同じことしてるのに断酒継続する人と失敗する人の違い
重度アルコール依存症の kiyopi です。
断酒継続者には、自分の断酒に繋がっている事を語る人が多いです。
断酒を目指す人には真似する人も多いですね。
筋トレ、ジョギング、ウォーキング、ホメ療法、ご褒美、断酒アプリ、炭酸飲料、ノンアル飲料・・・etc
ですが、それによって失敗する人も多いのが事実です。
『同じことしたのに何故 自分は失敗するんだ(泣)』と思った経験のある人もいるでしょう。
真似してみて、満足感は継続して得られていましたか?
喜びは継続して得られていましたか?
嬉しさは継続して得られていましたか?
楽しさは継続して得られていましたか?
それこそが継続していく人と失敗する人の違いです。
最初は意気込みがあるでしょう。
新鮮で楽しさもあるでしょう。
嬉しさを感じられたりもするでしょう。
満足感や楽しさを得られる人もいるでしょう。
最初は。
でも、その気持ちが継続しない。
はたまた最初から得られない。
苦痛に感じる。
だんだんそうなっていく人もいるでしょう。
マンネリ化して義務的にやるようになる人もいるでしょう。
そして,やがて苦しくなって挫折する。
悪ければスリップする。
その結果「自分はダメだ」「情けない」「何でいつもこうなんだ」などと感じ、自尊心が傷付き自己肯定感が下がってしまう。
もう分かったかと思います。
自分には向いていない方法を取っているという事です。
自分で自尊心を傷つけ、自分で自己肯定感を下げることをしている。
人と自分は違うという事を考慮せず、継続者が言っている事だからと安易に真似してしまった結果です。
よく、自分の断酒法を話す人に共感する人達がいると信じてしまう人がいます。
「素晴らしい」「やっぱり○○ですよね」「さすがですね」など、自助グループやSNSでもよく聞きますよね?
ですが、こういったタイプの共感の心理は自己正当化です。
相手を通じ、自分の思い、考え、行動を『自分は正しい、間違ってない』と自己正当化するのが共感の正体で、相手を認めてるようでいて自分を認めている行為です。
承認欲求を満足させるための行動の一つです。
話を戻して、断酒会の誓いに『断酒の歓びを酒害に悩む人たちに伝えます』というものがあります。
それを実践して歓びを伝えること自体は素晴らしいと思います。
ですが、それによって自分は何が満たされたのか?何で満たされたのか?
その歓びを得られた要因を語ってくれる人は・・・僕は多分ひとりも知りません。
何で趣味を持つことが必要と言われるのでしょうか?
好きな事を見つける事が必要と言われるのでしょうか?
一般的には、飲酒欲求を感じる時間を減らすためと教えられていると思います。
ですが、僕はそうは考えていません。
アルコール依存症になる人は満たされない経験が多く、苦しみを抱えている人がほとんどです。
満たされる経験が必要だから、その経験が得られる趣味や好きな事を見つける必要があるからだと考えています。
怒り、憎しみ、後悔、生き辛さ、苦しみ、・・・様々な、満たされないがために自分の中で生まれ、蓄積された感情。
対して、楽しさ、喜び、嬉しさ、満足感などはその対極にある、満たされることで自分の中に生まれる感情です。
何かしらで継続している人は、それを得るための自分に合った方法を見つけたということです。
真似して失敗する前に、継続者に何が満たされたのか?どんな思いが満たされたのか?それを聞いてから、はたして自分は同じ感情を味わえる人間であるのか?自分はそのような感情や満足感を求めているのか?よく考えてから真似してみてはどうでしょうか?
『継続してみなければ良さは分からない』というのも、心の余裕が出てきてからでないと危険です。
今回は以上です。
参考にして頂けたら幸いです。
あなたが回復に向かえますように
ご家族様の傷や苦しみが癒えていきますように