安全とは何かであり、苛酷炉心損傷事故が発生しても、環境に放射性物質を放出しなければ、安全なのか否か、安全審査を通過したならば、事故・故障は、起こらないと考えている人が本当にいるのか、事故・故障は、部品の摩耗や製造上の不完全さなど、事前に気づかないこともあり、安全審査では、公衆の安全、すなわち、環境と人間を含む生き物に有意なダメージを与えることのないような保守的条件で審査に合格したのであり、何も起こらないことを保証したのではない
私は、原子力規制委員会の二代目の地震担当委員の石渡明さんの主張に疑問を感じており、石渡さんは、「安全審査は、安全を保障するものではなく、それでも事故は、起こり、寺や神社のお札のようなもで、形式的で、何の意味もない」と言う主旨の主張をしていましたが、問題は、安全とは何かであり、苛酷炉心損傷事故が発生しても、環境に放射性物質を放出しなければ、安全なのか否か、安全審査を通過したならば、事故・故障は、起こらないと考えている人が本当にいるのか、事故・故障は、部品の摩耗や製造上の不完全さなど、事前に気づかないこともあり、安全審査では、公衆の安全、すなわち、環境と人間を含む生き物に有意なダメージを与えることのないような保守的条件で審査に合格したのであり、何も起こらないことを保証したのではないことくらい、分かるだろう。もっとはっきり言えば、未来のことは、誰にも分からず、戦争や隕石衝突など、不確実要因は、少なくありません。