優しい世界の中のリアル 3
タイBLドラマ「Bad Buddy Series」視聴メモその3
⚠︎以下ネタバレあり
ラストのお話
親同士の過去の因縁によって引き裂かれる二人は、逃避行の旅へと出る。
避暑地のビーチで誰からも連絡を断ち二人だけで暮らそうと試みる。
パットはハネムーンだと喜ぶが、周りには誰も彼らを祝福する人はいない。パーンは二人の時間を大事にしようと努めるが、母親のことが気掛かりで仕方がない。
そんな中、しがらみから解放された場所で二人は互いの存在の大きさを確かめ合う。
そして葛藤の末に、二人が下した決断は、親の元に戻るということ。
いつも一緒にいることが何より幸せであり、それはどんな困難な場所でも変わらない。それが二人の答えだった。
月日は流れて数年後。
二人は家族や周囲には別れたことにして、秘密裏に関係を続けていた。
もう一度敵同士に戻ったわけだが、二人の絆は絶え難く結び付き、もう離れることがない。
その関係性を知っているのは親友数人のみだ。
しかし、ラストのシーンでは、憎み合っていた親同士が二人の関係を黙認している。
公に認めてはいないが、引き裂こうともしていない。特段応援しているわけでも無さそうだが、親として子どもを静かに見守る姿が描かれる。
二人は自分たちの関係を家族に打ち明けることなく、内緒で二人の時間を作り、好き放題楽しく、よろしくやっている。
ついに、二人は確かな幸せを手にすることが出来たのだ。
完。
状況を変えず変わらずにいる、という彼らの選択は、ドラマとしては変化のない意外なものであり、しかし現実味を帯びていた。
タイBLでは家族思いで特に親思いの子どもが多い。
「TharnType」続編では結婚が出来ないことの代わりとして出家して親孝行するという、タイならではの多幸感に溢れた禊の姿が描かれた。男同士の結婚を心では認めることのできない田舎親父への償いとして、出家を行い、固い心を解きほぐしていく。ものすごく心温まる感動的なシーンだ。
「Bad Buddy Series」においても、やはり二人は家族を捨てることが出来なかった。
理不尽に恋仲を引き裂かれても、親を憎んだり、親の元から去ることはしなかった。
親と闘って、彼らの考えを変えようともしなかった。
それは家族を尊重する彼らの優しさであり、親が認めなくても二人の関係は普遍的だ、という強い意志の表れでもある。
彼らの決断のキーになるシーンがある。
逃避行先のビーチで一人ゴミゼロ活動を続ける男性がいた。
一人でゴミを無くそうと努力しても世界は変わることがないのに何故活動を続けるのか?
二人がおじさんに問うシーンがある。
彼の答えは、
俺は世界を変えることが出来ないが世界も俺を変えられない、というものだった。
親元に戻った二人は、その言葉を思い出し、心の糧にして暮らしていく。
とてもリアリティーのある選択だ。
というより、実際その選択しか出来ないのだ。
物事はそんなに容易く解決しないのだから。
この作品では、現実を生きるクィアへの差別のメタファーとして、親同士が憎み合い子ども同士の関係が認められないという設定が機能していた。
そして、子どもは結局親の考えを変えることが出来なかった。
これは、脈々と続いてきた差別や人の意識は一世代では簡単には変わらないということを表しているようだ。親同士の因縁の理由が、何世代にも渡って続いている女性差別を連想させることも示唆的だ。
しかし、そんな理不尽な世界でも、二人の愛は消えることなく続いていく。
普通なら絶望的に思える状況だが、二人は「一緒にいられることが幸せ」と確かめ合い、二人だけの幸せを満喫しながら暮らしていく。
これは現実を生きるクィアの生活そのものに思えた。
社会から疎外され、世間から居ないことにされても、実際には彼らは存在し、愉快に暮らしているのだ。
こんな風に読み替えると、スーパーシリアスな問題であるが、まったく悲観的に見えないのがこの作品の巧みな点である。
もしメタファー無しに、クィア差別を真っ向から描いていたら、僕は直視できなかったと思う。
その問題はあまりにリアルで、BL的なイチャイチャではたぶん誤魔化せない。
しかしこの作品では不思議なことに、むしろ悲観的どころか、そんな苦しい中でこそ、二人の愛らしさが輝いているように見えるのだ。
誰にも言えない認められない関係の中でこそ、愛しい瞬間は沢山ある。
エアハグのシーンは、、叫びたくなるほどにかわいい。
かわいければそれでいいのか?
かわいさで現実が解決するのか?
解決するのである。
愛さえあれば万事解決。
それを証明してくれたのが「Bad Buddy Series」。
何か勇気さえもらった気がする。
ありがとうBBS。
おわり。