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はじまり

きっかけは、アイドルと俳優さんのお嬢さんの「死」だった。
それが事故だったのか
それとも自ら命を絶ったのか
よくわからないし
もしも自らだったとしても
悩みや考えていることは本人にしかわからない

ただ、若くて、才能にあふれていて、それでいて努力家な一面もある印象で
その努力が実り、キラキラした道を歩いているように見えた彼女にも
いろいろあるんだなぁって、ネットのニュースをみながらそう思ってた
ネットのニュースでは、母親との仲や、両親のこと、恋人とか
元旦那さんの話とか
本当かどうかなんてわからない話があちこちにあった

久しぶりにつけたテレビの画面では
遺骨を持った、憔悴しきった母親が映っていた
娘を失った悲しみは想像を超えているだろうなぁと
ぼんやりとみてた

その画面を見ながら、口からこぼれた言葉が
「いいなぁ」
だった。
ん?
なんだろう
どうして「いいなぁ」なんだろう

多くの人がきっと母親と同じ気持ちになったり
若くして散った命を弔っているであろう時に
どうしてわたしは「いいなぁ」と思ったんだろう

ふと自分の母親のことを思い出した
まぁ、昭和の家にはあるあるな感じで
たまに帰ってくる時には、酔っ払っている父親が
母親に暴力をふるっているのが日常だった
暴力に耐えかねて母親が
「一緒に死のう」と言ってきたのは
わたしが小学校4年生の時だった
夜中に2段ベッドの上段で寝ているわたしを起こして
「一緒に死んでほしい」とそう言ってきた

10歳のわたしは、学校が好きだった
学校に行けば泣いている母親を見ないですむから。
友達は多い方じゃなかったけれど
漫画を貸し借りする友達がいた
いつも一緒に帰る友達がいた
学校にいるときは笑っても嫌な顔されなかった
居場所だったんだと思う

「一緒に死のう」って言われて
とっさに思ったのは「学校に行けなくなるのはいやだ」だった
だから「嫌だ」と一言言ったら
ものすごい顔で睨まれて
怒鳴られて
たたかれた

その後は、ことあるごとに
「あのとき、お前が一緒に死ななかったから」
「一緒に死んでくれれば、こんな思いをしなかった」
そう言われ続けた

10歳のわたしは、ちょっぴり責めていた
あのとき、お母さんの願いを叶えてあげられなかった自分を

願いを叶えてあげられなかった自分は
悪い子だから怒られても仕方がない
殴られてもしょうがない
ご飯がなくってもしょうがない
口を聞いてもらえなくてもしょうがない
何をやってもダメな子なんだ
生きる価値なんてわたしにはない
存在してちゃいけないんだ

大人になって
家庭をもって
娘も授かり
母親のこと、少しだけ理解できた気がしていた
まぁ、しょうがないよねと
わたしが幸せになることが何よりの「復讐」だと
その復讐のために、、と幸せになろうと頑張ってきた

亡くなった娘の遺骨を抱くその「母親」の姿を見て
「あぁ、いいなぁ。お母さんに抱っこされて」
という気持ちと
「願いを叶えてあげられてすごいなぁ」
という気持ち
両方を感じているんだ
10歳のわたしが「いいなぁ」って言ってるんだ
心が凍りついた

ものすごく不謹慎だと思う
ここに書くことで誰かを傷つけるかもしれないのはわかっている
ものすごく良くないことを書いているのはわかっているんだけども

10歳のわたしの声を聞いてしまった
ここからわたしの内側へ
どんどん穴を掘っていくことが始まった気がしている。

その穴は自分を埋めるための穴だ



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