アルコール依存症は必ず回復できる。本当の問題とは?根本的な問題とは?
みなさん こんにちは。
読んでくれてありがとうございます。
kiyopi です。
2022/03/01 修正しました。
今回は、アルコール依存症の事をどんなに勉強しても、自分に関係なければ単なる知識でしかないという、私の私見全開の内容の3回目になります。
かなり長くなると思いますが、個人的には最も大事だと考えている部分になります。
過去回の自分を見つめる、ストレスの浄化などの核心でもあります。
★自分を知るための勉強
私が入院していた時、私の入院した病院では自分を知るための勉強はあまりありませんでした。
ミーティングにおいて、自分の好きなところ、本来の自分はどんな人か?、お酒をどうして飲んだのか?(話せる人だけ)、退院に向けてどんな不安があるか?、印象にあるのはこのくらいです。
しかしこの、自分の好きなところ、本来の自分とは?を考える回において、私は自分の事を本当に知らない、自分の事が分からないと思い知ったのです。
ですが、テキストの中には自分を知る項目はかなりの長ページに渡って解説されています。
しかしながら、私には全くもって、しっくりとこない内容なのです。
難しく言いまわしているだけで分かりにくく、自己の見つめ方・見直し方のヒントもなく、罪悪感が煽られるようでいて、自助グループ参加の重要性にまとめられている内容で問題の根本は何なのだろうか?その解決に向かうには?という自分の内面と向き合うという本当の論点がズラされていると感じるからです。
今回はそんなテキストの内容に沿って、私なりの修正をした自己との向き合い方のまとめとなります。
★欲求と感情の関係
まず人間の行動の原理とはどうなっているのか?と考えてみると、
自分が発する場合は、頭で思考したことに、感情が作用し、言葉や行動に現れる。つまり、
(自分発の時)思考 ⇒ 感情 ⇒ 言葉・行動
となる。
逆に、自分が受ける場合は、現実の言葉や行動を受け取り、そこに感情が作用し、それに合わせた思考をする。
(受け取る時)言葉・行動・現実 ⇒ 思考 ⇒ 感情 ⇒ 言葉・行動
となる。
人は生きている間、延々とこの繰り返しで経験を蓄積しながら生きている。
その経験に基づき自分の価値観が出来ています。
その価値観を元に、考えやすい思考性があり、選びやすい感情があり、人それぞれ同じ状況でも現実の捉え方が違う訳です。
スマホで考えてみましょう。
メモリーやクラウドに経験が蓄積され、価値観という基準が出来上がります。
アプリという感情は、その基準によって選んで取得するため、人それぞれ違います。
そのため、そのアプリですることが人それぞれの言葉や行動となります。
どうでしょうか?
なんとなく思考から言葉や行動の生まれるメカニズムがお分かりいただけたでしょうか?
ここで、飲酒欲求という欲求はどうして生まれるのか?そこを考えてみたいと思います。
①お酒を飲みたいと思考する⇒飲酒欲求になる⇒お酒を飲む
②現実がある⇒現実をどう捉えるかの思考⇒イライラ、怒り、不満、不安、恐怖、悲しみ、喜び、楽しみといった感情が湧く⇒感情の消化行動
感情が消化できなかった現実⇒お酒を飲みたいと思考する⇒飲酒欲求になる⇒お酒を飲む
といった具合に私は考えています。
つまり、飲酒欲求は感情部分だと考えているのです。
心理学者、精神学者、精神医学者の先生なんかはもっと細かく、意志とかなんとか分類していたりしますが、根本的な問題を見つめる上では複雑になるだけで、流れも大まかな分類も変わらないので、そんなものは省かせて頂きました。
★飲酒欲求が感情だとすると本当の問題は?
