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高校生と、対話と表現をまなぶ|アーツ前橋アーティスト・イン・スクール

空が広すぎて向こう側まで見えそうだ。

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あ、業務日誌です。

前橋市内の高校で、対話と表現を学ぶ場をつくるための打ち合わせでした。夏休み中なので、しずかな校舎。真っ青に突き抜けた空から、教室へ白く光が差し込む。テニスコートから軟式ボールがスコーンと打たれる音が響くと、緑が揺れて、木漏れ日がちらついた。

校舎を歩いて生徒のみんなと会う。和太鼓部のみんなは休憩中だったのに、誰かもわからない私たちの顔を見て、桐生なんちゃら節を叩いてくれた。うれしいな。

これは、群馬県前橋市にある美術館「アーツ前橋」のAIS(Artist in school)という、表現者が学校に招き入れられ、高校生と一緒に学ばせてもらうという取組です。

わたし自身は芸事に身を置く者だけれど、世に言われるアーティストというよりは、だいぶ現場作業員寄りなので、「こんな自分でよければ」と、おずおずお呼びかけにのっています。学芸員のみなさんありがとうございます。

「いま、なんとかしたいこと」をもとに、今必要な問いの探っています。

みんな、生徒も先生も、あるいは親御さんも、いいたいことはあるけれど、日々それを言葉にするのが難しい。
表面的にはナイスだけれど、もう一歩深く、自分や他者と関われないかな
私自身もそうだけど、少なくない人が、不登校を経験し、生きづらさを抱えている。どうしたら一緒になんとかできるか
自分の大切なものを大切にしながら、人の大切なものを大切にするにはどうしたらいいかな
表現力、言葉を変えれば、「声をあげること」は、どうも個人の問題に矮小化されすぎではないか。たしかに個人のがんばりは大切だけど、「声を出しやすい仕組み」や「話を聞きあう環境」は、日本社会でどれだけ整備されているだろうか。
そのために、日々の暮らしの中に、どんなコミュニケーションのチャンネルをひらいたらいいか。言葉にならないけれど、たしかに「ある」ものを、言葉以外で表現するとしたら、どうのように?

「私たちは今どこにいて、これからどうなりたいか」。そんなことを話していると、なんだかいろいろとやりたいことが生まれてきて、「まずは自分たちがやってみよう。学校中の先生方に呼びかけます」という、思ってもみない展開に。まだまだ、全然なにをやるかはきまってないけれども、探求の中には入った感じがします。

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おもえば、自分が高校生のとき、そして、かつて教師をやっていた時は、自分は、多動で凸凹した脳みそと、おぼろ豆腐よりもろい心を、今よりもむき出しで生きていたなと思う。ひどくぶつかるか、逆に、ぶつかることから逃げるかのどっちか…

そうするほか、選択肢がなかったのです。自分を大切にするすべも、他人を大切にするすべもしらなかったし、そういうものがありうる可能性すら見えていなかった。

いまのみんなは、どうなのかな。自分とは、どこが違くて、どこが似ているんだろうなあ。

つくったものは壊れるが、産まれたものは壊れない。みんなの今の願いや声が聞かれ、つながれるうちに、日々の暮らしを力づける取組がうまれたらいいな。

これからどうなるか、見守ってくださいね!

つづく

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