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1990年のヤンキー中学

私はしばしば自分の母校の中学校のことを「ヤンキー中学」と評していますが、具体的にどういう状態だったのか、記憶をたどって記しておきたいと思います。

●話題
基本的に、話題は「週刊少年ジャンプ」「ドラゴンクエスト」「トレンディドラマ」でした。
これらにまったく興味のなかった私は大変苦痛でした。

●服装
「変形」。男子の話題の多くが、これについてでした。
標準の制服がかっこ悪いらしく、こぞって変形ズボンを履いていました。ボンタンとか短ランなどです。
上着の裏地はド派手で、真っ赤なラメが入っていたり、竜が舞ったりしていました。いったい何がかっこよかったんだろう。

●タバコ
タバコを吸うのは一般的。男子の半分は吸っていたように思います。声の大きい勢力家はほとんど吸っていたので、逆に吸っていないと肩身が狭いような感じでした。
私の友人のN君は、学校の教師から、「やめろとは言わん。減らせ」と生活習慣病に悩む患者のようなことを言われていました。
タバコに飽きたらず、シンナーを吸っていた人も多そうでした。

●髪型
いわゆるソリコミというやつを入れている人が割といました。
今のような中年になってみると、どうせ髪の毛は後退していくのだから、やめときゃ良かったのに、と思います。
ソリコミ以外では、男子はジェルやムースで髪を固めて立ててオシャレするのですが、学校で禁止されているため、教師に指摘されて水道でよく洗わされていました。

●服装頭髪検査
というものが毎月一度ありました。全員で体育館に集まって、一人ずつ検査を受けます。普段変形を着ているヤンキーたちも、この日は標準の制服を持ってきて、終わったら着替えていました。
調べられるのもアホくさいが、調べるほうもアホくさかっただろう。
大の大人が給料もらって何やってんねん。アホか。

●朝礼
月に一度、全員でグラウンドに並んで校長の話を聞く会がありました。
もっとも腹立たしいのが、身長順に並んでひたすら「前にならえ!」「やめ!」を繰り返されることです。
そして当然のことながら、校長の話は死ぬほど詰まらないです。

●授業
こんな学校なので、授業のレベルは推して知るべしです。教科書をなぞるだけです。死ぬほど詰まらないです。知的好奇心を満たされることなんて一度もありませんでした。
ずーっと外を見ていました。
どうしてもヒマすぎて、家からテキストを持ってきて隠れて勉強していました。それを級友に見つかり、知らないうちに落書きされました。

教育実習生がたまに来ました。
女性の先生だと、授業中に「せんせー!彼氏いてんの?」「何カップ?」などと聞かれまくっていました。当時の先生という商売に必要なのは、こういう学生をいなすスキルだったんだろう。

授業が始まる前に、学級委員が声をかけて「起立!礼!」をするのですが、当然のことながら声をかけても誰も立ちません。何度も言われてやっと立つというのが儀式のようなものでした。
音楽の授業で、歌を歌うというのがあるのですが、どんなに先生が促しても、誰も声を出しませんでした。高校に入ってから、音楽の授業で歌うときに、みんなが一斉に歌いだした時は、心の底から驚愕しました。

●内申
いまだに夢に出るほど嫌いなのが内申です。
テストの点数で測られるなら実力なので良いのですが、授業態度や提出物もかなり配点されており、苦痛以外何ものでもなかったです。こういう制度でも入れないと、授業が成立しないという大人の事情があったんだろうと思います。
内申という強権を教師が持っているので、親も子供も従わないといけないという最悪の制度です。私はこれを嫌って、私学を志望しました。

●教室
壁は卑猥な落書きで満ちています。机も同様です。彫刻刀で削られているのも多くありました。
尾崎豊氏の曲で「夜の校舎 窓ガラス壊して回った」という歌詞がありますが、ウチの学校も、卒業式の前夜に窓ガラスが100枚以上割られて、テレビのニュースになりました。

●呼び出し
しばしば、学内放送で、生徒の呼び出しがかかりました。これ自体は普通のことと思われると思いますが、ヤンキー中学はわけが違います。
たいていが問題を起こした生徒で、教師側もキレていることが多く、「●年●組、大野!至急生徒指導室に来い!」とマイクに向かって怒鳴っていました。緊張感に満ちた放送でした。

●体罰
こういう学校なので、生徒と教師との間は強い緊張関係がありました。教師は常に臨戦態勢でいる必要があり、男性教師は体育の先生でなくとも、ジャージでした。
生徒のモラルも低いので、手を出したくなる気持ちもわかります。あかんけど。
問題が起きると、生徒の言い訳や事情も聞かずに、いきなり殴りつけるという蛮行をしばしば見ました。

●恋愛事情
ヤンキーがモテる。
はなわ氏が『佐賀県』という曲の歌詞で、「ヤンキーがモテるぅ」と佐賀県の特殊性をいじっていましたが、ウチの中学もまさにこれでした。

●清原和博氏
氏は、私の出た中学校のある市よりもさらに南の市の出身で、年齢は8歳上です。
彼が刺青をいれたり、覚せい剤を打ったり、キャンプにド派手な服を着ていって周囲の眉をひそめさせたりする気持ちは、なんとなくわかります。ソリコミを入れたりタバコを吸ったり、変形制服を着たりするのと同じだからです。
あの当時の雰囲気や価値観をそのまま、大人になっても持ち続けてしまった人なんだと思います。

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こんな環境にいてはいけない。そう強く思いました。毎日毎日、ずっと窓の外を見ながら、こんなことを考えていました。
私のガッツの原点のような気もします。

私は高校で私学に入った訳ですが、そのレベルの違いに驚きました。
上述の通り、音楽の授業で歌うことに、腰を抜かすほど驚きました。
三国志の会話に付き合ってくれる人がたくさんいました。私より詳しい人も多くいました。恐るべしです。
授業は、逆についていけずに外を見ていることのほうが多いくらいでした。
朝礼で「前にならえ」をしなくて済むことに感動しました。落書きはほとんどなく、あったとしても、ウイットに満ちた面白い内容でした。
いわゆる「民度の差」というのを如実に感じました。

人生において無駄な経験なんてないという考え方もありますが、あのヤンキー中学での三年間は、余計だったように思います。

しかし不思議なのは、あれほど跳梁跋扈していたヤンキーたちが、今はほとんどいないということです。あれから5-10年の間に、かなりの価値観の転換があり、恐竜のように滅亡して行ったようです。
いったいなぜ?どなたか研究してください。

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大野潔
『人の生涯は、ときに小説に似ている。主題がある。』(竜馬がゆく) 私の人生の主題は、自分の能力を世に問い、評価してもらって社会に貢献することです。 本noteは自分の考えをより多くの人に知ってもらうために書いています。 少しでも皆様のご参考になれば幸いです。