I left my HEART in Kyoto
私は大学時代を京都で過ごした。
基本的には体育会・硬派という名のモテない君だったのだが、こんな私にもささやかなロマンスはあった。
そこそこ長くお付き合いしたのだが、地方出身者によくある、就職による必然的な別離のときが訪れた。
新幹線のホームまで見送りに来てくれた彼女は、新幹線に乗るまさに直前に、「私、子供が出来たみたいなの」と言った。
マジかよ。新幹線の中で、顔は真っ青になった。
しかし、翌日から新人研修が始まり、90年代後半の多事多端な金融業界の日々が始まった私は、地元に残してきた彼女との連絡は途絶えがちになり、そのまま自然消滅してしまった。言い訳ではないが、今のようにラインやSNSがあれば、もっとマメに連絡が取れたのに、と思う。
時間が記憶を風化する。思い出さない日はなかったのに、徐々に忘れて行った。
「ただ単にからかっただけやろ」「想像妊娠というのもあるらしいしな」などと自分に都合の良いことばかり考えて、忘れようとした面もある。
その後の消息は杳としてしれず、今に至る。人生最大の懺悔である。
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先日、思うところがあって、久しぶりに京都に一人旅に行った。
外国人でごった返すわけだが、私はいわゆる名所旧跡には行かない。昔の思い出の場所やお店を回るのだ。
そこで、一人の佳人と出会った。
男女の出会いに説明は要らない。ある場所で出会って挨拶をし、その数時間後にまったく別の道を経由して、また同じ場所で出会った。人の少ない場所に行くので、珍しく思ったのだ。
「おや、奇遇ですね」から始まる関係である。はたから見ればナンパである。
彼女も東京から一人旅だった。
私のヒアリング能力は抜群なので、一緒に過ごした短時間で、いろいろなことを聞き出した。結婚して子供がいたが、離婚して子供を置いて、京都に来たとのことだった。
出会いに説明が不要なように、別離にも理由はいらない。子供の教育方針、お金のこと、異性関係、義理の親との関係、などなど、長く過ごせばいくらでも挙げられる。
彼女の話に激しく共感した私は、これまで誰にも話さなかった卒業間際の恋人のことを話した。子供を残してきたかもしれないことも話した。
「こんなことも奇遇ね」と彼女は莞爾とほほ笑んでくれた。
そして、その後丸一日を私と過ごしてくれた。
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あの時と同様、京都駅の新幹線のホームで別れることになった。私は東京に、彼女はこのあと大阪に行くのだ。
先に発車時刻の来る私を見送るために、上りのホームに来てくれた。そこでベンチに座って、新幹線が来るまでの短い時間、切ない時間を過ごした。
ベンチに、どこかの外国人が書いたのか、こんな落書きが書いてあった。
I left my HEART in Kyoto.
私は、そのHEARTの部分を線で消して、
I left my HEART CHILD in Kyoto.
と書き直した。
それを見た彼女は私のペンを取って、Kyotoを線で消して、
I left my HEART CHILD in Kyoto Tokyo.
と書いた。
そして「私たち同胞ね」といって涙ぐんだ。それを見た私は、たくさんの人が行き交うのをものともせず、彼女を抱き寄せて激しくキスをした。
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ここまで読んだあなた!
これは、名作『課長島耕作』にあるサンフランシスコ編、美人ディーラーであるパメラとのエピソードをモチーフにして考えたものです。私が京都に住んでいたこと以外、真っ赤なウソ、すべて妄想です。
通な人の中には、I left my HEART in Kyoto.のあたりで気づいたという方もおられようかと思います。
島耕作は重役になってからパメラと再び巡り合うのですが、それはまた別の話。
そして最後のキスをしたシーンは、『ノルウェイの森』から取りました。私なら、隠れてやります。
あと、落書きしたらあきまへんで。
『人の生涯は、ときに小説に似ている。主題がある。』(竜馬がゆく) 私の人生の主題は、自分の能力を世に問い、評価してもらって社会に貢献することです。 本noteは自分の考えをより多くの人に知ってもらうために書いています。 少しでも皆様のご参考になれば幸いです。