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バイデン米政権の犯している過ち(聖書的考察)

 バイデン氏が大統領に就任してから、また、オバマ氏が大統領であった時から、民主党政権の、外交政策に通底する過ちを感じ、聖書のある話がいつも思い浮かびます。

 アフガニスタンにおける米軍撤退で、一気にタリバン政権になりました。トランプ政権の時から撤退は決まっていましたが、アフガン軍が頼りにならないことを知りながら、全面撤退して、イスラム過激派の支配領域が一気に広まりました。

 そしてロシアのウクライナに対する侵略があります。かつてのボリス英首相は、「とっとと戦争を終結させるべきだ。武器支援を増強すべきだ。」と言っていました。これは理にかなっており、ウクライナ軍は非常に強いものの、ロシア軍は圧倒的に人数と物量が多いので、長期になればなるほど、ウクライナ軍のほうが相対的に疲弊していくからです。

 しかしバイデン大統領は、ロシアに対して厳しい言葉を語り、武器支援はするものの、いつも「遅く」タイミングを逸し、だらだらと長引かせている。その理由が、ロシアの核使用を恐れているからだとも言われるが、どうなのだろうか?

 トランプ政権の時に再開した対イラン経済制裁を緩めていった。その結果、トランプ政権にあった時のような安定と静けさがなくなった。

 そして、ハマスの大虐殺だ。これは、バイデン大統領が長年、イスラエルを強く支持し、ユダヤ人を深く共感しているため、初めの大統領の声明は、イスラエル人の心の琴線に触れた。そして、初めは、ぶれずにイスラエルと共に立った。

 ところが、視点が「人道危機」「パレスチナ国家承認」にずれてきた。人道危機は、理解できる。けれども、ハマス残滅をしなければ、イスラエル人の生存が脅かされるだけでなく、ガザの人々にとっても、極めて不幸である。

 そして、この時にパレスチナ国家ですか??ということは、イスラエルでは右派だけでなく左派も同様に感じている。バイデン政権の思惑は、「サウジアラビアとイスラエルの国交正常化」だ。前者は、パレスチナ国家承認を条件とした正常化なので、それを急ぎたいのだ。

 一つ一つ、理屈はあるのだろうが、悪に対して一貫して対峙して、戦わなければいけないところで、別の要素、理屈、弁解を持ち込み、自分たちの不純な動機、思惑ありありの「平和」を繕っていくことで共通しているのだ。

 今、この記事を書いている、5月9日には、イスラエル軍がラファに侵攻するならば、攻撃用武器は一時、休止にすると発言している。この一番、大事な時に??なのだ。

 そこには、ハマスが部隊を持っている。それを破滅させれば、個々人のハマス戦闘員は残るが、組織的に動くことはできなくなる。そして、そこに残された人質がいると予想される。ハマスは、力によってしか意思疎通はできないと、ハマス創始者の息子、モサブ・ユーセフ氏は語る。

アラムに懐柔したイスラエルの王アハブ

 そこで思い出すのが、列王記第一20章に出てくる話、イスラエルの王アハズが、アラム王ベン・ハダドと戦った話だ。ベン・ハダドの挑発に、アハブは乗らなかった。それで彼は軍を召集させた。圧倒的に軍事力はイスラエルに優っている。しかし、預言者がアハブにやってきて、主が軍勢をあなたに引き渡すと約束されていた。アハブ自身が戦わなければいけないとも宣言した。

 事実、七日間の戦いで、一気にアラム軍を撃ち落とした。ベン・ハダドが逃げて町に入って、奥の間に逃げた。そこで家来が、「イスラエルの家の王たちは恵み深い王だと知っています。それで、私たちの腰に粗布をまとい、首に縄をかけ、イスラエルの王のもとに出て行かせてください。そうすれば、あなたのいのちを助けてくれるかもしれません。」と提案した。

 そして、アハブは、ベン・ハダドと契約を結んだのだ。

 その後に、預言者が打たれて、包帯を巻いた格好して、アハブの前に現れた。敵の捕虜を見張っていろと言われていたのに、あれやこれやしているうちに、その捕虜がいなくなってしまった、と言いました。彼は罰せられることにアハブは同意したのですが、その包帯を取ったら、アハブの知る預言者だった。そして、主が聖絶しようとしていた者を逃したから、あなたがそのいのちの代わりになる、民も死ぬことになると宣言した。はたして、次の戦いで(22章)でアハブは死ぬことになる。

 この箇所について、私は以前、教えた時に、こう説明した。

 アハブは、とんでもない過ちを犯しました。主が、この戦いにおいてアラムに大損害を与えることによって、主こそが神であることを彼が知らなければいけませんでした。アハブがここでしなければいけないことは、ベン・ハダデを殺すことです。42節に、主がアラムの王を聖絶することを意図しておられたことが書かれています。
 それを彼は行ないませんでした。そして殺さないだけでなく、彼を兄弟と呼び、自分の戦車にまで乗せました。これは友好の印です。そして寛大に接しただけでなく、契約まで結びました。契約において、かつて父ベン・ハダデ一世がアサの要請にしたがって取っていった町々を返還し、またダマスコにおける経済活動を許すという内容でした。
 ここだけ読むと、これがそこまで悪いことなのか?と思われるかもしれません。寛大に接することは、イスラエルの王の高潔さを示していることではないか?と思われるかもしれません。けれども、事はそんな単純ではないのです。いま話しましたように、主はベン・ハダデが死ぬことを望まれていました。まず、それを行なわなかったという不従順があります。
 これだけでも問題なのですが、主の命令には理由があります。アラムは今後もイスラエルを頻繁に攻撃していくのですが、自分の国の背後で、次第にアッシリアという国が力を増し加えていました。アラムはイスラエルと手を結び、これに対抗するという意図を持ってきました。事実、この出来事の三年後、聖書には載っていませんが、紀元前853年、アラムとイスラエルがアッシリアと戦い、撃退します。そして紀元前734年、アラムの王とイスラエルの王が手を組んで、ユダの国を攻めます。なぜなら、ユダが彼らのアッシリアに抵抗するための同盟に乗ってこなかったからです。
 けれども、アッシリヤはアラムを滅ぼし、そしてイスラエルも滅ぼします。イスラエルはアラムと手を結んだために、アラムと同じ運命を辿ったのです。ダマスコが廃墟となるという預言がイザヤ書17章にありますが、そこにイスラエルも倒れることが預言されています。
 このような神の知恵と御心があって、神が命令されていたのです。それにも関わらずアハブはこの勝利をもてあそんだのです。彼は自分の寛大さを示しながら、この契約が美味しかったのです。アラムと手を結べば、アッシリアに自分たちも対抗できるという思惑がありました。寛大さを装いながら、実は自己中心的な思いを成し遂げたいという計算が働いていたのです。

列王記第一20章 「甘えの信仰」

 大らかで、寛容なそぶりを見せていながら、実は利己的な思惑が働いている。何よりも、主の目に悪とみなされているものに、最後まで戦わないことが大いなる罪なのだ。

 バイデン大統領の過ちは、あからさまに悪に加担していることではない。悪に対峙しながら、その途中で、別の思惑を差し入れて、戦いを貫徹しないことだ。

参考記事:バイデン米政権の中東外交 ― オバマ時代の再現か?(1)−明石清正−


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