南からの贈り物3 石蕗
石蕗の俳句に、暗い印象のものも多いのが、私にとっては意外だ。
私のよく見知った、鹿児島の屋久島や、今住んでいる指宿近郊の、石蕗の一面に咲くその明るさは眩しいばかりだ。確かに、東京に住んでいた頃、実家の玄関脇に植えられていた石蕗は、咲いたかどうかも記憶に怪しいくらいであったが、そういうほんの少し植えられたものと、南国の地に群生してのびのびと咲くものとでは、人に与える印象もとんでもなく違うものなのだろう。
海鳴りの響く日溜りで咲く石蕗なども、実に明るい気持ちにさせてくれるものである。そして、こんな句の心情がよくわかるのだ。
石蕗咲くや心魅かるる人とゐて 清崎敏郎
以前住んだ、屋久島の家の周りでは、石蕗がたくさん、見事に咲いた。周り中黄色くなって、温かな気分に包まれたものである。その黄色は幸せの色だとも思った。
花は切り花にしても長持ちはせず、咲いているままを楽しむのが一番だった。
屋久島の北の方より咲き始め、やがて島の南の方にも咲くようになると、島をぐるっと一周出来る県道に車を走らせる時など、島中が黄色く染まったような感じさえした。
石蕗は、食材としても人気があった。
私は、当時、美容院ではなく床屋に通っていたのだが、そこのお姉さんが、春先になるといつも私に尋ねた。つわはもう炊いたかと。
お姉さんは辛口の話が面白い人だった。そして、何より集落の情報には長けていて、いろいろな話を聞かせてくれた。引っ越して来て最初の正月明けには、今日は、家に祝い申そうが来る日だから、祝い申そうを謡ってもらったら、ご祝儀をあげて、お酒を振る舞うんだよと教えてくれた。それを教えてもらうまで、そんなものが家に来るなんて、全く知らなかった。お姉さんは面倒見のいい人でもあったのだ。
さて、話は石蕗だ。
床屋のお姉さんだけではない。集落で出会う顔見知りのお姉さん達に、口々に、もうつわは炊いたか、食べたかと聞かれるのであった。
石蕗の若葉が出かけているくらいのものの、根元のほうの茎をぽきっと折る。葉はむしり、茎の皮をすうー、すうーっと剥いていく。そんな作業を続けると、爪が真っ黒になる。水に漬けてあく抜きを少しする。
その季節には、家の周りでも、散歩に出かけても、つわを取る人の姿が見かけられた。そして気が付くと、私も散歩の最中に、石蕗の若葉を見つけると通り過ぎることが出来ずに、一本、また一本と、歩きながら手にして行くのだった。
きっとお姉さん達は、鹿児島の甘い味付けで煮物に入れたりするのだろう。私は、あっさり煮てすりごまを散らしたりしてみたが、優しい野の幸といった感じで、それも美味しかった。
隣の集落の市の、知らないおばちゃんとの立ち話では、若葉を天ぷらにしても美味しいと教えてもらったこともある。庭やご近所からなどのさつまいも、山芋、さやえんどうと人参としめじ、三つ葉、蓬、それらと共に、石蕗の若葉の天ぷらを揚げたが、ほのかな苦味と香りが美味しかった。これも、なかなか乙なものだった。
今の指宿の家の庭にも石蕗があるのだが、それを食べないのかと聞かれることもある。私はまだ、こちらの庭のは食べたことがないのだ。最近知り合った奄美大島出身の人も、我が家の石蕗を見て、奄美でよく食べていたことを話してくれた。
春先には、スーパーの地元野菜のコーナーに石蕗の茎が並ぶこともある。
あたり一面、何処でも取り放題の屋久島だったが、指宿近郊の公園では、次のような看板も立つ。
「ここのつわぶきは観賞用なので取らないでください。」
これには笑ってしまう。花としても、食材としても、愛される石蕗である。
(『南からの贈り物3 石蕗』、
2015年11月5日発行、
季刊俳句同人誌「晶」14号に掲載)
後記)
冬が始まろうとする頃、現在の住まい近くにも一株、二株と、石蕗は咲くが、南国の屋久島や指宿で群れ咲く石蕗に比べて、やはりちょっと精彩に欠ける。その昔、東京の実家で玄関に植えていたものはもっと弱々しく、
つはぶきはだんまりの花嫌ひな花 三橋鷹女
こんな句を鷹女が詠んだのもあながちおかしくも無いと思えてしまう。が、鷹女に南国のみごとな石蕗を見せてみたい。
集まればつわは採ったか炊いたかと 清子
最近、この散文に書いたような出来事を懐かしく思い出し、そのまんまの句であるが、現在私の所属している川柳のゆに句会に投句した。
南国の早春、女達は、或いは時には男も交えて、石蕗を巡っての賑やかに楽しいそして美味しいひと時があるのだ。
先日は、当地でも数本だが石蕗の茎を手にした男性に出会った。故郷の石蕗の思い出のある方かもしれない。と思ったら、つい最近のことだが、当地でも石蕗の茎を食すると聞いた。