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「対話力」入門④挑戦するきみへ「そんなん意味があんの」の返し方

もしあなたが社会や組織の中で新しい価値を作り出そうとしたり、あるいは、私たち健やかで幸せにいることを邪魔している仕組みを無くそうとしたりなど、「チャレンジ」をする人であれば、この質問は問われたことがあるはずです。

そんなことやって、なんの意味あるの?

少なくとも私は、この質問にスマートに対応することが難しい時期が長かったと思います。今もそうかもしれません。

そこで、これが正解と言うわけでは無いですが、私がどういう風に具体的に対応しているかをメモしておこうと思います。特に、この問いに、「対話」のマナーを採用するとしたら、どんな風に応えるか。

対話とは話し合うことではない

対話というと、「話し合いをすることだ」という風に思うかもしれません。見た目には、そのように見えるので、そのように考えるのはやむを得ないことです。

しかし、対話というのは、必ずしも言葉のやりとりを通じて行われるものばかりではありません。

意味を通すこと

そもそも、英語のDialogueの語源は、ギリシャ語の「dia logos」です。diaは「通す」、logosは「意味」。直訳すると、「意味を通すこと」になります。

たとえば、サッカーグラウンドで選手同士がパスを出す時、ライブハウスでミュージシャンが即興演奏をする時、そこには言葉のやりとりはありません。しかし、意味が通じていますよね。そこでは、「言葉のないダイアログ」が成立しています。

実際、話し合いの最中でさえ私たちは、言葉以外にもたくさんのメディアを使っています。目線、呼吸、音、身ぶり手ぶり、佇まいなど、さまざまなやり方で私たちは意味をやりとりすることができます。

meaning making

一般的な語用として、意味を【見つける】と言われることもあります。しかし、ダイアログは「meaning making =意味をつくること」とも言い換えられるように、どちらかといえば、対話的は、【意味をこねこねして、つくりだす】というイメージで、理解したほうが役に立つと思っています。

餅つきや、パンづくりのようなものです。そのままでは食べづらい素材を、集めたり、つぶしたり、まぜたり、離したり、つなげたり、こねたり、投げたり、のばしたり、寝かせて発酵させたり。なんとかして、食べられるもの・おいしいものになるようにしていきます。

まじ意味ねー

ずっと前のことですが、私はとあるプロジェクトの企画会議にいました。その時に、ひらたくいうと「まじ意味ねー」と思ったのでした。

そこで、私はこんなことを言いました。「こんな話には意味がない」「もっとわかりやすくしてよ」。それで、何とかしてその取り組みを動かしたい思っている相手を、プチ切れさせてしまいました。そのことがプロジェクトを頓挫させ、私とその人の関係が断絶するきっかけになってしまいました。

しかし、別の機会では、似たようなモヤモヤした状況の中でも耐えることができました。そして、次の展開が見えてきたという経験があります。それは、「意味は自分でつくろう」という意識をわざわざもって参加したときでした。

ただ、その後また別の機会で、私が主催するイベントで「こんなことには意味がない」と言われた時は、今度は私がプチ切れてしまったことがあります。「当然、意味があるに決まっているんだろう」という奢りが自分にあったのでしょう。相手の目線に立って「意味をつくる」ことへのお誘いができませんでした。

「それ意味あんの?」への対応方法

どうしたら意味が通るでしょうか。特に、新しいチャレンジが、立ち上がりの段階で、共感者をあつめたり、つぶされてしまうことを避けるために。

具体的にどうするかが、前回述べた3つのお稽古です。HOWに関しては、細かい事はたくさんありますが、これにつきます。

その原理をもとに、「なんの意味があんの」へ対応の仕方、すなわち、あなたがチャレンジ(挑戦、挑発)された時の対応について考えてみましょう。私はこうしています。

①まず、もっとも基本的なことは、対話の原理その1。自分の発言やふるまいに、いちいち意図を持つということです。そこさえしっかりしていれば、堂々としていられるはずです。「自分にとって、このことにどういう意味があるのか」「どういうねらいがあるのか」を考え、意識する練習はいつでもできるはずです。

