私は、東大では、駒場キャンパスでの大学院総合文化研究科の5年間後、本郷キャンパスでの大学院人文・社会系研究科の5年間、前者では、同じようなレベルの人たちであり、何ひとつ困ったことはなく、ごく当たり前の世界と映りましたが、後者では、当たり前の世界ではなく、いわゆる教養の差を感じ、困惑し、根源的原因は、東大文学部宗教学科卒から大学院の修士課程や博士課程の院生の中に入り、基礎となる教養の差、具体的には、基礎学力、語学の差(独語や仏語やヘブライ語)、人生、初めて、・・・
私は、東大では、駒場キャンパスでの大学院総合文化研究科の5年間後、本郷キャンパスでの大学院人文・社会系研究科の5年間、前者では、同じようなレベルの人たちであり、何ひとつ困ったことはなく、ごく当たり前の世界と映りましたが、後者では、当たり前の世界ではなく、いわゆる教養の差を感じ、困惑し、根源的原因は、東大文学部宗教学科卒から大学院の修士課程や博士課程の院生の中に入り、基礎となる教養の差、具体的には、基礎学力、語学の差(独語や仏語やヘブライ語)、人生、初めて、大きな挫折感を味わいましたが、ゼミで、口出しできるまでに、半年間もかかり、複雑な心境。