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共有して生きていく


私が大切にしたいことは「共有」です。

自分が楽しかったこと、良いと思ったこと、困ったこと、悲しかったことを、相手に同意させるでもなく、ただ「共有」する。
そうしているうちに、優しい世界ができたりしないかなぁ、なんて思っています。

万人にとっての「正しい」をいつも気にしていた私。ふと、この世界に絶対に「正しい」ことなんてないのかなと思うようになりました。

その人自身が「正しい」と思うことを、感情とともに相手ありきで発信する人をたまに見かけます。ああ、きっと、違う意見の人を、自分と同じ意見を持つように変えたいんだなぁと思います。

自分の意見を発信すること自体に違和感は感じなかったけれど、相手ありきの言い方に、私は、自分の「正しい」を人に決められる、窮屈さのようなものを感じました。

これだけ多くの人が、地球という狭い世界で生きていくには、ある程度「正しい」ものが必要なのかもしれない。でも、お互いが生きるための「正しい」って、そんなに多くないんじゃないかな。

共存するために、憎しみの連鎖が起きないように、少しばかりの「正しい」を持って、それぞれ違う「正しい」を尊重し合う。

そもそも「正しい」という表現が適切じゃないのかな。「大切」とかかしら。

自分の「大切」は人と違って良い。
でも、自分の「大切」も知ってほしい。
だから、「共有」する。
押し付けるでもなく、謙虚すぎもせず、ただそっと「共有」するだけ。

相手を変えようとする人も含め、共感できなくても、受け入れ合って生きていけたらな、と思います。

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