②次に、いよいよ「それにどんな意味があるんですか?」という質問をされた時は、反応的にならないことです。「はあ?」とか「え…」とか、カチンと来たり、あたふたしたりを出さないこと。

私が反応的になるのは、自分に自信がないとき、ねらいが定まっていない場合が多いと思います。あるいは、「ああ、この人にわかってほしい」というエゴが急くとき。意図を持って、ゆったりと堂々としていること。そして、自分が揺らぎそうになったら、一呼吸おくこと。

もしあなたに確固とした軸やスタンスがあり、こころに余裕があれば、あなたは相手を説得する必要を感じないはずです。人からどんな評価を下されようと、あなたのやっていることには価値があって、あなたは器の大きな人間なので、声を荒げる必要も、おおげさにアピールする必要もありません。人からの質問の途中で、得意げに語り出すひとを見たことがあるはずです。それは、むしろ自信や余裕のなさを露呈することに見えます。

③その上で、私にとっての意図や意味を相手に伝えることがあります。もちろん相手にわかりやすく説明することができれば立派かもしれません。「こういう狙いがあります」「うまくいくかどうかはわからないのですが、こういう仮説を持って今やってみているんです」。

ただ、自分の中でまとまっていないことを無理にまとめる必要はないと思います。「まだうまく言葉にはなってないんだけど、とても大切だと思ってるんです。ここからどういう可能性が開かれていくのか、一緒に探ってくれませんか」。こうして、助けを求めるのは賢いリアクションだと思います。

しかし、それだけだと、相手は「教えてあげればいいんだ」「教わればいいんだ」と、ご意見版モード+お客様モード+思考停止になってしまうかもしれません。これもつらいですね。

④そのために、とてもパワフルなアクションが「聞くこと」です。対話の原理2ですね。「いつそう思ったの」とか、あるいは、「ちょっと座ってはなしますか」と、相手にスペースを差し出すこと。相手の感情をうけとめること。相手がその質問にいたったきっかけ=何を見たり、聞いたりしたのかを聞くこと。これらの実践は、しばしば見逃されています。ここさえできれば、建設的な話がはじまることが多いです。

⑤ただし、中にはどうしても「頭でわかりたい」「説明してほしい」という方がいます。けっこう多いと思います。自分がまだ体験していないことを、自分が体験することなく、人の説明でわかろうとするムリゲーに挑んでくる人たちです。あれマジでなんなんだろうか。

このときが、「言葉での対話」を超えていかなくてはならない場面です。そんな人には、行動や観察をすることをお誘いします。「まずは一緒にやってみない?」。あるいは、「やってみるので、見ていていただいてもいいですか。そのあとに、どんな意味があったか、もう一度話しませんか」。まずは経験を共有して、そのあとにふりかえってみることをお誘いします。

以上は、かなりていねいな対応の仕方だと思います。このように、結果的に「話しあい」をすることが多いですが、その前段の心の中の動きや、実際の行動を含めて、私たちは意味を作るための工夫ができます。

⑥ただ、中には、「それに何の意味があるの?」「そんなんやって意味あんの?」という言葉が、質問している風で、ただの攻撃や非難、あるいは、決めつけであったりすることもありますよね。相手からそういう意図を感じたり、質問の仕方が嫌だなぁと思ったら、そもそも対応しなくていいと思います。黙ってニッコリして、なにか別の理由をつけて、その場からフェードアウトする。

わかるつもりがなくて、ただ質問したいだけの人に、わざわざあなたの時間を使う必要がないと私は思います。それは、その人のことをあきらめると言うことではなく、いつかわかることを願って「時間をおく」ということです。

以上、意味を作り出すための媒体、やり方はさまざまにあります。ぜひご自身の好みのチャンネルをつかって、試行錯誤、仮説検証をしてみてくださいね。繰り返しているうちに、きっと自分なりのコツをつかんでいけるとおもいます。

ほかの人からは価値や意味が見えづらいチャレンジを大切にしているあなたのことを、微力ながら私は応援しています。今日もいい日になりますように。

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