけなくてはいけないことがある。恩返しを期待して、それを動機にしてオーガナイザーとして関わることは、しないことだ。「結果に、もしかしたら恩返しをされたらラッキー」くらいの認識でいよう。

繰り返すけれども、基本的には、自分の共感する気持ちから貢献をすることから始めないといけない。見返りを求めて、見せかけの共感で働いているのは、割とすぐバレる。

好きなことで、自分らしくはたらく?

その気持ちは尊いと思う。それを諦めちゃった人たちよりも、あなたは千倍くらいかっこいいと思う。私もそうありたい。

ただ、その境地に、すぐ至ることができると思うのは自分の人生が、「しない言い訳」ばかりになるから、やめたほうがいいと思う。「そんな働き方は、自分らしくないです」。「そういうことは自分はできないんです」。やったこともないのに、なぜそうやって決めつけるんだろう。

また、くれぐれも、「自分だけが勝つ」みたいなやり方はしないほうがいい。単純に下品だし、チームができないので、サバイバル術として賢くない。しつこいけれど、まずは友だちを勝たせろ。短期的には、負けておけ。(っていうか、「勝ち負け」の話で、仕事を考えるのがそもそも下品だ。)

想いがあって、手が足りない人はたくさんいる。その人の役に立つように、まず手を動かしてみれば、必ず人の役に立てることはある。すぐオリジナリティとか、好きなことで働くとか言葉をこねくりまわして、自分のプライドを慰めている暇があったら、手が足りない人を見つけて、手伝って、やってみて、ピンときたものを手さぐり始めればいい。

好きなことを仕事にすることを急には狙わずに、「やってて、いやじゃないこと」を見つけて、自分なりに探求をしたらいい。とにかく手広く、やってみたらいい。

それが「自分のセンスを探し当てる」ことだと思う。センス(自分なりの感性と意味)は、既にあなたの内側にある。ただ見えていないことが多い。それをぼやっと見つけたら、そのあたりを頼りに、それを増幅するスキルを身につけたらいいと思う。

「流行にあわせる」というのは、自分の感性をコモディティ化することだ。スキルは陳腐化するが、あなたのセンスとキャラクターは、この世界で唯一の、かけがえのないものだ。絶対に、自分の感性と人格を見捨てるな。自分の好きなフィルターで盛れ。自分に響く言葉で話せ。いくら今自分の近くにいる人からキモいとか、バカだとか言われたとしても、自分が好きだと思ったことは好きだと信じぬこう。(それを「いつでもどこでも誰でも表明するかどうか」は、また別の話だけど。別稿「火起こし理論」を参加のこと)。

その上で、対人関係では、まずは、自分の自分らしさを守ってほしいと要求する前に、仲間が自分らしく働きやすい環境はなにかを聞こう。それに貢献することから、はじめよう。宮崎駿ばりに、「自分とはこういう存在で、このように働きたい」と宣言するnoteが乱発しているのは、きっとインフルエンサーやスター選手をロールモデルにして、真似しているのだろう。いや、だから、お前は宮崎駿か。

実際のところ、誰と組むかによって、「自分らしさ」やはたらき方は変わる。家族といるときの自分と、職場にいるときの自分と、パートナーといるときの自分って、違うよね。

以前、私は、圧倒的にパフォーマンスが高いチームにご一緒させていただいた時、賢ぶって企画には口を挟むことはせず、知恵を盗むことも諦めたことがある。「爪痕を残す」ためかわからんが、虚栄心で、パフォーマンスが高い人たちの時間を奪うことは、ほんとうにやめよう。クビにされる可能性が高い。

その代わり、私は、彼らが帰り道でも打ち合わせができるように、Google マップを手元に開いて、私が道を先導できるようにしたり、彼らの食べ物の好みを聞いて、スーパーに買い物に走ったりした。彼らが帰ってくる頃には、滞在先のキッチンで、短い時間で、美味しくて温かい料理をいくつか提供する役を勝手にとったことがある。おつかれさまとねぎらい、ちょうどのタイミングで風呂にお湯を入れ、備品は買い揃えておいた。それが共感と貢献を「やる」ということだ。

最後に、想定した読者に言っておくと、あなたの想いは尊いし、あなた自身にはなんの問題もない。何度も言うけれども、すばらしいセンスがある。

一方で、この世界はクソすぎると思うことがあるかもしれない。「大切な誰かのために」「社会のために」、「拝金よりも、やりがい」を求める人たちが、搾取の対象になるなんて。私は、あなたこそが、社会のみんなからの投資の対象にならないといけないと思っている。

でも今の社会は、そうなっていない。そんなクソな状況から這い上がりたければ、嘆いて待ってないで、まずは泥をすするような努力をしよう。この境目のない世界で、自分一人で身を立てるには世の中は複雑すぎるし、動きが早すぎる。

小さくて、多様性に富んだ、共にはたらくチームを組もう。

そのためにも、まずは、ボールを転がせ。

共感して、貢献しろ。友だちを勝たせろ。圧倒的にだ。

おさそい

今回、私が紹介した考え方は、自分の経験に基づくものだけけれども、理論的には、アジャイル開発やプロティアンキャリア、ライフシフトなどのような言葉で話されているので、興味がある人はググってたらおもしろいかもしれない。

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反町 恭一郎
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