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「見られる側」になったとき、人は攻撃をやめるのか? 匿名性がもたらす誹謗中傷の心理
インターネット上では、匿名であるがゆえに人は攻撃的になりやすい。
SNSの世界を見ても、それは明らかだ。
リプライやDMで暴言を吐いたり、誹謗中傷を繰り返したりする行為は後を絶たない。
一線を越える行動のハードルが、現実世界に比べて極端に低くなるのだ。
誹謗中傷が裁判に発展したケース
実際に、インターネット上での誹謗中傷が裁判に発展したケースも少なくない。
例えば、2020年には、プロレスラーの木村花さんがSNS上での誹謗中傷を苦に自ら命を絶つという痛ましい事件が起こった。
ツイッターに「あんたの死でみんな幸せになったよ、ありがとう」「お前の自殺のせいで(番組は)中止。最後まで迷惑かけて何様?地獄に落ちなよ」などと投稿した。
この事件を受け、投稿者が特定され、名誉毀損で訴えられる事態となった。
また、侮辱罪の厳罰化にもつながるなど、社会的な影響も大きかった。
他にも、YouTuberや芸能人、政治家などがネット上のデマや誹謗中傷によって訴訟を起こした例は多数ある。
2022年には、実業家のホリエモンこと堀江貴文氏が、自身に対する誹謗中傷に対し、投稿者を訴え、損害賠償を請求するというケースがあった。
このように、匿名での発言であっても法的責任を問われる時代になりつつある。
なぜ、人はネット上では簡単に誹謗中傷を行うのか?
それは、匿名性によって責任を取る必要がないと錯覚し、相手を"人間"ではなく"文字の集合体"として認識してしまうからだ。
顔が見えず、感情の伝わりにくい環境では、言葉の重みが大きく減少する。
その結果、普段なら言えないような攻撃的な発言が、躊躇なく飛び交うことになる。
対面でも同じことを言えるのか?
しかし、こうした攻撃的な言動をする人たちは、現実世界でも同じように振る舞うのだろうか?
おそらく、ほとんどの人は違うだろう。
対面で直接暴言を吐くのは、心理的にも物理的にもハードルが高い。
理由の一つは、相手の表情や反応を目の当たりにすることで、自分の言葉がどれほどの影響を与えるかを実感するからだ。
2023年、広末涼子氏の不倫騒動をめぐる記者会見で、キャンドル・ジュン氏がとった対応は、その点で非常に興味深いものだった。
彼は質問者を壇上に呼び寄せ、直接向かい合った形で質疑応答を行った。
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この形式により、記者たちはいつものように遠くから無責任な質問を投げかけるのではなく、目の前の本人と対話しなければならなくなった。
その瞬間、質問のトーンが明らかに変わった。
攻撃的な口調は影を潜め、慎重な言葉選びがなされるようになったのだ。
「見られる側」になったとき、人はどう変わるか
これは、「顔が見える関係」が持つ抑止力を示しているとも言えるが、さらに重要なのは、匿名性がなくなり、自分も見られている立場になると、攻撃の仕方が変わるという点だ。
質問者たちは、壇上に上がった瞬間、それまでの「質問する側」から「見られる側」に立場が変わった。
その結果、それまで強気だった態度が一変し、慎重な言葉選びをするようになった。
つまり、自分も攻撃される可能性がある状況では、人は自然と言葉を選ぶようになるのだ。
ネット上での誹謗中傷が絶えないのは、多くの人が「一方的に言う側」であり続けられる環境にいるからだ。
しかし、もし匿名性が取り払われ、発言に対してリアクションが返ってくる状況になれば、攻撃的な言葉は減るのではないだろうか。
自分の言葉がどのように受け取られるのか、そしてどのように見られるのかを意識することで、人は発言の責任を自覚するようになる。
顔が見えなくてもモラルを持つ
とはいえ、インターネットが日常生活の一部となった今、完全に匿名性を排除することは難しい。
むしろ、匿名でもモラルを保ち、誠実に振る舞うことこそが求められる。
顔が見えないからこそ、より一層の配慮を持ち、他者への敬意を忘れずに生きていく。
そうした精神性を社会全体で育んでいくことが、これからの時代には必要なのではないかと、改めて感じる。
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