アルコール依存症:本当の原因である苦しみや辛さから抜け出すために(主観、客観、俯瞰の話)

重度アルコール依存症の kiyopi です。

「もっと客観的に考えなさい」
僕が入院中に医師から言われた言葉です。

『主観、客観』メンタル関係ではよく聞く言葉です。

ですが、一般的に言われている『客観』は、『相手の立場で考える』とか『第3者視点で考える』ことを指しています。

しかし、僕の中では少し違います。
今回はその辺について持論を展開しようと思います。


『主観』
自分視点から物事を見る事は主観と言われます。
相手にも、相手の主観があります。
自分だけでなく双方に主観がある、これが僕の主観の捉え方です。

『客観』
相手の立場を考慮するのではなく、第3者的に事実だけを捉えるというのが僕の中での客観です。
相手を考慮するのは相手の主観の考慮になります。
第3者をCさんと仮定したとして、その人の思考・感情・思いが入ってしまったり、どちらかの味方に付くようなことがあったら それはCさんの主観となってしまいます。
あくまでも事実の把握、起こった事だけの把握、それが僕にとっての客観です。

『俯瞰』
近年、たまに聞くようになった 俯瞰 という言葉。
一般的には『高い視点からの把握』だと言われています。
でも僕にとっては、客観して自分と相手の主観を考慮したのと同じです。
僕にとっての俯瞰とは、『本質や、原因と結果の把握』になります。

その時自分はこう考えていた、こう思っていた、相手はこう考えていた、ああ思っていたが客観からの主観の把握です。
そこに『何故そう思っていた?そう考えていた?』そこから出る答えから、原因と結果(起こった現象)の把握までするのが俯瞰です。


依存症とは関係ない例ですが、一般的によくある簡単な例で考えてみます。

テレビを見ているA君に、母親が「テレビばかり見てないで、とっとと宿題やりなさい!」と言いました。
A君は「これ見ちゃったらやる」と返しました。
お母さんは「そんなこと言って、いつになったらやるの!」と言いました。
A君は「もう!見ちゃったらやるって言ってるのに、お母さんがうるさいからやる気なくなった!」と返しました。
お母さんは「人のせいにするんじゃない!とっととやりなさい!」と言いました。

こういったやり取りがあったとします。
ここまでが客観して捉えられる事実(ただ起きた事)です。

A君としては『テレビを見終わったら済ませるつもりでいた』それなのにそれを信じてくれないから、やる気が失せた。
お母さんとしては『テレビを見ていて、済ませる様子が見られないので急かした』『テレビを見ちゃったらやるという保証はない』『やらないのは自分なのに私のせいにするから、やらせようとした』
これがお互いの意見、お互いの主観です。

そもそも、宿題とは誰の問題でしょうか?
A君に課された問題であり、『やる、やらないを選択するのはA君自身の問題』です。
『やって事なきを得るのも、やらなくて先生から叱られたとしても、どちらもそれを選択したA君の責任です』
これが『宿題』の本質です。

A君は何故テレビを見終えたかったの?
「どうしても最後まで見たかったから」
本当は宿題を済ませる気があった?なかった?
「ちゃんと済ませるつもりだった」
どうしてお母さんが信じないだけで済ませる気が無くなってしまったの?
「信じてくれないのがショックだったから。そうしたら怒れてきて宿題やらずにお母さんを困らせたかった」

お母さんは何故宿題をやらせたかったの?
「宿題はちゃんとやらせないといけないから。大体、普通はちゃんとやるものだから」
A君が宿題やらなかったらお母さんにとって何か問題あるの?
「やらなかったら本人が困るだろうし、先生にも叱られるだろうし」
それの何がお母さんにとって問題なの?
「・・・」
テレビ見終わったらやるという事を信じられなかったのは何故?
「やるという保証はないから」
やらないという保証もないよね?
「・・・」

お母さんにとって子供に宿題をさせるというのは、させるものという義務感であったり、宿題はちゃんとするものという固定観念・先入観があった。
そこでテレビを見ていて宿題に手を付ける様子が見えないA君を急かした。
「テレビを見終わったらやる」と言うA君を信用できなかったから、お母さんは再度急かした。
自分を信用してもらえなかったA君はショックを受け、お母さんを困らせたくて「やる気なくなった」と怒った。
宿題の本質に気付かず、子供自身の問題に母親が介入してしまったために起きた事。

ざっくりですが、俯瞰はこんな感じのものです。


一歩踏み込んで、自分以外の人への心配とは、相手を信用できないことから起こります。
何故信用できないかは、自分では相手をコントロールできないので、自分の思い通りの結果が得られないかもしれないという不安・恐怖があるためです。
不安・恐怖があるのは、それが現実となった場合に傷付く自分がいるためです。

セルフカウンセリングしていく上では、この不安・恐怖とその根底の傷付く事への恐怖の自己理解が凄く重要です。
参考までに。


今回は以上です。
纏まりない感じになってしまったので解りにくいかもですが、参考にして頂けたら幸いです。

あなたが回復に向かえますように

ご家族様の傷や苦しみが癒えていきますように

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