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日本語教師になる前の事 工場のパート
子供がまだ小さい頃、近くの食品工場でパートをしました。
近さと時間の都合が合うというそれだけの理由で選んだパートでしたが、工場で働くと言うのは初めてでしたし、いろいろな背景のある人がいて印象深い体験でした。
私のような主婦の他に、中卒の女の子、職を転々としているおじさん、障碍者の人、そして出来上がった食品を運ぶトラックのドライバーたち、様々な年齢、立場の人がいます。
私の仕事は商品の仕分けとオンラインの受注作業でしたが、時々人が足りない時には
工場内での作業を手伝いました。
大型の機械から流れてくる商品が大きな板に置かれ、それを他の場所に移すと言う単純作業です。
知的障害のある男の子と2人一組でするのですが、とても優しい子で、「だいじょうぶ」「だいじょうぶ」いつもそれだけを言いました。障害のせいで笑顔をつくることさえ難しいのですが、彼がわたしに微笑みかけているのだと言うのが十分に察せられました。そして、その「だいじょうぶ」は自分にもわたしにもすべてにも問題ないの意味だったと思います。
その子と作業するのはまれでしたが一緒に板を持ち上げて、彼が「だいじょうぶ」と言うその時間が好きでした。
仕分けのほうは、製品を運び出すのを待っているドライバーと同じ部屋での作業でした。ドライバーさんは、若い茶髪のイケメンで、私の作業する横でいつも携帯をいじりながら、いかに手を抜きながらうまくお金を稼ぐかとか借金をしてもうまく逃れるかを語っていました。
中卒の女の子がそこにやってきては「あ~なんかおもしろいことないすか~」とドライバーさんに話しかけました。「私キャバ嬢になって毎日きれいな服着たいな~」
そしてそんなことはどうでもいいとばかりに、後ろを横切り、さっさと子供を迎えに行くパートの人たち。
事務所ではいつもしかめ面をして売り上げをみている社長と、毎日をただただ無事こなそうとしている工場長。
小さな工場でしたが、そこには小さな世界が存在していました。
くだらない考えかもしれませんが、もし、その世界の中で、わたしをほっとさせることに一番の価値があってそれが通貨となって流通する世の中ならば、きっとその障害者の子が一番だろうなと思うのです。