思考⇒感情⇒行動を思い出してください。
飲酒欲求が感情であるなら、本当の根本的な問題はその元である思考にある訳です。
日本は飲酒文化の盛んな国です。
何かにつけて飲酒が絡んできます。
TVを見ていても、お酒のCM、飲酒シーンも多く、国民的アニメの中でも毎週のように飲酒シーンが含まれます。
日本の大事な文化でありますから、それが悪い訳ではありませんし、否定している訳でもありません。
ただ、子供の頃から自動的に価値観に刷り込まれてしまっているとは言えるのです。
その価値観・記憶を元に、自分の中で飲酒に結び付ける思考の癖は出来上がってきています。
ただ、私たちアルコール依存症者と一般的な人との決定的な思考の癖のズレは、ネガティブなストレス感情(イライラ、怒り、不安、不満、恐怖、寂しさなど)の発散に飲酒を選んでしまう事です。
依存症にも様々ありますが、どれも依存症に陥るメカニズムは同じで、何を選ぶか?なのだと私は考えています。
とにかく食べることを選ぶ人、パチンコ・パチスロを中心としたギャンブルを選ぶ人、処方箋であろうと指定違法薬物であろうと薬を選ぶ人、ゲームを選ぶ人、買い物を選ぶ人、窃盗を選ぶ人、性的なものを選ぶ人、肉体を傷つけることを選ぶ人など、本当に様々ですが、ストレスの解消のために、実は自分のストレスの解消にはならない間違った方法を選ぶ思考の癖を持ってしまった人が陥って抜け出せなくなった病気、それが依存症なのです。
★だから思考のズレを正す、ストレスも過去のトラウマも解消する、それが kiyopi 式回復法
飲酒欲求を呼び起こすのが、お酒に結び付けて考える自分の思考の癖なら、お酒に結び付けたくなる元のストレスの解消も大事だという事です。
大元の現実の捉え方まで修正できれば、その後の感情まで影響が起こり修正が起き、鬱ですら回復する、それが kiyopi 式回復法です。
医師は、好きなことや趣味を見つけて没頭したり、筋トレや運動して誤魔化したり、仕事を一生懸命して、とにかく飲酒欲求から気をそらすことを薦めますが、飲酒欲求は誤魔化しているだけで、これでは決して無くなるわけではありません。
元のストレスもトラウマも解消し、お酒に結び付ける思考のズレを正すから飲酒欲求に結びつかなくなり、結果 飲酒欲求は無くなっていくのです。
現在の治療プログラムやテキスト、医師の治療方針では、思考のズレを何とかするなんてことは、一切 気付くことが出来なければ、考えつくことも出来ません。
現在のこの根本の問題を考えない治療は、自助グループにも活かされてしまっています。
私の中にはそこを変えていきたいという思いもあります。
苦しみながら一日断酒を考えて生きるのではなく、一日断酒を意識することもなく自分らしく生きていく事を目指してほしいからです。
本日 2022/02/26 ですが、私の所属している断酒会の地区例会がありました。
私は普段から、「気楽に断酒」
「今週も気付いたら一週間経っていました」
「一日断酒より、気楽に断酒、断酒を目指すより自分らしく生きれることを目指す、断酒は生きるための手段の一つにすぎません。」
「自分のお酒に結び付ける思考の癖、ストレスの適切な解消が大事だと考えていて、日々それを実行し飲酒欲求は全くなくなっています」
「一日断酒では苦しい、思考のズレを認めて修正して、ストレスもトラウマも解消して、人のせい、環境のせいにするのも止めて、自分をもっと見直してみませんか?」
「私たちアルコール依存症の人にとって最大の敵は、ストレスと、ストレスの解消にお酒を選んでしまう自分の思考の癖と、最終的にお酒を飲んでしまう自分自身ではないでしょうか?」
と訴え続けていますが、本日も「断酒会をなめるな」「一杯の酒が危険なんだ」「仲間がいるから頑張れるんじゃないか」「仲間と絆をもっと大事にしろ」と怒られてしまいました。
病気のせい、お酒のせい、人のせい、環境のせいにして、人を責めて憎み、環境を恨んで文句言って、自分を認めないでいるのは楽です。
医者を頼って、薬を頼って、仲間を頼ってと、外に救いと回復を求めるのは楽です。
ですが楽を選んでいる限り、飲酒欲求が無くなることも、お酒に対する執着が無くなることも、抱え込んで手放せない後悔や憎しみが無くなることもなく、一生お酒を恐れ、一日断酒を意識して生きていく事になります。
逆に、自分をとことん見つめ直して、自分の落ち度、醜い自分、嫌な自分、自分で嫌いな自分、飲んでしまう自分、弱い自分、自分の思考の癖のズレ、人を頼っていたい自分、医者を頼っていたい自分、薬を頼っていたい自分、努力したくない自分、いろんな認めたくない自分がいるのはわかりますし、そこを修正していく事は難しい事と考える気持ちもわかります。
先にも言ったように、楽に逃げていたのでは、年数経過によって飲酒欲求は薄れていこうとも苦しみは抱え続けることになります。
真剣に抜け出したいと考えている人に届いてくれたら嬉しく思います。
★さいごに
今回は、私の考える依存症回復の根幹部分であったために本当に長くなりました。
でも、苦しみながら一日断酒で頑張らなくても回復の道があることを、違う考え方からのアプローチで苦しみから抜け出せることも知ってほしいのです。
誰か一人でも、これを参考にして苦しみから抜け出してくれたら嬉しく思います。
今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。
感謝します。 kiyopi
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