Kのこと 4
Kと出会って2年くらい経った頃、一緒に住むことを僕は提案した。
ちょうどお互い引っ越すタイミングというのもあり、自然な流れだった。
Kは了承して、僕らは同棲することになった。僕は嬉しかった。人生でこんなに嬉しいことは今まで無かった。
まずは二人で物件を探した。というより、僕が部屋を見つけてKに確認を取ったと言う方が正しいけれど。不動産屋に一緒に出向いて、二人で何軒も下見をした。僕は絵を描く・絵を置くスペースが取れることが絶対条件であり、そのせいでKには苦労をかけた。
なんとかちょうど良い一軒家を見つけて、新しい生活がスタートした。
二人での生活は苦労も多かったけど、それ以上に幸せを感じた。
僕が仕事から帰ると、Kはご飯を作って待っていてくれた。僕は駅でスイーツが売っていると、必ずお土産を買って帰った。近所のラーメン屋に通ったり、一緒に裏山を散歩したりした。僕が前の家の時から飼っていた熱帯魚も新しい家に連れてきて、一緒にお世話をした。誕生日や記念日には特別な料理を作って、一緒にケーキを食べてお祝いした。ベッドの枕元には二人で撮った写真を飾った。僕らは一緒に暮らすことができて本当に幸せだった。
しかし、Kとの生活は長くは続かなかった。
お互いの距離が近くなればなるほど、受け入れられない部分が見え、失望することが増えていった。
ヤマアラシのジレンマという言葉がある。親しくなるほど逆にお互いを傷つけ合ってしまう、人間関係のよく知られた葛藤のことだ。中学生くらいの頃にこの言葉を知ったけど、当時はよく意味が分からなかった。後から思い返せば、あの時の僕はそんな状態だったのだと思う。
僕はこんなに相手のことを思っているのに、なぜ気持ちを返してくれないのか。そういった疑念に囚われるようになり、わざとKを怒らせるようなことを繰り返した。喧嘩がどんどん激しくなっていき、最後にはお互いの顔を見ることすらしなくなった。喧嘩の原因なんて、理由も思い出せないほど些細なことばかりだったのに。
どうしてもっと上手くやれなかったのか、今でも後悔が残る。
あの時の僕は精神的にも社会的にも未熟で、ただ夫婦の真似事がしたかっただけなのかもしれない。
「やはり僕は一人で生きることしか出来ない。」
そう勝手に決断して、ついに僕は家から出ていった。
しかし、その後もKは二人の家に住み続けた。
僕はもう終わりだと思っていたが、Kだけは違っていたのである。僕は一人になりたかったが、Kは僕をいつまでも待っていた。Kは最初からどこまでも僕に付いてくる気だったのだ。Kは僕を許そうとしていたが、僕は強引に関係を切ってしまう。
元気で、と最後の別れを告げた時。
お互いに泣いてしまって、まともに話すことが出来なかった。
自分から離れることを決めたのに、どうしてこんなに離れたくないのか、理解が出来なかった。苦しさから自由になれることよりも、もうKの面倒を見られなくなることが、耐え難いほど寂しく、ただ申し訳なかった。
その時の悲しみはいつまでも僕の心に残っている。
そんなあっけない顛末で、やがて離れ離れになってしまったのだけど、実を言うと僕はKのことを1ヶ月と忘れることは出来なかった。
もう一切連絡を経とうと思っていたけれど、その後のKのことが気がかりで仕方なく、ちゃんと生活できているか、僕は無駄なお節介をしまくった。自分から投げ捨てておいて、本当に勝手というか、僕は気分屋だと思う。Kは、僕に捨てられたと恨み言をいつも言っていたが、徐々に僕の気持ちを受け入れてくれるようになった。KもKでおかしいというか、普通だったら修復不可能にまで壊れた関係だったのに、お互いがボロボロに傷つけ合った直後だというのに、僕を見放すことは結局何もしなかった。
Kとは、恋心とも違う、情のような、見えない鎖で心が繋がれているみたいだった。
実際、僕はK以外を選ぶことも出来たのだ。
Kはかわいくて好きだけれど、合わないところを挙げ出したらキリがない。アートも全く興味がないし。食べるスピードも全然違う。人間性が異なる。しかし、なぜかいつも一緒にいる羽目になっている。洒落にならないくらいの喧嘩をしても結局一緒にいる。一緒にいない時でも、何をしているか知っていないと落ち着かない。無事でいるかが気になってしまう。
ある意味うっとうしい。
腐れ縁と言えばそうかもしれないが、僕はこの縁を大事にしたいと思う。
僕らがどこに行き着くのか、まったくわからない。
しかしどこに行っても、たとえ離れていても、お互い自分なりに元気で暮らせれば、それでいいんじゃないかと思う。
きっとその先にしか本当の結果は生まれてこないのだ。
その結果、例え目に見えるような形にならなかったとしても、僕は人生が無駄だったとは思わない。むしろ僕らにしかわからない、築けない関係性を誇りに思う、かけがえがなく愛しいと感じる。
先日、久しぶりにKと前に住んでいた家の近くを歩いた。
これも変な話なのだが、Kとはたまに前の家の近くを散歩したりする。
家のそばを通る時、それとなく「また一緒に暮らせるかなぁ…」と僕が呟く。すると「今度は絵とか全部倉庫に入れてもらうで」とKは言った。
つづく