なばならぬ先生とぼく。
大人になると怒ってくれる人だんだんいなくなるじゃないですか?かつての親や先生みたいに親身になって説教してくれる人、だんだんいなくなるじゃないですか。むしろ立場上、言う側になってたりするじゃないですか。
手に入れることができるなら、自分のことを必要以上に心配してくれる存在、、欲しくないですか? 僕は欲しいです。自分のダメな部分もわかってくれて、将来を心配して叱ってくれる、そんなドラえもんのようなメンタルを持つ友人。ドラえもんはその便利な道具のイメージに引っ張られがちですが、本当に注目されるべきはその愛なのではないでしょうか。
ぼくを含め、すべからく人間はダメな動物です。もとい、そもそも動物なのですからダメに出来あがってるのです。
本屋に行くと、そのタイトルが浮かび上がって自分に語りかけてくるような気になることはありませんか?それはきっとあなたの深層心理、、こうありたい、こうあらねばならないという、もうひとりの自分。この人格をねばならぬ先生と呼びます。
使い切らずに不良債権化した文房具をぼくはたくさん蓄えちゃってるんですが、これももちろん購入した瞬間は勉強する気になってたりするんです。べんきょうせねばならぬ、成長せねばならぬ。文房具屋は、ねばならぬ先生の出現率高いです。先生は、常にぼくたちをみつめ、ことあらば日常のどこにでも顔をだします。
現実世界に叱ってくれる人がいなくなったいま、この「ねばならぬ先生」の存在はたいへん貴重な存在なんですが、、
最近、ふと思うことが在るんです。ぼくの中の“ねばならぬ先生”がだんだん高齢化しているんじゃないか疑惑があるんです。5年くらい前まで割と叱咤してくれてたはずなんですけど、最近は諭すように静かに迫る感じになってきた気が、する。
できることなら、このあとの人生においても先生とは、ほどよい関係を続けていきたいものですが、、みなさんの中のねばならぬ先生はお元気ですか?