米長哲学について
将棋棋士は一年を掛けてリーグ戦を戦います。
3月の最終戦は、勝ったら昇格・負ければ降格という勝負が行われます。その日は「将棋界の一番長い日」といわれます。
中には、勝ったら昇格・負ければ降格という棋士と、勝っても負けても影響のない棋士との対局もありえます。
昇格すると、段位が上がり、それに伴って一局当たりの報酬も上がります。つまり昇格による将来の便益は相当に大きいと言えます。
棋士は、毎年4人しかプロになりません。プロになるための奨励会という棋士予備軍の競争は、激烈なことで有名です。若い四段の棋士が何連勝もすることがありますが、それは奨励会を勝ち抜いた時点で、棋界で相当上のほうにいるからです。奨励会の競争が、いかに激烈かがわかる逸話です。
それほど厳しい産児制限をして、プロ棋士は限られたパイを分け合ってきました。ライバルであると同時に、パートナー・仲間との意識も強いでしょう。
棋士は200人弱しかいません。二十歳前後で棋士になると、ほぼ全員が定年まで棋士であり続けます。いわゆる転職というのはまずありません。
それほど狭いムラ社会です。
勝ったら昇格・負ければ降格という棋士と、勝っても負けても影響のない棋士との対局において、「恩を売っておこう」「昔お世話になった先輩だから」という理由でわざと負ける合理性は十分にあります。ムラ社会の義理人情的な金銭の対価を伴わないライトなものもあれば、金銭の対価が発生するマジなものまで、あってもおかしくありません。
しかも、プロのレベルはアマチュアとは隔絶しているため、わざと負けたかどうかが、まず素人にはわからないという要素もあります。テレビ中継されるわけではないので、多くの人の目に触れることもありません。
つまり、状況証拠はそろっている、と言えます。
しかしながら、なぜか将棋界には八百長が起きないと言われています。
なぜ将棋界においては八百長がないのか。
将棋界には、有名な『米長哲学』と言われる考え方があります。
これは、故・米長邦雄氏の残した考え方です。氏は私が子供のころに大活躍していた名棋士で、一時代を築きました。永世棋聖の称号を持っています。将棋連盟の会長として、経営者としても手腕を発揮しました。引退後はなぜか東京都教育委員にもなるなど幅広い活躍をしました。
この『米長哲学』とは、「自分にとっては消化試合でも、相手にとって重要な勝負にこそ全力を尽くすべきだ」というものです。
氏は何度か、相手が勝ったら昇格・負ければ降格、自分は勝っても負けても影響のないという対局を経験しました。
いずれのときも、氏はスランプに陥っており、タイトル戦で負け続けるなど勝負運に見放されていました。
その対局において、氏はタイトル戦でしか着ない着物で臨み、死力を尽くしました。結果、勝ったのもあれば負けたのもあります。
しかし、そこで死力を尽くしたがゆえに、勝負運をつかむことが出来、その後の上昇気運に乗ることが出来た、とその著書の中で語っています。
その対局を機に波に乗り、リーグ戦で昇格したり、タイトルを獲得したりしました。
棋士は全員がこの『米長哲学』を信奉しているがゆえに、八百長が起きないと言われています。「勝負運」と聞くとややオカルトな印象を受けますが、勝負師という側面もある棋士にとっては受け入れやすい概念なのかもしれません。
もちろん、上記の通りわざと負けたかどうかが、まず素人にはわからない構造にあるため、証拠がないだけで、実際は八百長が行われているのかもしれません。行われていないかもしれません。それは私にはわかりません。
しかし、この『米長哲学』の素晴らしさは、実際に八百長が行われているかどうかという問題よりも、より強いインパクトを私の心に残しています。
私にとっては毎日ある面談であったとしても、相手にとっては人生を変えてしまうような面談になるかもしれない。毎年やっている講義であったとしても、相手にとっては人生を変える講義になるかもしれない。
この『米長哲学』をいつまでも胸に置いて、毎日全力投球していきたいと思います。
(今年の順位戦最終局は、2月29日に開催予定です。今年もまた、天才たちの能力を振り絞った戦いが見られます。)
『人の生涯は、ときに小説に似ている。主題がある。』(竜馬がゆく) 私の人生の主題は、自分の能力を世に問い、評価してもらって社会に貢献することです。 本noteは自分の考えをより多くの人に知ってもらうために書いています。 少しでも皆様のご参考になれば幸いです。