私は、学校の数学や物理の授業での、さらに、最近よく利用するAI検索においても同様、ひとつの証明の際、必ず、何々理論、何々法則により、何々となると言う証明法を採ることに対し、それは何も考えず、暗記事項の利用でしかなく、なぜそうなるのかと言う理論や法則の成立性の過程の証明がなく、単なるむなしいオペレーションの世界であると感じており、・・・
私は、学校の数学や物理の授業での、さらに、最近よく利用するAI検索においても同様、ひとつの証明の際、必ず、何々理論、何々法則により、何々となると言う証明法を採ることに対し、それは何も考えず、暗記事項の利用でしかなく、なぜそうなるのかと言う理論や法則の成立性の過程の証明がなく、単なるむなしいオペレーションの世界であると感じており、もちろん、大学の時業から疑問を感じ、暗記して、実際に利用すれば良いと考えている人には、それでよく、どうでも良いことと映るかもしれませんが、将来、理論物理で、新しい体系を考えている立場からすれば、暗記ではなく、その過程の成立性の厳密な理解であり、大学や大学院での授業は、創造的な人材育成になっておらず、職場で、すぐに役立つ暗記実用主義に過ぎず、ずっと、嫌悪感を持ち続けていました。