誕生日
いとこ家族に、男の子が誕生した。
母親から写真が送信された。写真の向こう側で、新たないのちの誕生を喜ぶ声と、妻に感謝の言葉をかける夫の愛しい声が聞こえる。
この子の将来は明るいか。この世に生まれてきて良かった、と将来思うことができるか。
その子の顔写真を見ながらそんなことを考えてしまった。
つまずいて転んで、泣きませんように。誰も見ていないところで理不尽に泣くことがありませんように。ごきげんに生きることができますように。その子の前にある石を一つ一つ退かしたい。そう思って少し泣いてしまった。
生は哀しい。最近そう思うようになった。誕生を祝う場で何を、と自分でも思うのだが、生きている限り私(だけかもしれない)は辻褄を合わせる。辻褄を合わせながら生きていく。
辻褄が合わないことを、私は罪だと思う。なのに、死ねばそれで終わりだ。もし子供がいれば自分の遺伝子が後世に残る。きっとその子供も、子供の子供も、辻褄を合わせて生きていく。哀しい。なんだかすごく哀しい。
新興宗教はまってそう、って、今しがた友に言われたけれど、自分5年後すべてに絶望して本当にはまってそうだなとおもった
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