「熱」を持っていないという問題
noteに書きたいことがない。
本を読んでも、誰かに伝えたいわけじゃないし、
日々の悩みも誰かに相談してほしいわけじゃない。
写真撮ったり、DIYしたり、音楽聞いたり、本読んだり、
やってることや考えていることはたくさんあるけど、
それを「伝えたい」と言ったり「残したい」という気持ちがないというのは
自分の致命的な問題点な気がする。
誰かに何かを伝えたり、
何かを残したりすることがとても簡単な世の中で、
そういう行為への「熱」みたいなのが今持てていない。
昔はあった気がする。
狂おしいほどに認められたかった。
今も、なにか認められたいとは思ってる。
noteにハートマーク付くと嬉しいし、
Instagramにいいねされると嬉しい。
でも、noteですごい記事を書いたり、
なろうで小説書いてたりする人たちは、
なんかもっと高い熱量がある気がする。
そういう熱量がたぶんいま自分にも必要なんだけど、
その熱量って貯めたり作ったり出来るものなのだろうか。
若い時は何も考えなくてもそれがあった。
でも、考えて「熱量」を作らなきゃいけないのが
30歳を過ぎるということなのかもしれない。