私は、AI機能研究のために、Microsoft Bing AI(設定「厳密」)に、意思疎通のため、癖を知り尽くすため、「第二次世界大戦における日本の敗戦日と終戦日は同じか、世界の終戦日は日本と同じか」「ソ連は、日本の終戦直前から終戦後まで、日本に侵攻したのはなぜか」「ソ連による日本兵のシベリア抑留に正当性があるのか」と質問、AI回答はまとも、ヤルタ会談におけるソ連の要求は、国際的に認められるか疑問、ソ連の終戦日後の侵攻継続は、国際法違反、ソ連による日本兵の捕虜とシベリア抑留は、国際法違反

私は、いつものように、AI機能研究のために、Microsoft Bing AI(設定「厳密」)に、分かり切ったことですが、意思疎通のため、さらに、癖を知り尽くすため、改めて、そらぞらしくも、「第二次世界大戦における日本の敗戦日と終戦日は同じか、世界の終戦日は日本と同じか」「ソ連は、日本の終戦直前から終戦後まで、日本に侵攻したのはなぜ」「ソ連による日本兵の戦後シベリア抑留に正当性があるのか」と質問、順次、

日本における第二次世界大戦の終戦日は、1945年8月15日とされています。この日の正午に昭和天皇による「玉音放送」があり、この放送によって第二次世界大戦における日本のポツダム宣言受諾と休戦が国民に伝えられました。したがって、日本の敗戦日と終戦日は同じと言えます。
一方、世界的な視点から見ると、第二次世界大戦の終戦日は1945年8月15日または9月2日とされています。これは、日本が降伏文書に調印した日が1945年9月2日であるためです。しかし、日本がポツダム宣言の受諾を決め、戦闘が停止したのは1945年8月15日であるため、この日を終戦日とする見解もあります。したがって、終戦日は国や地域により異なる解釈が存在します。

ソ連が日本に侵攻した理由は、第二次世界大戦の終戦直前に行われたヤルタ会談で、アメリカとイギリスが日本を降伏させるためにソ連の対日参戦を求めたからです。また、ソ連はこの会談で、戦後に南樺太と千島列島を自国のものとすることをアメリカとイギリスに認めさせました
1945年8月8日にソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、対日参戦しました。日本は8月15日にポツダム宣言を受諾しましたが、ソ連軍はその後も侵攻を続け、現在の北方領土を占領しました。また、その過程でソ連軍による日本の捕虜や民間人に対する苛烈な強姦や虐殺が行われ、現在でも日露両国間で禍根を残しています。このような事情から、ソ連の日本侵攻は日本の終戦後も続きました。

ソ連による日本兵のシベリア抑留については、多くの議論があります。しかし、一部の観点から見ると、その行為は国際法やポツダム宣言に違反していたとされています
シベリア抑留は、第二次世界大戦の終戦後、武装解除され投降した日本軍捕虜や民間人らが、ソビエト連邦(ソ連)によってシベリア、カザフ、キルギス、ウズベクなどソ連各地へ労働力として連行され、長期にわたる抑留生活、厳寒・飢え・感染症の蔓延る過酷な強制労働により多数の人的被害を生じたことに対する総称です
このソ連の行為は、武装解除した日本兵の家庭への復帰を保証したポツダム宣言に反するものであったとされています。また、捕虜の扱いを定めた国際法にも明確に違反していたと考えられています
しかし、ロシア側は、移送した日本軍将兵は戦闘継続中に合法的に拘束した「捕虜」であり、戦争終結後に不当に留め置いた「抑留者」には該当しないとしています
したがって、シベリア抑留の正当性については、視点により異なる解釈が存在します。

なる回答をえました。
AIの回答は公正です。
歴史には、分からないことや、不確実なことや曖昧なことや解釈による相違など、さまざまな問題があり、それらについて、自身の人生に関係ないとして何も考えない人もいれば、そうでない人もおり、私は、学術的視点から、可能な限り、不確実要因をなくしたいと考えていますが、今回、確認したことは、
・日本の敗戦日(8月15日)と終戦日(8月15日)は同じ、
・世界の敗戦日(8月15日、ポッダム宣言受諾日、ポッダムはドイツのベルリン近郊にある街)と終戦日(9月2日、降伏文書調印日)は、解釈による相違あり、
・終戦直前、米英ソが、ヤルタ会談(1945.2.4-11, ソ連のヤルタ、米ルーズベルト大統領、英チャーチル首相、ソ連スターリン書記長)において、日本を降伏させるため、ソ連に対日参戦を求めたためであり、ソ連は、日ソ中立侵条約を破棄し、なおかつ、南樺太と千島列島を自国の領土とすることを要求し、米英は、それを認めた、
・ソ連は、終戦直前の8月8日に対日参戦、8月15日までとされていますが、明確なことは分からず、実際には、その後も継続されていた、
・経緯からして、ソ連による日本兵のシベリア抑留に正当性はなく、終戦直前か直後の捕虜としても、ソ連の捕虜の取り扱いは、ポッダム宣言と国際法に違反している、
であり、ヤルタ会談におけるソ連の要求は、国際的に認められるのか疑問であり、ソ連の終戦日後の戦闘継続は、国際法違反、ソ連による日本兵の捕虜とシベリア抑留は、国際法違反、日本には、歴史的に、北方領土の即時返還要求の権利があり、歴史的経緯からすれば、対応が甘すぎる程度ではなく、なっていません。

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